3話 月と歌と私と彼と
何も答えを持たないままに暗く静かに波を打つ灯台の裏手へと一人で回る。私は小刻みに胸を打つギターの音色に少し鼓動が早まりながら一歩一歩、音の方へと近付いた。私の心を急かす様なギターの音を優しく嗜める様に、昨晩と同じ彼の優しい歌声が聴こえた。
やはり私はこの歌声が好きだ。そんな歌声を奏でるこの人に会いたい。
灯台は煌々と光っているが、その下は暗く外灯が一つ立っているその下で防波堤の先に座ってギターを鳴らしている男性が居た。
(あの人だ。髪は短くもなく、長くもない。少し痩せた感じでTシャツ姿だ。)
そんなどうでもいい状況確認を心の中で呟きながら、彼の歌に聴き入っていた。そして歌声に背中を押される様に目の前の彼へと近付いた。一歩進んで止まり、また一歩進むと、また突然に外灯の明かりや灯台の明かりが消え、ただ暗闇だけになり彼の歌声も止まった。
それでも動かした足を止める事は出来ずに粗いコンクリートの上でザッと足音が鳴り、私は立ち止まり唯一明るい月を見上げた。
「誰ですか? 」
静かな、とても静かな暗闇の中で彼の声と波の音が聴こえた。私は早く返事をしないといけないと思ったが、そう思えば思うほど言葉に詰まった。それで少し間が空いた所でやっと声が出た。
「す、すみません。」
「その声は昨日の方ですね。」
「はい。あの、貴方の歌声が凄く心に残って、どうしても会ってみたくて。」
私の言葉にどう思ったのか、彼は暫く口を閉じて波の音だけがこの空間に流れている。そして数秒後に
「歌が心に残ったのは嬉しいです。ありがとう。」
「あっ...... あの。えっと......。すみません。話したかったんですけど、言葉に詰まって。」
「僕も人と話すのは苦手でいつもそんな感じです。でも不思議と暗闇の中でなら話せます。相手に認識されないからですかね? いやこうやって話しているから認識はされているのか。」
「ぷっ...... 。」
私は彼の訊いてもいない自問自答に思わず笑ってしまい、気を悪くさせたかもと慌てて謝罪した。
「ごめんなさい。私なんかと話してくれるから、なんだか貴方が人と話すのが苦手なんて信じられなくて。」
「ははっ、気にしなくていいですよ。僕もこんなに人と話せる事が不思議なんですから。」
彼は軽やかに笑って応えてくれた。それが何だか嬉しくて私はこの人ともっと話したいと思った。しかし、その時に外灯がチカチカと点滅を始めると彼はバスタオルを頭から羽織り、また黙り込んだ。私は彼へ近付こうと一歩踏み出すと
「ごめん。僕は人に見られたくないんだ。」
そう彼は立ち上り、顔を隠したままギターをケースへ入れて担いだ。私は今にも去りそうな彼を引き留める様に質問を絞り出した。
「貴方がtime writeさんですか? 」
彼はその質問に立ち止まり、少し考える様な仕草を見せると軽く頷いてそのまま去って行った。私は追うことも出来ずに波の音を背に立ち尽くして、少し冷たい夜風を浴びた。
彼が立ち去って残された私はよく判らない気持ちのままで海へと目を向けた。黄色い半円の月が波間に映り揺らめいて、ほんのり海を明るくしていた。まるで世界が黙りこんだのを見た月が微笑んでいる様に。
「ツムリン。元気出しなよ。男なんて星の数ほど居るんだから。」
そう言ってサオリが私の肩に触れて、まだ星の疎らな空を指差した。私はキョトンとなり、少し間を置いて笑いが溢れて
「いやねサオリ。ただ話しただけだよ。なんで失恋みたくしちゃってるのよ。」
サオリは自分が先走って勝手に慰めた事に気が付いて、この薄暗い中でも判るくらい顔を赤くしてあたふたしながら
「いや、何か彼は渋い顔して下を向いて早足で帰って行ったからね...... 」
「かお? ねえ! サオリ顔見たの!? どんな顔だったの!? ねえ? 」
私はサオリの言葉に我を忘れて両肩を掴んで揺さぶり、サオリはカクンカクンと揺れながら
「ちょ、ちょっとツムリン。揺らすの止めて。涼しげなイケメンだったよ。」
私はサオリの言葉に我に返ると、肩から手を離して彼の言葉を思い返した。そして
「ごめん。」
と謝ると、サオリは笑って許してくれてそのまま私のアパートへと戻る事にした。私はその帰路の中で彼の顔を想像しながら、彼のtime writeと言うアカウント名を検索したい気持ちを抑えて歩いた。それでも胸の内が熱くなるのを感じて、私は彼の事ばかり考えながら家へとたどり着き、その日サオリは私のアパートへと泊まった。そして二人でtime writeの動画をチェックしながら話しあったりして一日を終えた。
△▼△▼
翌朝に、そんな何処にでもありそうな何気無い日々が急に変わってしまった。
私は目を覚ましてスマートフォンを手に取るが画面が真っ黒なままで何も映っていない。時間も判らない私はカーテンを射し込む光りを見て今が朝である事を感じて、ノソノソとベッドから這い出て下の布団で寝ているサオリを踏まない様にベランダの窓の方へと歩いた。そしてカーテンをゆっくり開けて、外を眺めると太陽が明々と昇っており今が正午前ぐらいであろうと感じた。
最初はサオリを起こさない様にソッと動いていたが、昼が近いとあればいつまでも気を使う必要も無いとカーテンを全て開いて窓を開けて部屋の空気を入れ換えた。少し塩気を帯びた涼しい風が部屋の中をぐるりと回り、そよぐ変化にサオリは薄目を開けて布団を深く被った。そんなサオリを見てクスリと笑ってベランダから海を見渡した。
特に何の変化も無く青々と広がる空と海と、いつもと変わらずに水平線の向こうは白くぼやけている。ただいつもより少し世界が静かに感じた。何処までも続くこの青い世界の果てが音を全て少しずつ少しずつ剥ぎ取って吸い込んで行く様に、はっきりとはしないけれどそこは確かに静かになっていた。
「あれ? ツムリン、テレビ点かないよ。あー! スマホも電源が入らない! なんで? 」
そう騒ぐサオリの言葉に、自分のスマートフォンの画面が真っ黒だった事を思い出した私はベッドのスマートフォンを手に取った。そして何度も電源を入れようとするが、画面は真っ黒なままであった。そして部屋の中の全ての電気が止まっている事に気が付いて、サオリと二人で外出の支度を始めた。




