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1 リリアンヌは転生者である

 その日は私、リリアンヌの最高の一日になるはずだった。お兄ちゃんが朝なのにチョコボールをくれたし、ヘアアイロンも気持ちいいほどに綺麗に決まった。

 何より、ずっと片思いをしていた男の子と同じクラスになれた輝かしい高校生活の初日だ。


 でも降ってくる桜の花びらの中で自転車をこぎながら、私はちょっと浮かれすぎた。曲がり角でカーブしてきたトラックに、全く気が付かなかったのだから。


 何の話をしているかって? もちろん前世の話。本当なのだ。本当に私には前世の記憶がある。


 小さなころから、それこそ覚えていないほどの小さなころからずっと不思議な記憶があった。ここにはない風景、ここにはない食べ物、ここにはいない人々。

 たくさんの記憶のかけらは多分4歳のころにまとまりをもった。私は転生者。異世界で死んで、この場所に生まれ変わったようだ。


 でもこの世界が前世大好きだった乙女ゲームの世界だって気が付いたのは、ずいぶん後だった。


 あれは確か7歳の春の昼間。私は一人、人気のない道路でありの行列を見ていた。

 ちょこちょこと小さいのが何か荷物を運びながら行列を作っているのを見ていたら、ことのほか郷愁が胸を焦がして、気を抜いたらすぐにでも涙がこぼれてきそうだった。


 そう、私はいつだって記憶にある世界に帰りたかった。残してきた家族や友人に、会いたくて会いたくてしょうがなかった。でも、それは死んだ人にもう一度会いたいって願いくらい、かなわないってことを何故か確信していた。

 だから、だからこそ、日を過ごすごとにどんどん記憶が風化していくのが悲しくて、寂しくて、どうしようもなかった。とても、気持ちを切り替えて、新しい世界で生きようなんて気持ちはおこらなかった。


 その時、ありの向こう側から規則正しく回る車輪の音が聞こえてきた。私は急いで道のわきに座り込んだ。

 馬車は土ぼこりを上げながらありの行列を踏みつぶして通りすぎた。

 その時、馬車の窓から小さな女の子の横顔が見えた。初めて会うこの人の名前を、それでも私は知っていた。


 マリーベル様。私が前世大好きだった乙女ゲームの悪役。その時ようやく私は気が付いた。私は乙女ゲームの世界に転生したようだった。


 マリーベルはあのゲームの中で、いやゲーム以外のすべての二次元媒体において、前世の私の生涯の最最最推しだった。


 私は金髪が好きだ。ふわりと緩いカーブを描いている長髪が望ましい。

 高飛車で強気な女の子が大好きだ。でも、少し短慮だともっと魅力的だ。

 男勝りだといい。男言葉の美少女なんて最高だ。


 そしてそのすべてがマリーベルだった。

 マリーベルは私のすべての性癖を網羅し、そのうえで凌駕した。

 まさに性癖の塊。性癖のオンパレード。むしろ彼女こそが性癖。


 最後の断罪シーン、すべての悪事がばれて捕縛される瞬間、今までの優雅な物腰をかなぐり捨て、乱暴な男言葉で叫ぶ彼女を見た時、私は不謹慎にも黄色い悲鳴を上げながら突っ伏した。もう大好き。愛してる。


 そんな最高の美少女を生み出した乙女ゲームは神棚に祭り上げたって足りないが、最大かつ唯一の問題点が、彼女はどのルートでも死んでしまうことだった。

 ヒロインが誰を選ぼうが、もれなく彼女はヒロインを誘拐して生贄にしようとし、ヒロインはその回のヒーローに救出されて断罪イベントが始まるのだ。

 最悪だ。製作陣に会ったらまず握手を求めて全財産を貢ぎ、その金を差し出した手で顔面をぶん殴るに違いない。


 しかし。しかしだ。こうして私はストーリーに介入できる存在として生まれ変わった。

 これはきっと「マリーベルたんを幸せにせよ」という神からの啓示だ。そうに違いない。


 私に生きる目標ができた輝かしい瞬間である。


 そして15歳になった今、私はセキハン国第一学園の制服姿で校門前に立っている。

 魔力持ちでも入学せずにすむ方法はないか、あらゆる手段を用いて調べた。しかし、たかが子供にできることは何もなかった。別にマリアンヌを目にする機会が減るから手を抜いた、とかそういうことはない。断じてない。


 それならばあえて、さっさと魔力を開花させて、魔法の力を磨いて磨いて磨きまくること決めた。

 入学前から魔法をカンストさせてしまう。さすればよっぽどのことがない限り一令嬢に暗殺の危機にさらされることはあるまい。


 ゲームのアンヌは15歳になるまで魔法は発動しなかったようだが、私は自己流で練習した結果、9歳には安定して発動できるようになっていた。


 校門をくぐって校舎に向かう道を歩く。

 気を付けるべきことはたくさんあるが、目下気を付けるべきことはマリーベルに会った時、感激のあまりとちくるって妙なことを口走らないようにすることだ。変態だと勘違いされてしまうではないか。


 などと考えていたら後ろから突き飛ばされた。ひざの痛みに顔をしかめながら立ち上がって振り返ると、複数の女子生徒が立っていた。

 見覚えのある顔ぶれ。多分ゲームに出てきたマリーベルの取り巻きだ。一人少し離れた場所に立っている若い男性は、多分マリーベルの従者だ。

 と、言うことは。無意識のうちに目が彼女を探す。


 水色の瞳とかち合う。緩やかに波打つ蜂蜜色の髪。

 きめ細かい陶磁の肌。

 ふわりとグレーの制服がなびく。

 素敵。画面越しに見るより、ずっと、ずっと。


 クスクス、クスクス、とあざけるような取り巻きたちの笑い声で、はっと我に帰る。状況を確認する。

 そうだ。今私は、二年生であるマリーベルの取り巻きに突き飛ばされたのだ。このシーンは百週以上もやったというのに、ついうっかり思考がそれてしまっていた。何ということだ。ファン失格だ。


「何よ。」


 マリーベルが問う。震える手を押える。

 落ち着け、考えろ。当たり障りのない返答をするのだ。間違っても彼女を困らせたり、彼女に蔑まれるような返答は――おいしいけど――してはいけない。


「何か言ったらどうなの。」


 再びマリーベルが問う。大丈夫。落ち着いた。返答ばっちり。仲良しびっくり。


「好きです!」


 しかし予定していた言葉は彼女の瞳を見た瞬間フェードアウト。理性スタートクライ。胸中ロックンロール。


 マリーベルはぽかんとして、やがて顔を真っ赤に染める。取り巻きも似たような感じだ。当然である、見知らぬ生徒からの唐突な告白。私の心は、反省の嵐と照れ顔げっちゅの竜巻に粉砕される。


「お前たち! 何をしている!」


 しかし心の暴走雨は鋭い声によって阻まれた。便宜上振り返ったが、顔を見なくとも知っている。二年生の生徒会長にしてこの国の王太子、ハロルド・ゴマ・セキハンである。


 私は慌てて口を開く。


「何をって……お話ししていただけですよ! 先輩に案内をしていただいていました!」


 完璧に練り上げた台詞通りに言うが、王子は鼻を鳴らしてマリーベルをにらみつける。


「どうかな……、新しく現れた聖女候補をやっかんで、いじめていたのではないか。世間では闇の神より光の神の方が神聖だと言われているものだからな。」


 それお前が言っちゃうかー。私は脳内でちっちっと舌を鳴らす。王太子の母上、つまり王妃は現在の闇の聖女なのだ。皇子的に問題ありすぎる自虐である。


 ついでに言えば、マリーベルの嫉妬の内容はそれだけではない。庶民出のため天真爛漫で素直な性格をしているリリアンヌに憧れていることの裏返しなのだ。天使だな!


 懐の狭い皇子を懐柔するべく、見つかってしまった!みたいな顔をしているマリーベルに「違いますよね! ですよね!」と再度呼びかけるも、彼女は無言のままに去ってしまった。

 取り巻きが慌てたように後を追う。私ははて、と首をかしげる。現段階で王太子の嫁の最有力候補はマリーベルだ。てっきり彼との仲良しアピールをしてくるものだと思っていたのだが。


「……お前が噂の光の聖女候補か。」


 立ち去るマリーベルの背中を見ていた皇子が振り返って問いかける。怖いくらいにゲーム通りだ。私は脳内でガッツポーズを決める。


 私はマリーベルのスチルを拝みたいがために、ゲームを百を超える数クリアしてきた猛者だ。どの返答をすればどのルートに進むかなんて手に取るようにわかるし、何なら目の端に、存在しない選択画面が見えてくるほどだ。


 私は皇子に向き直りにっこりとほほ笑む。目指すルートはただ一つ。逆ハーレムである。


 〇


 逆ハーレムを達成した。怖いほどに簡単だった。だってなんと返答すればどのような反応が返ってくるのか知っているのである。答えが最初から分かっているコミュニケーションほど楽なものはない。


 愛をささやく者も直接には言わない者も、攻略対象全員が順当にこちらに気持ちが傾いていることは、廃ゲーマー件マリーベルたん専門家の私から見ればはっきりしている。


 とはいえ、私は金髪高飛車且つ男勝りで男言葉の美少女が好きという性癖を持つだけの、ただの一般人である。こんな一般的女子高生に未来の国家の重鎮が次々落とされてしまうというのは、自分が起こしたこととはいえこの国の未来が心配である。


 そこまでは簡単だったのだ。


「ハロルド様、こんなに素敵なネックレスをいただいてしまってよいのですか? とてもうれしいです! 特にほら、この宝石の飾りなんてまるでお優しいマリーベル様の瞳のよう! ああほらご覧になってください! あの蜂蜜とってもおいしそう、私と仲良しのマリーベル様の髪のように輝いているわ!」


 なるべく、なるべくゲーム内の会話と内容が変わらない程度に自然にマリーベルへの弁護を織り込む。もはや織り込みすぎてサブリミナル効果が発現してもおかしくはない。


 落とした攻略対象たちに、最高の笑顔で「マリーベル様は私のお友達で、私はマリーベル様が大好き」といえばさすがに処刑なんてするまい。入学した当初は確かにそう思っていた。


 しかしやつらは私がそういうたびに痛ましげな顔をするか、むしろマリーベルへの怒りを募らせていくのだ。

 落とすまではイージーモードだった。しかし手玉に転がすことがこんなにも難しかったとは。


 平民への嫉妬でかわいらしい嫌がらせをしているマリーベルより、私情で未来の国家の重鎮たちを落として侍らせている自分の方がよっぽど悪女だと、鼻高々になっていた自分を張り飛ばしたい。悪女への道は険しかったのだ。


 王太子と別れ、もらったネックレスについた水色の石を眺めながら私は廊下を歩く。

 たびたびおこなわれるマリーベルからの嫌がらせが唯一の憩いである。

 教科書や弁当を勝手に捨てられるのは困ったものだが、嫌味を言われるなんてご褒美でしかないし、足を引っかけられるのはおみ足に触れさせていただいた分お金を支払いたいぐらいだ。


「あら、ハロルド様からネックレスをもらえてご機嫌の様ね。平民にはそんなに宝飾品が珍しいのかしら。」


 うん、ルート通りだ。いつものように喜色満面の体でマリーベルに向き合うと、マリーベルは少し鼻白んだように後ずさった。

 最初は好意的な態度を向けるたびに真っ赤になっていたマリーベルも、最近では私の暑苦しすぎる愛に若干引いている。


「ええ。だってマリーベル様の瞳の色のネックレスですもの!」

「いやそこはハロルド様の瞳の色って言うところでしょう!? というかあなた、ハロルド様たちに会うたびにわざとらしく褒めちぎっているようね。そうやって健気な子の猫でも被っているのかしら!」


 猫? 猫も何もむしろこちらが本心だ。いや、マリーベル様と仲良しは若干私の願望だが。私はふと頭をかしげる。こんなふうにマリーベルを弁護することがけなげな子アピールになる?


 それってつまり……むしろそれに対応して攻略対象たちのマリーベルへの憎悪が高まる?


 どんどん顔から血の気が引いていく。手が震える。口の中が乾く。あまりのことに涙も出てこない。私はなんてことを。


 突然真っ青になって、目をかっぴらいて震え出した私を見て、マリーベルがちょっと目をむく。


「ど、どうしたのよ!? 今更こんなことで動揺するわけ!?」

「あう、ど、どうしよう、私なんてお詫びしたらいいのか……。」

「え、いや、あなたが本気で弁護しているのははた目から見たらすぐわかる……」

「どうしようマリーベル様が死んじゃったら!」

「論理の飛躍!」


 ガタガタ震えながらも、私は叫ぶ。


「こ、こうなったら私腹を切ってお詫びいたします!」

「腹を切る!? どういう発想よそれ……やめなさい! 刃物をしまえ!」

「だって、大好きなマリーベル様が死んでしまったら、私も生きていられない……」

「死なないっての! ああもう、一度お前とは話をつけておく必要があるようだな……」


 小さく呟いた声が聞き取れなくて、私が首をかしげるとマリーベルは私の胸ぐらをつかんで引き上げた。上背のあるマリーベルがそうすると、私はちょうどつま先立ちのような形になる。


「……今日の昼休み、体育館裏に来なさい。誰にも言わずに一人でね。」


 耳元で小さくささやかれた声に驚いてマリーベルを見ると、彼女はにっこりとほほ笑み私を開放し、くるりと背を向けて歩いて行った。階段を上って、二年生のクラスのある階に行くのだろう。


 私は、さっきマリーベルの手がつかんでいた襟元をそっと撫でた。

 ……こんな展開は、ゲームにはなかった。


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