4 マリーベルは策を弄する
卒業パーティー、あるいは世界崩壊の危機から一週間が過ぎた。
国民の混乱を防ぐために、会場にいたものには一様に緘口令が敷かれているが、事態は権力者たちにことごとく知れ渡ってしまった。
以前から強すぎる権力を好き勝手に使っていた王妃や、その息子たる王太子には懸念がささやかれてきたが、この事件を機に不満に一気に火が付いた。
国王もさすがに事態を看過することはできず、王太子と王妃を軟禁している。
しかし国の上層部のほとんどが敵に回ってしまった今、ハロルド皇子を次の王にするのは厳しいであろう。
しかし事態に光明が見えた。マリーベル実は男だった事件である。
公爵家という高い家格に加え、闇の神の加護持ちであるという申し分のない人材。
加えて目立ってはいないが成績優秀で品行方正。同世代には人気はないが――基本的にハロルドのせいである――年寄り受けはよい。
あの王子に比べれば破格の人材、転がり落ちてきた金の卵。
おまけにマリーベルが男に戻って皇太子になれば、必然的にリリアンヌが聖女の位につくことになる。
それぞれ光と闇の神の加護を持つ二人が国の頂点に立つ、これは400年前に光の加護持ちの王と、闇の加護持ちの王妃を兼ねた聖女が現れた時以来である。
この時代は後先見てもこれほどまではいかない栄えっぷりを見せたと語り継がれている。
つまりは伝説の治世の再現だ。
優秀な二人が無事に要職につき、そしてあわよくば結婚なんてしてしまえば、歴史的に見てもこれほど縁起の良いことはない。
いや、縁起どころか二柱の神の最大級の祝福は確約されたも同然であろう。
政治に発言権のあるものは一も二もなくメガホンですぐにマリーベルを王太子にと叫びたいところであったが、ひとつ、大きすぎる問題があった。
リリアンヌ。光の神の加護持ちの聖女候補本人である。
これまでの周囲の評価としては、温厚で純粋な割には常に冷静で泣くことも怒ることもない、というので一貫していた。
マリーベルに関してはちょっと――いやけっこう引く言動が目立つが、それ以外に関しては特に性質に問題は見受けられず、王家にも比較的忠実な人柄で、つまりはリリアンヌの暴走は誰もが予期していなかった事態なのであった。
マリーベルを王位につけたいけれど、マリーベルが好きすぎる聖女候補が怖すぎて何もできない状況になってしまった。
国を憂う権力者たちは、マリーベルに期待のまなざしを寄せながら、未来の聖女、別称「光の魔王」をどう制するかに頭を抱える羽目に陥ってしまったのであった。
〇
「――では第1回『光の魔王封印計画』立案のための会議を行います」
重厚な造りの会議室には装飾の付いた大きな黒板が鎮座しており、マリーベルの従者は白いチョークでカカカッと軽快に議題を記していく。
黒板の前に置かれたやはり美しい長テーブルに座るマリーベルは肘をつき、祈るように手を組み額をもたれさせている。
向かいには似たようなポーズで据わるマリーベルの父親であるブロッコリー公爵、隣に寄り添うようにブロッコリー夫人。
そしてマリーベルの隣に座るのはリリアンヌを落とそうとしていた一人、マルクル・ミソ・カリフラワー伯爵令息である。
彼は加護こそ持っていないものの魔法の才が超越していて、現職の宮廷魔術師たちが頭を壁にぶつけだすほど優れた論文をすでに数々世に送りだした。誰もが認める魔術の天才である。
「……ベル、彼がリリアンヌ嬢の言うところのコ、コウリャクタイショウなのであろう? 何故彼がこの場にいる?」
ブロッコリー公爵が言った。
マリーベルはリリアンヌから前世の情報を聞き出し、関係者たちと共有した。
最初は渋っていたリリアンヌも、従者の説得通りに自分の幼少期のアルバムを差し出したら、立て板に水の勢いで記憶をゲロり出した。最近何か自分の大切なものがゴリゴリと削られていくような気がするマリーベルである。
「……魔力の暴走について今一番引っ張ってきやすそうな専門家を連れてきました」
「彼がお前の死刑に加担していなかったとはいえ、大丈夫なのか? あの事件の直後に――」
リリアンヌの暴走を目の当たりにした攻略対象たちは、あるものは寝込み、あるものは極度の女性不信に陥り、あるものは電球を見るだけで逃げ出す始末だった。
マリーベルは黙ってマルクルに目を向ける。
「ああ、恋した少女が世界を滅ぼしそうになったってことに動揺しすぎて、おかしくなってないかってことですか? それならご心配いりません、幻滅なんてしてないから」
マルクルは深緑色の髪の隙間からのぞく目を細めて、楽しそうに笑った。
「いや、これはもっと面白いことになったぞって思いましたねぇ、なんかよくわからないけれど、アンヌが女性のマリーベルに無茶苦茶執着しているなんて。おまけに世界を滅ぼすような魔力暴走まで見せてくれて。僕初めてなんですよ、魔力暴走見るの」
けらけらとマルクルは笑う。
父子はそっと目配せをする。
(なるほど、変人には変人というわけだな)
(おっしゃる通りです、父上)
「えーと、ではとりあえず自己紹介を済ませたところで本題に入りますよ。リリアンヌ嬢どうしよう会議」
「フランクに議題代えたな」
「早速司会進行が案を出してしまって申し訳ないんですけれど、普通にマリーベル様がアンヌ嬢に幻滅させればいいだけの話じゃないですか?」
マリーベルが目を細めてすっと顔を上げる。
「お前、恋人がいるとして、何をされたら幻滅する?」
従者はうーんと腕を組んだ。
「実は言葉使いが荒い」
「そこが性癖」
「実は少し短慮」
「むしろ性癖」
「実は偽乳」
「新たな性癖」
「実は男」
「地雷」
沈黙ののち、全員の重いため息が部屋に響く。
「中間とかないんですかね……」
「プランA、幻滅作戦却下」
従者は黒板に幻滅作戦と書き、上から一本線を引いた。
「恋人がいる、とかはだめなのかね?」
公爵が恐る恐る手を上げた。
従者が黒板にすらすらと書きだす。
「プランB 、お前このままだと馬にけられるぞ作戦」
「もっと言いようがないのか」
「しかし……」
マリーベルがうなる。
「俺の直感としてリリアンヌ嬢から向けられる感情が恋情かは微妙です……果たしてそれで身を引くという発想に至るのかどうなのか……」
「それに、やはり危険ですね。」
マルクルがうなずく。
「彼女の感情の起伏はすべてマリーベル嬢に依存している。少しでも彼女の中のマリーベル像を動かすのは、毎回危険が伴う」
「俺は何やっても、いいぞもっとやれって言われるけどな」
「しかし国民を危険にさらすわけにはいかない。私もマルクル君に賛成だ」
ブロッコリー公爵がうなずく。
「つまり、プランB却下」
従者がもう一本線を引く。
「……やはり、あの手しかないのではないでしょうか」
マリーベルの言葉に、マルクルはにっこり笑って頷いた。
〇
「もう、することなくなっちゃったなぁ……」
私、リリアンヌは人気のない中庭のベンチに座って空を見上げていた。
卒業式から一週間がたった。
私が取り乱したのが珍しかったのだろう、学園の人たちは私を見ると逃げていく。それとも、マリーベルの偽乳をうっかり叫んでしまったことにどん引かれているのであろうか。
まぁ、人々にバケモノ扱いされることなんて慣れたことだ。
それより、目下の課題はマリーベルだ。
私はこれまでの人生、マリーベルの処刑を回避するためだけに生きてきた。マリーベルが安全になった今、もうすべきことは一つもないのである。
ポケットから封筒を取り出した。二週間前に本家の父から届いたものだ。
届いた時は処刑回避の天王山でバタバタしていたから今まで読んでいなかったけれど、読まなくても内容はわかる。
「聖女になれ、かぁ……」
父が私を聖女にするために各所に根回しをしていることは知っている。育ての両親も、地元の人も皆私が聖女になることを望んでいるのだろう。
「……でも、私は聖女にならない」
私が聖女になるということは、マリーベルを押しのけるということだ。
マリーベルの将来の可能性をつぶすなんてこと、私にはできない。絶対にできない。
そもそも聖女とは国のために神に祈る仕事だ。私なんかが祈るより絶対強気金髪美少女が祈った方が強いに決まってる。私が神ならマリーベルが祈ってくれたら絶対やる気出る。
「――何よりマリーベル様の聖女衣装姿が見たいっ!」
そう。これからのことは何も決まっていない。それはつまり、今後これからは未知の可能性であふれているということだ。
ごくりと唾を飲み込む。これはゲームで臨めなかったスチルが見放題なのでは?
突如私の脳裏に天啓が訪れた。
聖女というのは、世界で一番地位の高い女性。だからもちろん、側仕えのものもそこそこの地位と教養を求められる。魔法や護衛だってできることが最低条件だ。
ただのいち公爵令嬢に伯爵令嬢、それも光の神の加護を持ったものが側仕えなんてすることは難しい。そもそもお父様に認めてもらえないだろう。
だが。それが聖女であれば。
「……侍女とか」
なれるのでは? お風呂上りスチルや寝間着スチルが拝み倒し放題なのでは? それどころか三次元マリーベル様の髪を梳いたり夜会の衣装を選んだりできるのでは?
鼻血が出そうで思わず顔を押えた。……可能性だ。これからの未来は可能性だ。何もかも決まっていない、だからこそ私は何かになれる可能性を持つのだ。
私の目指す未来は一択。ぎりぎりまでマリーベル様を拝む未来である。
「――絶対に、マリーベル様を聖女にして見せる」