35話 焚き火と朝の夜
強くドアを叩く音に私は身構え、私を抱き締めたサオリの身体にも力が入った。しかしその不安は思い違いで直ぐにドアの向こうから
「おは...... いや今晩は? うん。とりあえずタクヤです! サオリ居るだろ? 」
とサオリの彼氏であるタクヤの声がした。私を強く抱き締めていたサオリは力を抜いて立ち上がり、入り口のドアへと駆け寄った。暗くて判らないが、ラグビーをやっているタクヤのガッシリとした大柄なシルエットだけは理解できる。そしてこの電気も無くずっと夜と言う事態に体力の有るタクヤの存在はありがたかった。人間が暗闇の中で居れば精神が不安定になり、そうなった時にはまたこの世界はどうなるのか判らない。昨晩は花火などをやり気を紛らせたが実際の所だと電気が無ければ公共の機関は何も動かずに犯罪が増える事も予想される。そんな時に腕力の強い人間は頼りになるのだ。
サオリはいつもの様に振る舞っていはしたけれど、本当はこの事態に不安を抱えていた。ドアを開けたタクヤへ直ぐに抱き付いて、それから音を立てずにずっと黙っていたが時折漏れる鼻を啜る音に泣いている事を覚った。タクヤはそんなサオリを気遣い
「俺が居るからもう大丈夫だよ。」
と一言だけ言うとそこからは静かに抱き締めていた。そして落ち着いたサオリは時々鼻を詰まらせながら
「きっとタクヤならどんな事があっても私を捜し出してくれると思ってた。」
とタクヤへの思いを口に出していた。私はそんな二人へ気を使い、ベッドの毛布へくるまり静かに行きを殺していた。するとそんな私へ気を使ったのか
「サオリは不安になると紬ちゃんと一緒に居るから直ぐに判ったよ。紬ちゃんもサオリと一緒に居てくれてありがとう。」
そう言うと真っ暗な私の部屋へサオリとタクヤは手探りで入り、ソファーへ腰を下ろした。私は起きているのがバレたのかと思いながらベッドへ腰掛けて
「女二人の状況でタクヤ君が来てくれて本当に助かった。ありがとう。」
とお礼を言った。タクヤは
「いいよ気にしなくて。それよりもこれからどうするかだよね。明かりも無いし、腹も減ったし。」
と言って笑っている。私は暗闇の中を手探りで台所へ行き、以前Azamiから貰った缶詰を取り出してそれと割り箸を探してサオリとタクヤへ手渡した。
「良かったらこの缶詰を食べて。こんな事態だけれどお腹空いてたら動けないからね。」
と渡すと、タクヤとサオリは「ありがとう。」と受け取り缶詰を開け始めた。満腹とはならないが大きめの鯖の水煮缶だったので私達はそこそこお腹も膨れて少しお腹と気持ちが落ち着いた。しかし体の大きなタクヤがそれで満足するとは思えず、私は台所から食パンを持ってきて更にタクヤへと渡した。
「こんな状況でこんな物しかないけど。」
と渡したがタクヤは
「身体を動かす為には炭水化物が必要だから助かるよ。」
と食パンをそのまま食べ始めた。幸い夜がずっと続いて居るので涼しく、私達は朗次とAzamiが待っているであろう海辺の喫茶店へと向かった。アパートの外へ出るとやはり夜だ。それも昨日と同じ位置に星や月も在るのを見て、時が止まってしまったようにも感じた。海側から涼しい風が通り抜けて清々しくも感じるが、商店街や住宅の方から叫び声が聴こえる。
「何でずっと夜なんだ? 」
と言葉も聴こえるが、大半は「あああー。」や「ううううー。」と獣の様な唸り声を挙げて私達は不安と恐怖に駆られた。私とサオリは自転車を押して歩くタクヤから離れないように後ろを付いて歩き、周囲に危険がないか周りを見渡しながら歩いた。人間は太陽を浴びていないと、精神的に不安に陥り恐怖に飲まれて行く。そして不安や恐怖から人は暴力的になって行く。もう既に何軒か火を着けられたのか火事も起こって、そこへ無数の人影が見えるが声も出さずにただ取り囲んで眺めている。もうどうして良いのか判らないのだ。実際に私達もどうして良いのか判らないのでその気持ちはなんとなく理解できた。
そして私達は海辺の喫茶店へ辿り着くと、朗次とAzamiは二人で焚き火をしていた。朗次は焚き火の中から炭だけを取り出して、その火で調理をしていた。Azamiはその横で火を見つめながら温かい飲み物を飲んでいたがこちらに気付くと
「おお、君達も来たか。それにサオリ君の彼も来たのか、こんな事態に体力のある君が居ると助かるよ。」
すると朗次も
「丁度今、店内の傷みそうな食材をここで焼いて調理していたんだよ。たくさん食べそうなタクヤくんが来てくれて良かったよ。」
そう言いながらタクヤへ串に刺して焼いた大きなソーセージを手渡した。タクヤはそれを受け取り「ありがとうございます! 」と食べ始めた。私達は焚き火を取り囲んで、腰を下ろして焼けたベーコンやパンを貰い、食べながらこの状況について話し始めた。ずっと輝き続ける丸々とした月の下で。
私はこんがりと焼けたトーストの上にバターを塗り、その上にカリカリに焼けたベーコンを乗せた。そしてそれをひと口噛るとパンの持つ自然な甘味とバターの香りが合わさり、その上にベーコンがアクセントを出して至福な気持ちになった。サオリはロールパンの真ん中を割ってハムを挟みながら
「まだ一日しか経っていないのに、電気も無くてずっと夜ってキツいですね。」
そう弱気な言葉を言うと、朗次は空を見ながら
「この夜って何処までが夜なのかな? 逆に地球の反対側はずっと昼なのか気になるね。Azamiさん、いっそのこと何処までが夜か確かめる旅に出ようか? 」
「きっと何処までも夜なんだろう。そんな気がするよ。」
Azamiは思いの外ネガティブな返事をしていた。タクヤはソーセージを齧りながら
「だけどこれもやっぱりおかしいっすね。」
「タクちゃん、何がおかしいのよ? 」
「こんなに夜が続いていたら普通ならもっと寒い筈だよ。ずっと太陽に当たってないんだからさ。」
「そうだよね。やっぱり電気が消えているのに私達も動けるし、夜が続くのに寒くないのも都合が良すぎるのよ。」
私はタクヤとサオリの会話へ割って入った。私の中でずっとこの状況はモヤモヤするものだったのだ。夢みたいに非現実な出来事なのに夢では無くて、その割には中途半端に理路整然としていない状況に業を煮やしていたのだ。




