40話 私と君と暗闇で
朗次は不安そうな私を見ると一気にソーセージを巻いたトーストを口に入れ、立ち上り口をモゴモゴさせながらカウンターの奥へと入って行った。私はそんな朗次を目で追いながらトーストをスープで流し呑み、オムレツをスプーンで切り取って取り皿へと乗せた。そして私がオムレツを口へ運ぶタイミングで朗次はアコースティックギターを2本抱えて再び現れた。
朗次はギターの一本をサトルの上へ置くと、手に持ったギターへチューナーを着けチューニングを始めた。直ぐに音を合わせてギターを弾きだし、それから何かの曲のイントロを弾き始めるとAzamiの顔色が変わった。そしてイントロが終わるとAzamiは優しい口調で歌い始め、店内に穏やかな風が吹いた。そしてBメロへ入ると躍動するために身を屈める様にキーが落ちると一気に跳ね上がりサビへと入り、開いた全身の毛孔や皮膚の隙間へと入り込む様に音が流れてくる。それは微弱な電流が全身を廻る様に私は震えた。
Azamiが歌い終わると朗次のギターはアウトロへと穏やかに幕を閉じていき、最後のストロークの際にAzamiと朗次は目を閉じて音に合わせて頭を下げた。
曲が終わるとAzamiは朗次へ高く手を差し出して二人は手を打ち、Azamiは
「朗次がこの曲を知っていたなんて。」
「良いでしょ? Azamiさんのデビュー曲。この頃からずっと良いボーカルだと思ってたんです。」
朗次は少し自慢気にAzamiへ答えた。いつも気丈なAzamiは少し恥ずかしそうに
「そんな奇特な人もいるのだな。ありがとう。」
「好きになるのに理屈は無いです。しかし曲は有るんでこれからライブをやりましょう。時間の区切りが無い以上その時に、僕達は一時間はやれますからその間に紬ちゃんはtime write君を起こしてください。そしてサオリちゃんとタクヤ君はこれから町の人達へ宣伝をしてもらえますか? 」
朗次の言葉に各々が少し戸惑い動きを止めた。Azamiは突如仕切り出した朗次へ食って掛かる様に
「そんないきなり今からで一時間もやれる曲があると思うのか? 電気が無くて曲も聴けないこの状況で。」
そう言うと、朗次はギターをポロンと鳴らすとまた別の曲を弾き始めた。するとAzamiはハッとなりそれを見て朗次はニヤリとした。そして朗次は言った。
「知ってるよねこの曲も。Azamiさんの聴いていた曲は大体弾けるから向こうでセットリスト作りましょうか。」
Azamiは朗次の言葉に顔を綻ばせ頷いた。そしてAzamiはテーブルのスープを飲むと少し厳し気な目を私へと向けて
「ツムギ君、私は朗次と二人で君達の前座を引き受ける。time writeを必ず目覚めさせてくれよ。アイツには腹立たしくも有るが君の事は応援しているぞ。」
そう言って立ち上がると、背を向けながら私へ手を振りカウンター奥へ入って行った。すると食事を続けるタクヤの腕へサオリは肘打ちして
「私達も早速行くわよ!電気も無いし、私が大声で宣伝するからタクちゃんは自転車漕いでよね。」
サオリはタクヤの腕を掴んで立ち上り、ランプの灯りに照らされながら笑顔を私に向けて
「宣伝は私達に任せてツムリンは必ずライブやるんだよ。」
そして白くて華奢な拳を前に突き出して来たので、私はその拳に軽く拳を当てて微笑んだ。するとサオリは親指を立てるとタクヤの腕を引いて店の外へと出て行った。
私は寝ているtime writeと真っ暗な喫茶店内で二人きりになった。ランプの灯りに照らされたtime writeの顔はオレンジ色に陰影を付けて静かに美しく、まるで人形の様に動かなかった。私はそんなtime writeに私の心の中を伝えたくて、想いが近付く様に静かに額に額を合わせた。
「ずっと探してたんだよ。君のこと...... 」
ただtime writeの呼吸の音だけが聴こえる静かな部屋で、私は彼へ聴こえているか判らない大きさの声で話し掛け続け
「ねえ君の事をもっと知りたいの。目を覚まして教えてよ。」
そう呟いた。そして私は目を閉じた。静かなこの部屋は余計に静かになり、私の心臓の鼓動と彼の呼吸の音だけがこの木俗の建物へ染みるように広がった。彼の呼吸が私の呼吸と重なり、私の鼓動と彼の鼓動が重なり私達は暗闇の中でただ目を閉じた。
私は目を開こうとすると意識が何かに引き摺り困れる様に感じた。自分の感覚が細くなっていく。綱のように、それから紐のように、そして繊維のように彼の中へ入って行く感覚へ。そこは真っ暗でただ星空だけが有った。どれも私の見た事のない配列で神話や伝説の関係ない列びでただ瞬いているだけのキラキラとした光の粒が散らばって、とても静かで、とても綺麗で。
暗闇だけれど自分の手を眺めればハッキリと手が見える。
私は見える事を確認すると周りを見渡した。私の考えが合っているのならここにtime writeは居ると思ったからだ。私は暗闇の中を真っ直ぐと歩き出した。感触の無い地面を蹴って少し走るように早足で向かった。私が移動しているにも拘わらずに星空は同じ形のままで違和感はあったが歩き続けた。こんなに早く歩き続けても息も切れない、まるでここは私の夢の中みたいだ。
そして変わらない景色の中を歩き続けると徐々に暗闇はタイルの様に小さな四角い塊になりポロポロと崩れていった。その剥げた暗闇からは、少し薄暗い空がチラチラと映っている。
「これは夢なの? 」
私は独り言を呟くと、うっすらと透き通った歌声が遠くから聴こえてくる。耳を澄まして歌声の方向を確認すると暗闇が剥げ落ちた空に所々が暗闇に隠れているが大きく真ん丸な月が輝いていた。その月に照らされて暗闇が剥げ落ちた空は少し明るさを孕んでいたのだ。私は確信に似た気持ちを持って走り出した。真ん丸な月へと向かって。
走れば走るほど暗闇のタイルはポロポロと落ちて行き徐々に景色が変わっていく。そして全ての暗闇が剥がれ落ちて月の輝く夜の海辺へと姿を変えていた。
「この景色って...... 」
私とtime writeが出会った。いつもの私の町の海辺だった。静かに揺れて消波ブロックにぶつかって消えていく波の音、磯の香り、真っ直ぐに建つ灯台。きっとあそこにtime writeが居る。私は立ち止まり緊張を呑み込んで一歩前に出た。




