4話 電消と海の近くの喫茶店
先ず、顔を洗おうとしても水が出ない。そして蛍光灯も点かない為に、薄暗くてよく周りも見えない。私とサオリはこの薄暗い中で簡単に支度を済ませると急いでアパートの外へと出た。
違和感は徐々に確信へと変わっていく。
真夏の太陽が中心高く上がる炎天の中で、道には車が一台も走ってなかった。音が少ない。波の音と蝉の鳴き声だけが響いている。
やはりこの状況の変異に町では人々が家の外へと出て、立ち話しをしている。私はもう一度ショルダーバッグからスマートフォンを取り出すが相変わらず電源は入らない。何かがおかしい事にサオリは顎に手を当てて真剣に考えている。
「サオリ、もちろん停電じゃないよね? 」
「スマホは停電とは関係無いでしょ。」
「車も走ってないし。」
「もしかして...... 電気が無くなったの? 」
サオリは周りをキョロキョロと町を見渡して、私も連れて見ると町の信号機が消灯している。自動販売機すらも止まって、港では船を出せずに漁師達が集まって話し込んでいた。私は近所のコンビニへと行くが、全ての冷蔵庫が止まって店員達がアイスクリームや冷凍食品をゴミ袋へと次々入れて、一人の金髪の店員が
「お姉さんすみません。この通り、店内の電気が全て切れちゃってレジも打てないで閉店してるんです。」
そう言って頭を軽く下げると、廃品の処理へと戻って行った。私はサオリの所へと戻り
「コンビニもやってないんだって。」
サオリは溜め息を吐いて、私の言葉に頷くとそのまま歩道の柵へと腰を掛けて
「停電でなくて電気が消えるってどんな状況よ。」
そう呟くとポンっと跳んで立ち、全てを吹っ切った様な顔をして港の方へいつもの凛とした姿勢のままで歩いていった。私はそんなサオリの後ろをテクテク付いて行った。すると一般的な家庭用自転車に乗った髪の短いスポーツマン風な男が額に汗を流しながら
「サオリ! やっぱり紬ちゃんと居たのか。この停電で心配になって捜してたんだよ。」
その男はサオリの彼氏のタクヤだった。タクヤはラグビーの推薦入学で私達と同じ大学へ通う好青年で、逞しい身体とは裏腹に凄く気を使う人間で、そこがサオリからすると『可愛い』所だったらしく二人は交際していた。
「タクちゃん。汗だくじゃない。」
サオリはバッグからタオルを取り出してタクヤへ渡すと
「今からとりあえずそこの喫茶店へ行くから一緒に行こ。ツムリン、タクヤも一緒に来て良いよね? 」
「せっかく紬ちゃんと遊んで居たのにごめんね。」
そうタクヤは大きな身体を小さくしながら私に謝っている。私は気を使われたことに恐縮しながら
「いえ良いんですよ別に二人きりじゃないと嫌だとか、そんな遊び方はしてないですから。」
そう答える横でサオリは私もタクヤも気にせずに喫茶店へとスタスタと向かった。喫茶店はこの様な状況の中でも運良く開いているらしく入り口には『open』と書かれた看板が掛けられている。サオリは思いっきりドアを開いて中へ入り、私とタクヤは顔を見合わせて首を傾げてサオリの後へと続いた。
喫茶店の中は薄暗いが大きい窓から射し入る陽光で木製のハンドメイドのテーブルや椅子が並び、それぞれテーブルの中央にはこれでもかと黄色い向日葵の一輪挿しが有った。そしてカウンターにはシックな内装に似つかわしく無い大きな液晶テレビが置かれ、その横で無精髭を生やした若い店主が小さい声で
「いらっしゃいませー。」
と呟いた。サオリは窓際のテーブル席の椅子へバッグを掛けると座って向日葵の花を優しく撫でた。そして私とタクヤも席へと着くと店主はお冷やを3つテーブルへ置いて
「すまないね。電気使えないから水出ししか出来ないよ。」
店主のその言葉にサオリはガッカリとした表情で
「えーっ!? 水だけ? コーヒー飲みたいんだけど。」
「違うよサオリ。水出しってアレよ、水出しコーヒーよ。コールドブリュー。」
「えっ、あっ、そうなの? すみません。その水出しコーヒー3つで。」
店主は私とサオリのそんなやり取りを見て、微笑みながら
「そうだね。水出しって時間かかるからお店じゃあまり出さないしね。」
そう言ってカウンターへサイフォンを置くとコーヒー豆を挽き始めた。手動式の古いコーヒーミルのハンドルを労る様にゆっくりと回して、ガリガリと音を立ててコーヒーは粒状へと変わっていった。そして挽いたコーヒー豆をフィルターへと入れるとサイフォンへ嵌め、コーヒー豆に水を優しく馴染ませ更にフィルターを敷いてウォータードリッパーから水滴を落とし始めた。私はその姿をボーッと見ている。
しかしゆっくりとポタポタ落ちる水滴になかなか抽出されたコーヒーは出来てこない。それに気付いたサオリは
「そのコーヒーって出来るまでにどのくらい時間掛かります? 」
と訊ねた。店主は微笑みながら
「まともに作れば五時間ぐらい掛かりますね。でもこれはストック用なんで大丈夫ですよ。」
カウンター下へしゃがみ込むとコーヒーの入ったボトルを取り出してグラスへと注いだ。そして私達のテーブルへと運び一人一人の前へと置いてカウンターへと戻り、店主は椅子へと座りノートを広げると鉛筆で何かを書き始めた。サオリとタクヤの会話も気にはなるが何故か私は店主の行動が気になってしまい、水出しコーヒーを飲みながら店主の行動を目で追った。しかしそこから得られる情報は特に無くテーブルの向日葵へと目線を移した。
タクヤは大きな身体で小さい椅子に座っているので、座り心地が悪そうに何度も腰を浮かせながらサオリへ話し掛けていた。
「これが停電じゃないってどう言う事なんだ? 実際に街は電気が消えてしまっているじゃないか。」
サオリはタクヤへスマートフォンを取り出して見せ
「ほら見て。スマートフォンはバッテリーでしょ。それも動かなくなっちゃってるんだから停電とは違うのよ。」
「そうなのか? 俺、スマホ見て無いから気付かなかったや。」
「えーっ!? スマホで連絡もしようとせずに自転車で私の事を捜したの? バカなの? 」
「いや、なんか心配になって気付いたら飛び出してたんだ。」
タクヤは小さい椅子の上で大きな身体を小さくして、恥ずかしそうに下を向いてグラスを手に取りコーヒーを口にした。私とサオリはそんなタクヤが可笑しくて二人で目を合わせて笑った。その時にカウンターでは店主がコンロでマッチを擦り、火を着けて何かを焼き始めて、店内にはバターの甘い香りがゆっくりと広がっていった。




