5話 スローライフ?(L→D)
「ラウラ」
彼の声がとても近い。
なんてことをしてしまったの。
「ラウラ」
フルリンさん家の畑仕事を終えて、ダーレと次のお家の手伝いに行く途中、彼が相変わらず私を抱きしめてきた。油断も隙もあったものじゃないわ。本当に彼はすることが性急。
「ちょっと、」
ただいつもと違ったのは、優しく囲うのではなくて、力が強かったこと。急に彼が異性であったことを思い出して、思わず私は彼の胸を押した。
そこで彼は何を思ったのか、ぎゅうぎゅうに私を抱きしめる腕の力を急に解いてきたのだ。
「ラウラ!」
その反動で私は後ろに傾いて転んだ。私が押してもびくともしないなんて。
焦る彼の声虚しく、私は茂みに身を預け尻もちをついた。情けないったらありゃしないわ。
「大丈夫?!」
「ええ……」
彼の差し出される手に自分の手を添え、起き上がろうとすると後ろに引っ張られてまた座り込むことになった。あれ、私そもそも彼の手を当たり前のようにとったけど。そこから疑問だわ、私いつの間にそこまで彼に触れる事に慣れてしまったというの?
「ああ、動かないで」
「え」
ぐぐっと彼が近づいてくる。その近さに顔が熱くなった。
「絡まってる」
「え、あ、え?」
抱きしめられてるわけじゃないけど、彼の胸が鼻先をかするぐらいの距離にある。
さっきと同じで、彼が纏ういつもの良い匂いが鼻を掠めていって。ああどうして、こうなるの。
「髪の毛、ほどくから動かないで」
「え、ええ……」
転んだ時に枝に髪が絡まってしまったらしい。いっそ切ってほしかった。そう言ったら彼は絶対駄目だと強い語調で返してくる。
「こんなに綺麗な髪、切るなんて駄目」
「そ、そんなこと」
「ラウラの髪は綺麗だよ」
「そんなこと」
「黙って」
彼は私の事になると割と意見を曲げない。こうして無理に終わらせたりする。咎めているわけではないと言ってくれたから、怒ってるのではないけど気にはなってしまう。
「……」
「……」
くすくすと笑い囁く声が聞こえた。
ラウラ、よかったね
いっぱい触ってもらえて
え、待って。まさかわざと枝を?
「な、な……」
「ラウラ?」
触ってほしいだなんて思ってない、そんなことないんだから。
頭の中で返事をすると、笑う声が増えた。
うそばっかり
嬉しいくせに
ダーレが触るの好きなくせに
「違うわ!」
「え、ラウラ、何?」
声に出してしまってばっと手で口を塞いだ。もう遅いのは分かってても。ぐぐっと唸ると不思議そうな声が降りてくる。
「ラウラ?」
「なんでもないわ」
「……もしかして、話してたの?」
精霊と、と言われ、びくりと肩を震わせてしまった。それが応えになって彼に届いてしまう。
彼は小さく笑いながらいいなあと囁いた。羨ましいとも。
「どうして?」
「ラウラと秘密の会話が出来る」
すごく特別だからと。
この人はそういう恥ずかしい事を平気で言ってくる。私が異端であろうと決して悪意を向けない、ただ本当に素直な気持ちを言葉にしてくれることが、私には嬉しかったけど、それは言葉に出来なかった。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「ラウラ、今日はどこから?」
「フルリンさん家から」
「わかった」
一ヶ月、やっと彼女の隣を歩くことを許された。
「ダーレ、やめて」
「ん、いいの、僕が持つ」
「いいって言ってるのに」
名前も呼んでもらえるまでになったし、言葉遣いもだいぶ砕けてきた。相変わらず意地っ張りでつんとしてるけど、その割に本気で嫌がってないから僕は思う存分そこにつけこんでいる。
それでもこうして畑仕事用の用具みたいな重い物を持ってあげたりすると、彼女は不服そうに毎回僕を見上げてくる。うん、可愛いすぎ。
「甘やかさないで」
「それは無理」
彼女は、上の二人の姉のように国の政務に関わっていない。代わりにとばかりに、国の民の為に尽くしている。
朝早く起きて、誰それさん家の家畜を放牧するとか、次にはどちらさん家のなにがしが収穫時だとか、川の水を引いた場所で育てている魚の様子を見に行くとか、なかなか王女らしからぬことをしている。当然服装も王女らしさはなく、あくまで作業しやすい素朴な服装。数える程だけど、城で見た王族としての衣装もすごく似合ってて可愛かったけど、今ではこちらの方が見慣れてしまって心地良く安心できる。まあ、どんな姿だって可愛いんだけどさ。
「お早う、姫様」
「おはようございます」
この国の民は、ラウラの事を姫様と呼ぶ。その親しみを帯びた声音は誰もが彼女を好いて信頼している事がわかる。彼女はとてもいい国の主だ。
畑仕事に訪れた先の主人が僕を見て、そうだと閃いた様子で声をかけてきた。
「ダーレ」
「どうかしました?」
「この前雨漏りしたんだ、屋根の修繕一緒に出来るかい?」
「ああ、いいですよ」
「なら私は姫様と先に畑に行ってるよ」
ラウラと離れるのはおしいけど仕方ない。こうしてラウラの手伝いをさせてくれるようになるまで、やっぱり一ヶ月かかったわけだし。
梯子をのぼりながら感慨深い思いに至る。
「これが終わったら畑ですか」
「そうだな、今日は割と仕事が立て込んでる」
「そうですか」
そういえば、気づいたことがある。この一ヶ月、誰一人として翼をはためかせて飛んでいる姿を見た事がなかった。この梯子もそう。そもそも飛べるなら梯子なんていらないはずだ。なのに飛べない前提で過ごす為の物が数多くある。
「あの、話を聞ければなんですけど」
「なんだ」
「皆さん、飛ばないんですか」
しばし無言の後、小さく息を吐かれる。そろそろいいかとぼやかれ、静かに告げられた。
「姫様が飛べなくなってから、この国の人間は飛ぶことをやめた」
「え?」
* * *
「あれ、主人。今日は王女様追いかけてないんですか?」
「んー……」
「いつもしつこいぐらい追っては嫌がられてるのに……ついに痛いことをしていると気づきましたか」
「ちょっと」
相変わらずのあまりの言い様に、意識がこちらに戻ってくる。考え事してただけなのに。
「やっと嫌われている事を自覚して諦める気になったんですね。よかったです」
「だからちょっと」
「ああ成程。これで王女様は心の平穏が得られたという」
「さっきからひどくない?」
ちょっと感傷的になって物思いにふけっていたら、それをいいことに僕の従者たちは言いたい放題だった。
諦める気なんてないのに。言うと、二人して顔を歪めて引いている。本当ひどい。
そんな柄にもなく考えすぎてて、彼女から一瞬目が離れた時、彼女が危機に晒されて、近くにいればと後悔する事になる。
「だーれ!」
「ん? どうした?」
「ひめさまが!」