37話 常識と恋心
暗闇の中で男達の一人がタクヤの首元を掴んでいるのが判った。そしてもう一人が
「そっちに居るのは女性でしょ? 早くお金を出せばあんただけ助けてあげるから出しなさいよ。」
タクヤはそんな言葉に物怖じせず
「君達みたいなのに払うお金何か有るはずないだろ。」
すると一人の黒い影がタクヤの顔を殴り、ゴスッと鈍い音が響いた。私は何も見えないのに恐怖から目を閉じたが音だけは聴こえてくる。
「僕は100kgを越える男が全速力でぶつかってくるのを止めているんだから、君達みたいな鍛えもしてない奴の拳が効くわけないだろ。」
その言葉の後に、衝撃音と共にアスファルトの上を何かが転がる音がした。そして
「紬ちゃん、もう大丈夫だから早くtime writeを探そう。」
私が持っている自転車が軽くなり、私は目を開くとスカートをたくし上げて自転車の荷台へと乗った。タクヤは何事も無かったように自転車を漕ぎ始めて私達は国中町の駅の前を通り過ぎた。そしてドラッグストアらしい黒い塊を通り過ぎ、公園へと曲がる交差点へと辿り着いた。
そこで私は有る事を思い出して
「タクヤくんちょっと待って! 」
そう叫んで自転車の荷台から飛び降りた。私は着地に失敗して地面の上に転がり、傷だらけになりながら立ち上がった。しかし真っ暗で何も見えずに私は手探りで壁を探した。タクヤは慌てて自転車を停車して激しいブレーキ音が響いた後に
「紬ちゃん危ないよ。大丈夫か? どうしたんだよ! 」
「私、思い出したの。ここがきっとtime writeの家なの。私は会っていたのtime writeに。『時垣』で『時書き』だったんだ。」
私はタクヤの問いに答えると壁を見付けて、それを伝いながら歩いて門の所まで表札の文字を指でなぞった。そして私は引き寄せられる様に玄関の前へと立ち、鳴るはずもないインターホンを一度押した後にドアをノックして
「ごめんください! 私『糸島紬』って言います! 大事な用があるんです! 」
そう叫んだ。しかし中からは何の返事も無く私は恐る恐るドアノブへと手を掛けて回すと鍵も掛かっていなかった。私はもう一度
「ごめんください。どなたか居ませんか? 」
そう大きな声で言ったら無言のまま廊下をギシギシと音を立てて誰かが近付いてきた。私は少し身を固くして窺っていると、一人の女性が灯りを点した蝋燭を持って近付いてきた。
「こんな緊急事態になんの用なの? あら? 若い女の子。あなたはどちら様? サトルのお友達? いえサトルにお友達なんて居るはず無いわよね。」
私は彼女の言葉からtime writeの母親であると感じた。息子の友達の存在を否定している事から、息子には友達が居ない事情があるのだと考えられた。私はどうしてもtime writeに会いたくて
「私は糸島紬と言います。彼と知り合いです。たまに隣町の海辺で会って居たんです。」
「そちらの後ろの男の子も? 」
「いえ。彼は私の付き添いで来てもらっています。」
「そう、それで貴方達はサトルになんの用があって来たの? 」
「彼とライブがしたくて打ち合わせに来ました。」
「こんな大変な状況でライブなんて出来る訳ないでしょ。それにサトルは最近酷い目に遇ってそれどころじゃないのよ。悪いけれど今日は諦めてください。」
彼女の手に持った蝋燭の灯りは柔らかくも冷たい明りで、いや彼女の冷たい表情からかもしれない。私は頭の中で色々と考えはしたが何も浮かばずに頭では無く心に尋ねた。私は暗闇の中で一人、自分の心の中へと向き合った。その時に何故か私の心の中に一人で佇んでいるtime writeの姿が映った。私は彼を抱き締めたくなった。孤独で寂しくて儚い彼の虚像に寄り添いたかった。
「こんな世界が変なのに、変な子が一人増えたって問題ないよね。」
そう呟くと私はスニーカーを脱いで走って家の中へと入った。彼の母親は慌てて止めようとしたが暗闇と蝋燭を持っている事もあり
「あっ! 勝手に上がっちゃ...... 貴方も止めて! 」
と言葉も空を仰いで、私は全てを投げ出して他人の家の中を走った。間取りなんて解らないけれど勘は私を彼の部屋まで運んでくれる。玄関から廊下を通り、左手の階段を上がると右手に一つのドアが目に入った。私はドア開けると部屋は真っ暗で何も見えない。手探りで前へと進むとカーテンに手が当たり、闇雲にカーテンを開けると月明かりが射し込んで部屋の中は青く照らされて全貌を映し出した。
窓の直ぐ傍にソファーがあり、そして机があり、ベッドが有る。そしてそのベッドの上に目を瞑り動かない一人の青年が横たわって居る。顔に絆創膏を貼られているが綺麗な顔をしているのが判る。間違いなく以前この町で見掛けた彼だ。私は彼に会いたくてどれ程の日々を過ごしただろうか、そしてどれだけの人達と出会い、どれ程の想いを重ねて行動を重ねて来たのだろうか。その様な想いが溢れて、涙腺を通り目から目尻を通り零れ落ちた。頬の冷たさにも目をくれずに私はtime writeの頬を撫でた。
温かい。
私は溢れる涙を拭う事もせずにtime writeの頬へ手を当てたまま
「ねえ。起きて。私、貴方と一緒に歌いたくて一生懸命練習したの。あの時に貴方と出会って顔も名前も知らないままで。聴こえてる? 起きて。」
しかしtime writeはピクリとも動かずに、喋らずに、ただ呼吸の音だけが聴こえてくる。私はそれでも諦めずに彼の顔を眺めていると、母親とタクヤがこの部屋へとたどり着いた。母親は私へ
「人の家に勝手に上がって何をやっているの? サトルは寝ているのよ。非常識にも程があるわよ。」
私は薄暗い部屋の入り口に立つtime writeの母親の顔を見た。私は立ち上り
「彼は、サトル君はいつから寝ているんですか? 」
そう訊ねたが、母親は答えられずに
「それが何の関係があるの? 貴女のやっていることは犯罪よ。」
私はその言葉に何故か苛立ちを感じて
「私がtime writeを...... サトル君を必ず目覚めさせます。私は彼が必要なんです。タクヤくん手伝って! 」
とか細く話しながら徐々に語気を強めて大きな声を出して、寝ているtime writeの腕を取り抱えあげて自分の肩へと回して起こし上げて立ち上がった。time writeの身体は重くて私はゆっくりと引き摺る様に歩いた。




