28話 過去と今
――また朝が来る。良かれ悪しかれ必ず朝が来る。それが良い日でも悪い日でも。
僕はカーテン越しの蝉の鳴き声に目を覚ましスマートフォンでAzamiからのメッセージが来ていないかと、動画の再生回数をチェックして横になったまま寝返りを打った。起き上がる理由も特に無くまた瞼を閉じる。
二度寝から目が覚めるのは暑苦しくて寝汗でであった。カラカラの喉で僕は台所へ行き、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してグラスへと注いだ。一杯を一気に飲み干して二杯目を注いで僕はゆっくりとミネラルウォーターを飲みながら深く息を吐いた。そして僕は少し考えて外出することを決めた。
外出の仕度を終えて僕は隣町へと行く事にした。引きこもり続けて以来、昼間の明るい時間に隣町へと行くのは初めてだった。何故なら僕の町の駅の近くにはスズモト楽器や通っていた中学校が在り、それらの風景は明るい時間に見るのは生々し過ぎて避けてきたからである。明るい時間の陽が射して町は焼ける様に暑くなっている。最近は外出を繰り返していたので、暑さ対策に帽子とタオルも持って行く事を覚えた。象牙色のサファリハットを被り、首にタオルを掛けて水色のポロシャツ姿に茶色のハーフパンツ、宛ら僕は昆虫採集に出掛ける少年の様な格好であった為に街路樹に留り鳴く蝉を見て何だかワクワクしていた。
もしかしたら彼女に会えるかもしれない。
そんな気持ちで歩きながらも僕は駅へ近付くと、僕の通っていた中学校が夏の陽射しに照らされていた。そしてグラウンドで野球をする少年達が炎天下の中でも声を挙げてプレーをしている。僕は罪悪感に似た気持ちで横目で通り過ぎ、駅へと向かって歩き続けた。そして駅近くの商店街にはスズモト楽器が在り、僕は吉坂達とバンド練習に向かった日の事を色濃く思い出した。あの時に僕が学校に通い続けていたらどうなっただろうか? そうで有れば僕はどんな気持ちで文化祭を観たのであろうか? 生々しく青春のifを考える内に気分が悪くなり、それを受け入れないかの様に下を向いて歩いた。
すると僕は突然何かにぶつかってよろけた。一瞬何が起きたのかは解らなかったが、前を見た瞬間にそれが何か理解できた。
「おい。ちゃんと前見て歩けよ。」
そう言って胸ぐらを掴まれたのだ。つまり僕は下を向いて歩いて人にぶつかったのだ。しかも高圧的なこの声に僕は覚えが有った。
「お前、時垣じゃねーか。生きてたのかよ! 」
僕は身を固くして立ち竦んだ。その声の主は僕のトラウマの元凶である吉坂であった。身長が伸びて体格も良くなっているがこの厭らしく鋭い目付きは間違いなく吉坂であった。僕は身動きが出来ずに声も出せずにいた。
そんな僕に吉坂は近付いて横に立ち肩から首に腕を回してニヤニヤとしながら
「久しぶりだなー。いやいやあれからお前が学校来なくなってさ。心配してたんだぜー。元気にしてんの? 」
そんな白々しい事を口にした。僕が学校へ行かなくなっても誰も僕へ連絡をしなかった。先生すらも定期的にプリントを送ってくる程度で生徒は一人も心配する素振りも無かった。それをそんな白々しい言葉を軽薄に放つ吉坂に怒りを覚えたが何も言い返せずに震えながらやっと
「あ、ああ...... 。」
言葉にならない返事をした。吉坂はそんな事も気にせずに僕の首へ回した腕に力を入れて
「そうか元気だったか。久し振りの再会だちょっとそこのファミレスで話して行こうぜ。」
顔の横でそんな大きな声を出す吉坂に逆らえずに僕は引き摺られる様に駅前のファミレスへと連れて行かれた。それからは余り覚えていないが僕は四人掛けのテーブルの端に座って隣に吉坂が座っている。そして目の前には全く僕の知らない男が二人座っている。男達はアロハシャツとタンクトップ姿で嫌な目付きをしている。そしてタンクトップの男は入れ墨をだらけの、その両腕をテーブルの上に投げ出して
「吉坂ちゃん。お金出来たの? そっか隣の坊やが出してくれるの? 」
明らかに嫌な状況に追いやられた僕は下を向いて何も言えずに震えている。何度もその震えを止めようとするが一向に止まらずに余計に震えて息も苦しくなっていた。吉坂は
「コイツ今流行りの動画で飯食ってる奴だから10万ぐらい楽勝っすよ。なあ、時垣。早く出せば帰らせてやるから。」
そう言って僕の腕に肘打ちをしてきた。僕は今10万なんて持っていないし吉坂達の言っている事も解らない。逃げ出したいのに通路側に吉坂が座っているので逃げられない。八方塞がり、四面楚歌の状況で震えるばかりで声も出ない。するとアロハシャツの男はサングラスをズラして僕を見て
「黙ってちゃわかんねーんだよ坊主。吉坂、良いから出させろ。」
「はい! すみません。急いで...... 。」
その言葉に吉坂は慌てながら震える僕のポケットを叩いて調べると強引に財布を取り出し、財布を広げて中に入っていたお札を取り出して数え出した。
なんで僕の財布を取られなくてはいけないのだ。吉坂は僕と話したいのではないのか? 目の前のこの二人は何なんだ? 僕は色んな疑問がぐるぐると頭の回りに浮かぶが何一つ答えに辿り着かずに夢なのかと思うが明らかに現実だ。吉坂は僕の目の前に財布を投げて
「3万しかねーじゃねーか。すみません。コイツ今3万しかなくて。」
「じゃあそこのコンビニで下ろして来てね。急いでね吉坂ちゃん。」
タンクトップの男がそう言うと吉坂は三万をタンクトップの男に差し出して、僕の腕を掴んで引き摺り出された。そして財布を僕へ渡すとファミリーレストランから出た。吉坂は僕の腕から手を離して
「すまねえ時垣。先輩の彼女をナンパしちゃってさ。詫び入れるのに10万居るんだよ。今のお前なら端金だろ? 頼むよそこのコンビニのATMで下ろしてくれよ。」
そう言ってきた。吉坂が先輩に10万を請求されてなんで僕が払わなければいけないのだ。端金? なんで10万もの大金が端金なんだ。僕は吉坂に恨みこそ有れ、助ける恩など何一つ無い。それに既に僕の3万は吉坂から僕の全く知らない男達の手へと渡ってしまって取り返せない。
僕は怒りが全身に回り、やっと震えが止まった。それを指先を動かして確認すると吉坂とは反対の方向へと走って逃げた。逃げるしかないと一生懸命に走った。




