6話 青春とエレキギター
海の側に在る喫茶店を後にした私達は解散して、私は一人でアパートへと帰った。
2階建ての角の北向き、そこが私の部屋だ。私の住むアパートは木造で築五年の割りと新しいもので、白いサイディングの外壁が陽光を反射してぼんやりと映る姿が心なしか幻想的でお気に入りだ。そして何よりも好きなのが港の先から朝陽が昇る姿と、海に夕陽が沈む姿がベランダから観られる事だ。同じ太陽、同じ海なのに朝と夕で色合いを、空気を、景色を変えてしまう壮大なパノラマにいつもながら心を奪われる。
私はいつもの様にベランダから夕陽を眺めると、今日の電消で傷みそうになった冷蔵庫の中の食材を調理した。少し豪勢になった夕食を座卓へと並べてテレビを観ながら食べる事にした。溶けた冷凍食品の鯖の味噌煮に、肉団子、ハンバーグといつもなら主役級のオカズを並べて上機嫌になりながらテレビを点けた。しかし元々少食な私はハンバーグを食べた時点で満腹になって箸が止まってしまい後ろのソファーに倒れこんだ。
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風が吹き、空のビニール袋が舞い海へと落ちて、消波ブロックに引っ掛かり波に合わせて漂った。外灯に照らされた防波堤はフナムシが時折カサカサと影へと逃げた。雲に隠れながらも時折顔を出す眉月が笑うように見えている。
僕はそんな時間にいつもの様に港へギターケースを掲げてフラフラと先端に在る灯台の下へと歩いた。数分歩いて辿り着いたコンクリート壁へギターケースを下ろすとギターを取り出してチューナーを取り付けてチューニングを始めた。軽く弦を指先で弾きながら音を合わせていき全てのキーを合わせ終わると雲の間から覗く月がスポットライトの様に海辺の僕を照らし映した。
この灯台の下のコンクリート壁が僕のステージだ。
僕は音楽が好きで、ずっと親が集めていた色んなCDを聴いていた。そして小学生の頃にお年玉で中古のアコースティックギターを買って以来ずっとラジカセから流れる素敵な音達の真似事をやり続けた。鉄で出来た弦を押さえる指は痛くなり、豆が出来て破れる。それでもギターから溢れる音に魅了されて僕はギターを引き続けた。大好きだったのだ。
しかしそれに反して僕は『人』が苦手であった。人は人を傷付ける生き物だ。そしてそれは大した理由も無く行われる。例えば朝方に嫌な夢を見て気分が悪いだけでも、誰かを傷付けようとしてしまう。傷付け合うのであれば近付かないに越した事はないのだ。
――中学生の頃もそうだった。
僕が中学二年生の春頃に、学校では音楽を始める人が多くてバンドを組んでライヴをするのが流行っていた。僕は小学生の頃からずっとギターを弾いていたので、その事を何処で知ったのかは判らないがバンドへの誘いを受けた。そのバンドのリーダーはボーカルの吉坂と言う男だった。吉坂は同級生ながらもバスケ部のエースでスラリとした長身のイケメンであり、クラスの女子達から人気もあり、僕達のバンドは活動もしていないのに人気があった。僕はその事が少し誇らしくもあったし、何よりも他の人達と音楽が出来ることが嬉しかった。
バンドでの演奏となるとエレキギターやギターアンプや周辺機器が必要になり、僕は意気揚々と学校の近くの楽器店『スズモト楽器』へと出掛けた。スズモト楽器はそんなに大きな店ではないが中学生の僕からすれば夢の様な場所であった。有名なメーカーのエレキギターやベースが壁中に掛けられており、その合間の本棚には沢山の楽譜が並んでいた。その中で僕は壁に掛けられた真っ白なテレキャスタータイプのギターに目と心を奪われた。まるで初恋の様に突然に心を磔にされ、ゆっくり氷でも触るかの様に優しく触れてピックガードとボディの継ぎ目をなぞった。
その様子を見ていたスズモト楽器の若い店員はレジカウンターの台へ拡げた雑誌をうつ伏せに寝かせて立ち上り
「君、テレキャスター好きなの? 良いよね。音がキラキラしているんだよ。弾いてみる? 」
そう言って屈むと、ソフトケースから赤いボディのテレキャスターを取り出して僕に差し出した。緊張する気持ちとは裏腹に僕は手を伸ばしていた。まるで砂漠の中央で水を差し出された様に夢中で握り締めて、ネックに挟んだピックを摘まんで弦を鳴らし、気付けば僕は自分の知っている曲を3曲も弾いてしまっていた。店員のお兄さんは僕の演奏を真剣な顔で聴いて
「これは驚いた。君、中学生だろ? 俺より上手いよ。」
僕は照れ臭くて苦笑いしながらテレキャスターをレジカウンターの台へと置いた。店主はテレキャスターを握るともう一度前へ差し出し
「コレやるよ。何か君に貰って欲しいんだ。君ならコイツを俺なんかより上手く使いこなせると思うんだ。」
「えっ、良いんですか? 」
「良いんだよ。俺も東京で諦め着いたし、ちょうど音楽辞めてさ。海辺で喫茶店でも開いて小説でも書こうと思っていたんだ。だから良いんだ。それより頑張れよ少年。」
僕がエレキギターを受け取ると、店主は微笑んでギターケースとその周辺機器を続けて僕へ渡した。そして笑いながら
「ソイツはやるけど、アンプやエフェクターは自分で買いなよ。」
僕もその事が嬉しくて笑顔で激しくヘッドバンキングの様に頷いて、店員のお兄さんのお薦めのギターアンプを購入した。それから僕はエレキギターを家で無我夢中で弾き続け、何度も指の皮が剥げながらもテーピングを施して更に弾き続けた。
それに比べてバンドは練習もせずに秋の文化祭でステージへと立つ流れになり、吉坂は更に女子達に囲まれて調子に乗っていた。僕はその音楽に対する冒涜に似た姿に、腹の中でなんとも言えない不快感を溜めた。それでもバンドを成功させる為にスズモト楽器の音楽スタジオでの練習を呼び掛けた。
次の日曜日に僕達バンドメンバーはスズモト楽器へと集合した。ギターの僕にボーカルの吉坂、ベースの沢木に、ドラムの前田、キーボードには唯一女子の加東さんが居た。そのメンバーで初めてのバンド練習が始まることとなった。音楽スタジオはレジカウンターの後ろに在るドアから入る様になっており、僕はレジをチラッと見たがもうそこには若い店主は居らず、少し寂しい気持ちもしたが気持ちを切り換えてバンド練習に向けて気合いを入れた。スタジオでは外扉と内扉の二重扉になっており、僕達は余所余所しくキョロキョロとしながら中へと入った。




