5 リリアンヌも策を弄する
「アンヌを聖女に押し上げさえすればすべてが解決する」
マルクルが立ちあがり、黒板の前まで歩いて従者からチョークを奪い取った。
プランC 巫乙女の指輪を手に入れる
「『巫乙女の指輪』というのはですね、代々聖女に伝わる形代――神の依り代の指輪、聖女の証というのが俗説ですね。理論上で言えば、現代ではいまだ再現できない技術がこれでもかと搭載された、国宝級の魔道具です。一般には知られていませんが、その効果は多種に及び、使用者の魔力量を際限なく底上げしたり、使用者のより精密な術の行使を可能にしたり――」
「マルクル、簡潔に」
「……特にマイナーな効果ですけれど、術者の感情に伴う魔力の暴走を抑える効果があるんです」
ガタッと公爵が立ち上がる。
「それは……!」
「まぁ、普通は幼児でもない限りよっぽどのことがないと魔力の暴走なんて怒らないんですけれどね。どれだけの大きさの感情で暴走が起こるのか、測定した論文はまだありませんが――」
「はい、ストップ」
「つまり、リリアンヌ嬢にその指輪さえつけさせればこの事態も……!」
「そううまくいけばよかったんですけれどね……」
目を輝かせる公爵にマリーベルがため息を漏らす。
「同じ時代に聖女と聖女でない依り代の両方が存在する場合、聖女の意志なしには指輪を譲渡する儀式ができないと、憲法でそう定まっているんです。」
「……つまりは、現聖女の王妃の意志か……」
公爵が肩を落とす。
「一応、聖女の承認がなくとも指輪譲渡の儀を行う抜け穴はあります」
マルクルはカッカッと黒板に記した。
・聖女が心身に異常をきたして、聖女としての任を果たせなかった場合
・魔法について聖女より依り代の方が優れていて、かつ依り代が学園を卒業している時
・戦時中などの緊急事態
「この三つについては聖女の意志に関係なく、他の依り代に指輪を譲渡することは可能となっています」
「……ちなみに現聖女である王妃は今?」
「軟禁中の自室に闇の魔術で結界を張っています。宮廷魔術師たちが徹夜を続けて解除作業を行っていますが、未だとっかかり一つ見つけられません」
「マリーベル、お前は王妃よりも魔法に秀でている。お前にも何もできないか?」
「……指輪がなかったならまだしも、指輪を持った聖女に太刀打ちするのは時間がかかるかと……」
公爵は難しい顔で腕を組んだ。
「人為的に『心身異常な状態』を起こすことは厳しいと」
「とりあえず現時点でリリアンヌ嬢の方が王妃様より魔法についてはるかに優れているから、学園を卒業すれば自動的に受け取る権利は降りてくるかと。そうなれば、王妃を指輪泥棒として本格的な部隊を出動させることもできます」
「リリアンヌ嬢は今何年生かね?」
従者が答えた。
「リリアンヌさまは今年で二年生。この学園は四年制だから、後三年ですね」
「三年……」
三年間もの間、王太子をハロルドのままで、あるいは王太子の座を空の状態でしのがなければならないのか。
「むしろ憲法改正する方が速いかもな」
「他国に宣戦布告すればもっと早いですよ」
「お前らいったん落ち着け」
「やはり性癖を何とかするほかないのか……」
「あの!」
声を上げたのはブロッコリー夫人であった。
「私、リリアンヌさまの性癖愛について力になってくれそうな人を知っています」
「何!?」
皆が一斉に振り向く。
「卒業式で見かけたあのリリアンヌさまの状態、あれによくなる方々のサロンに、私よく顔を出しているのです」
「リリアンヌ嬢と同じ状態……何だって……!?」
「サロン!? そんなものが……?」
「このサロンの存在はあくまで参加者のみの内密なもの……しかし今は国家の危機、許可を得て代表者の方がそろそろいらっしゃる時間ですわ」
「して、そのサロンとは……?」
ブロッコリー公爵夫人は生真面目な顔でうなずいた。
「『殿方同士の愛を愛でる会』ですわ」
〇
寝椅子に腰かけて俯いていた王妃は、私を見るとヒッと悲鳴を上げながら立ち上がった。
「あっ……あなたリリアンヌね!? どうやってここまで来たの!? 結界はどうしたの!?」
「さすがに解除は難しかったので。光の魔力でバーンってやって穴をあけて入りました。気づかれる前に戻しておいてください、あなたとゆっくりお話がしたいので」
「お話……何の話をするというの……あなたのせいで私も息子もこのような目にあっているというのに」
きっと王妃は私をにらみつける。
「せっかくあなたを未来の王妃にしてやろうと思ったのに……! この恩知らず……!」
「恩知らずはこっちの台詞だわ。何故、存在するだけで世界に幸福をもたらしまくっているマリーベル様を処刑しようなんて発想をするの。あなたはマリーベル様を処刑しようとした憎い相手……でも今はそんな話はできません。あなたと交渉がしたくてここに来ました」
「交渉? なんの交渉なの……?」
私は無表情であごを上げる。
「マリーベル様に指輪を譲渡してください、王妃様」
王妃はぽかんと口を開けると、やがてくつくつと、最後には思いっきり声を上げて笑い出した。
「指輪! あなた未だマリーベルを聖女にできると思っているの!?」
「マリーベル様以上に聖女にふさわしい生命体なんていないでしょう!」
「なれるわけ無いでしょう、マリーベルが。 だって彼女はおと――」
ずきりと痛む胸があった。なぜ痛むのだろうと不思議に思っていたら、王妃はなぜかこちらを見てまた小さく悲鳴を上げ、後ずさった。
「ここで暴走させる気!? 何よ! 光の依り代だからって調子に乗って! いいこと、あなたに指輪なんて渡さないわ。この指輪も、聖女の位も私のもの!」
ああ、醜い。なぜ闇の神はこんな女を依り代にしたのだろう。マリーベルを選ぶのは至極当然だが、どうした。何故王妃の時には見る目がバカになってしまったのだろうか。
しかしこの反応は予想済みだ。
「これを見てまだ同じことが言えますか?」
私は懐から数枚の紙片を取り出し、テーブルの上にサッと並べて、王妃に顔を近づけた。
「……何なの、これは」
「マリーベル様隠し撮りブロマイド」
「いらない」
「ファッ!? 何故そんなことが言えるのですか!? くっ……これで足りないなんて、強欲な女狐め! 仕方がない、マリーベル様幼少期の写真焼き増しを特別に……」
「いらないって言ってんでしょうが!?」
私は驚愕に目を見開く。
「……いらない? 何故……? 無欲? あ、だから聖女なの?」
「聖女でなくても要らんわこんなもん!」
王妃はキレながらまくしたてる。
「馬鹿なの!? いや本当に馬鹿なのね!? なぜこんなものが交渉材料になると思った!?」
「こんなもの!? 今こんなものって言ったわね!?」
「言うわよこんなもの! おお、神よ、こんな馬鹿に光の聖女という最高の権力の可能性を与えたもうたのですか……」
「使うことはないだろうと思って以下けれど、これはプランBを使うほかなさそうね……」
私は王妃の胸ぐらをつかみ、グイッと引き上げて耳元でささやいた。
「――ごちゃごちゃぬかしなさるとあなたの息子、光の神の生贄にしますよ?」
王妃は私の手を振りほどくと、自らの体を抱きしめて震えながら叫んだ。
「鬼! 悪魔!」
「何を言っても無駄ですよ」
「なぜ! なぜ光の神はこんな鬼畜外道を選んだ!」
「その言葉そっくりそのままお返しいたしますよ!」
王妃はがっくりとうなだれて、根椅子に座りなおし、顔を手で覆った。
「さぁ、どうします? 早く決めないと大事な大事なハロルド君が――」
「ちょっと黙りなさい!」
王妃は顔から手を離すと、疲れ切った眼で私を見た。
「――条件があるわ」