31話 写真と風景
高台の公園から見渡せる風景は夏をまざまざと見せ付けて、その風景をこれ見よがしに記憶へ叩き付けた。私はこの風景を固定するようにベンチに腰を下ろして静かに、動かずに眺めた。
ここであった。
私はスマートフォンを見て確かめる事なくここがtime writeの撮影した景色だと判った。全てが風景と成ってしまう。山々も木々も、海も波も水も、海辺のコンクリートと砂浜も、それをギラついて照らす太陽も、それを包む空も、その下で人々が暮らす町も、そして行き交う人々も、それらを抜ける風も全てが風景となり心へと入り込む。そして私もいつの間にか風景の一部としてこの中に居る。きっと彼もここに座ってこの風景を心の中へ切り取ったのだ。
私は少しの間この風景を楽しむと、本当にこの近くにtime writeが住んでいるのだと実感を得て少し微笑んだ。そして下に広がる町を見ると、この中で彼が暮らしているのだと思い愛しく思えた。何気ない物であったとしても彼が関わってくるとそこへ愛着が湧いてくるのに戸惑いながらも優しくなれる自分が嫌では無かった。私はそんな得体の知れない気持ちのままで立ち上り、もう少し散策することにした。
急な階段を降りて歩くと先程の買い物袋の彼の家の前を通った。気になった私はチラリと見ると門の表札に『時垣』と書かれていた。
「ときがきって言うんだ。珍しい苗字だよね。」
そう呟いて、そのまま歩いて町の周辺を散策した。しかし夏の太陽は昼に近付くと暴力的な暑さになり、アスファルトの上は陽炎が踊っている。歩き易いようにスニーカーで来たのは良いが、暑くて歩き続けるのは危険だと感じた私は交差点を海側へと進み小さい喫茶店へと入った。その喫茶店は海辺の朗次の喫茶店とは違い、モダンな雰囲気の中で一人の初老の男性が営業していた。私はテーブル席へ座るとスラックスに白いシャツのその店主がメニュー表とお冷やを持ってきて
「いらっしゃいませ。ご注文が決まりましたらお呼びください。」
と一言挨拶をすると私は
「アイスコーヒーを一つください。」
と間髪入れずに注文して、店主はにこやかに、静かにお辞儀をしてカウンターへと戻って行った。私は待ち時間にスマートフォンを開いて『月下契約』の動画チャンネルを開いた。するとそこには新しい動画が投稿されていて私はバッグから急いでイヤホンを取り出して付けた。
私はウキウキとしながら動画の基本情報へ目を通した。歌詞の感じでは海へ向かう少女へ優しく寄り添う月明りの様な歌であった。何故かそれはtime writeへ会いに灯台の下へ行く自分と重ね合わせてしまった。そんな世の中が自分中心ではない事は解っているが、この歌の少女は自分ではないのか? とすら思えてきた。
そんな事を考えている内に店主は私のテーブルへアイスコーヒーと付け合わせにチョコレートを一つ置いた。そして
「どうぞごゆっくり。」
と優しく微笑み軽くお辞儀をした。私も合わせて頭を下げ
「ありがとうございます。」
と礼を言うと店主はもう一度軽く頭を下げてカウンターへと戻って行った。私はアイスコーヒーへガムシロップとミルクを入れてストローで混ぜるとひと口飲んだ。暑い中で歩いていたせいで渇いた喉をアイスコーヒーは潤してくれた。そしてイヤホンを耳に当てると月下契約の動画の再生ボタンをタップした。この瞬間がいつも新しい物語を待ち望んでいる私には最高に楽しい時である。イントロの感じで物語の陰陽を思い浮かべて、歌い出しの所で幕が上がる感じがするのだ。
そして月下契約の動画にはアニメーションも有るので、そのアニメーションを音楽に合わせたカット割りで流している。それはまるで一つの劇を見せてもらっている気がした。涼しい所でtime writeの創った新曲を聴けるのが、私には凄く贅沢な時間だった。新しい物に触れる時にはいつも新しい自分を見る感覚であり、それは新しい世界を創っている様であった。私は集中して歌の世界へと引き込まれていく。私は今、海へと続く一本の道を歩いて彼に会いに行っていて、それを風や波が応援してくれている。
そして私は月下契約の新曲を聴き終えると、心の残響と共に窓から見える外の景色をたのしんだ。アイスコーヒーで喉を潤しながら時折チョコレートで口の中を変えて、忙しく走る車や人の歩く姿を眺めた。
人が歩いている姿を見るとなんだか不思議な気分になっていた。歩くと言うことは何処かへ向かっているのだ。何か目的や用事が在り、そこへ歩いて誰かに会う。それは私がtime writeを捜してこの町に来た様に皆が誰かに会いに。私は動く事が人との繋がりに思っているので、その答えに自分の中で近付いた事を凄く嬉しく思った。
そんな余韻の中でふと時計へと目をやるとお昼を過ぎており、何だかお腹が空いたのでメニュー表を見た。しかし喫茶店のフードメニューは少し高くて諦めて駅の傍のコンビニへと行く事にした。
私は月下契約の曲を聴きながら炎天の下をテクテク歩いてじわじわと汗を流しながら駅へと向かった。さっきまでは出掛けた事を楽しんでいたが、こんな暑い日に出掛けてしまったことを少し後悔しだしていた。しかし出て来てしまった以上はもう少し楽しみたい気持ちも有り、少し後ろ髪を引かれる思いもあった。
夏の雲は色濃く白く影も濃く遠くまで青く私の頭上を染める。私は影を引き連れて歩道を歩いて行くと前から見覚えのある二人組と出会った。Azamiと朗次が並んで、私を見付けたAzamiは大喜びしながら朗次へ
「ほら居ただろ? 恋する乙女は盲目で行動的なんだ。」
そう言った。突然隣町へと現れた二人に驚きはしたが、最初は意識し過ぎて上手く話せなかったAzamiが私へのレッスンを通して朗次と距離が縮まった姿を微笑ましく思った。Azamiは私へ駆け寄り、その後ろを朗次は急ぐ事なく歩いて近付いた。私達はそれから駅の横に在るファミリーレストランへと行って昼食を取る事になった。四人掛けのテーブル席でAzamiと朗次が並び、その向かいに私が座っている。ここではAzamiがご飯をご馳走してくれる事になったので、私は遠慮無く食べたいものを注文した。




