33話 怒りと恋心
朝になると私とサオリはAzamiの駄菓子屋へと出掛けた。朝だと言うのに暑い陽射しに汗を滲ませながら駄菓子屋へと辿り着いたがAzamiはまだ起きて居らず、私とサオリは店の前のベンチに腰を下ろした。
ベンチは日影になっていて少し涼しく時折吹く風を少し冷たくも感じた。
それから程なくしてAzamiは目を覚まし、三人で海辺の喫茶店へと向かった。そしていつもの様にボーカルレッスンを終えて遅い昼食を取り四人で談笑を交わしていた。朗次は食後にサービスで私達へドリンクを差し出し、私達は夕方に差し掛かる中でこの時間を楽しんでいた。サオリは
「昨日は私の部屋に泊まったから、今日は私をツムリンの部屋に泊めてよね。」
とお泊まりセットを私の目の前へ見せ、私は
「良いけど本当にサオリ、準備良すぎ。」
そう笑うとAzamiや朗次も笑っていた。すると、突然Azamiのスマートフォンがメッセージの着信音を鳴らした。会話の隙間に鳴った音に皆がAzamiへ注目すると、Azamiは眉をしかめてスマートフォンを円いテーブルの真ん中へ置いて
「これtime writeからのメッセージなんだが見てくれないか。」
画面の上にはtime writeと書かれていてその下へメッセージが続いていたが、一番新しいメッセージの所で
『Azamiさんごめんなさい。僕はもう無理だ。音楽も、生活も、僕自身で居る事も。月の下での契約は解除させてください。返事は要りません。』
そう書かれていた。Azamiは眉間に皺を寄せ目を吊り上げながら
「音楽依然に一方的な物言い。コイツは私を馬鹿にしているのか? 音楽を馬鹿にしているのか? 自分の重ねて来た事を馬鹿にしているのか? ツムギ君こんな不愉快で情けない男の事なんて忘れてしまえ。君にはもっと相応しい男が居るだろう。」
そう私へと言い放った。私はAzamiの底知れない怒りを瞬時に理解した。一方的に音楽とAzamiとの約束と、自分の人生を投げ出す様なコメントの上に対話すら捨てたのだから。私はどう言って良いのかも判らずにアイスコーヒーのストローへと口を付けた。
その瞬間にこの海辺の喫茶店内のテレビや蛍光灯の全ての電気が消えた。それだけならば私達は今まで何度も経験してきた。
しかし私達を襲ったのは有り得ない。絶対に有ってはいけない、全ての経験やルールを破壊してしまう出来事であった。
さっきまで夏の太陽は黄色味を帯びて夕方に差し掛かって、それでも外は陽炎が立つ程の暑さで海の上で煌めいていた。しかしそれは海へ沈む事も無く突然に消えて、夕暮れを通過せずに世界は一気に夜へと為った。いや成ったのか。
真っ暗に成った店内で椅子から立ち上がる音だけが響き、カウンターで朗次が手探りでオイルランプへ灯りを点けてやっと周りが見えてきた。現状を確認するために私達が店外へと出るとそれは太陽が消えたのではなく、災害や、事故でもなく夜が在った。ずっとそこが夜であったかの様になに食わぬ顔で星々は瞬いて、月明かりが柔らかく全ての物の輪郭を青く染めていた。
さっきまでのAzamiの怒りも忘れてしまう程に奇妙奇天烈な出来事である。さっきまで昼過ぎだったのが夜になったのだ。サオリは突然の事に頭を抱えてしゃがみ込み
「ねえ。私達は頭がおかしくなったのかなぁ? ツムリン。」
「そうだよね。ある筈無いよね。急に夜になんて。」
「ある筈なくても今目の前が夜なのだよ。私達はこれをどう受け止めるべきなんだ? 」
慌てる私達の後ろで朗次は落ち着いて店内へと戻り、手に火の点いた蝋燭を持って
「せっかく夜なら夜を楽しみましょう。ほら花火です。」
ともう片方の手には花火セットを持っていた。余りの用意の良さに私達は目を合わせて吹き出して笑うと朗次はニヤリと笑い花火セットの袋を開けながら
「いやいや、次に電気が消えた時にでもやろうと買ってたんですよ。」
と嬉しそうにしていた。そして私達へ手持ち花火を配りだし、Azamiとサオリへと渡したあとに私の手へ花火を私ながら優しくも力強い目で、静かだけれど響く声で
「紬ちゃん。君はもう決めているのでしょう。そんな時は止まってはダメです。君の事なのだから誰の言葉でもなくその答えが出るまで君が走らないと。」
そう言うと、朗次は蝋燭の蝋を垂らしてその上に蝋燭を立てて、手を差し伸べ私達へ火を点ける事を促した。すると私と朗次の事など知らずに待っていましたとばかりにサオリとAzamiは手に持った花火に火を点けて、弾ける彩りの良い火花に歓声を挙げた。
黄色い火の周りに青い火花が弾け、そこへ赤い外輪が巡り、様々な色の火花はまるで一節の物語の様に進む。
私も手に持った花火を選んで火へと潜らせ、赤い炎が灯ると黄色い火花が弾けた。火薬の焼ける臭いが鼻を擽り、明かりだけが目に残り瞬きした瞼に映る。そして数秒で消えて余韻と香りを残して雅さの裏に儚さを見せた。そして朗次の言葉を思い返しながらも、また次の花火へと火を点けた。バケツに汲まれた水へと終わった花火を入れていく。朗次はあんな言葉を口にしたにも拘わらずに花火をくるくる手元で回しておどけてみせ、それを見たAzamiは楽しそうに笑っていた。私はこの泰然自若とした柔らかい物腰の朗次だからこそAzamiの心を掴んだのだと一人で納得していた。
私は一本の線香花火を取り、蝋燭の火へ当てた。小さい髪の毛ほどの火花がパスパスと鳴り、赤く尖った穂先は徐々に燃えて赤い玉になった。そしてパチパチと火花は強く花開き玉は小さいながらも灼熱の様相を見せたと思ったら、呆気なくポトリと落ちた。まるでその線香花火が燻ってそのまま燃え尽きてしまいそうな私の心影と重なり、無意味な感傷と喪失感に囚われてしまった。
花火の様に一瞬輝いては消えてしまう程度の想いなのか? 恋を知らない私のただのミーハーな気紛れなのか? 私は自問自答しながら花火の燃え殻をバケツへと入れた。チュッと音を立ててバケツへ浮かんだ線香花火を見ながら、私は私の想いを肯定した。私はどんな状況だとしてもtime writeに会いたい。それが思い込みや勘違いだったとしても私の中の想いは消える程度のものでは無いのだ。
私達はこの暗闇の中で、突然の夜の中で、突然の月下契約解散の中でも笑い合う事が出来た。




