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26話 音楽と動画




▼△▼△



 僕はあれから父や母と会話を交わせるようになっていた。当たり前の事に思えるかも知れないが長年引きこもり続けた僕にとっては目覚ましい成長だった。中学生だった僕は気が付けば成人を済ませて髭も生えてくる様になっていた。


 朝、鏡の前で髭の伸びた自分の顔を見てコンビニエンスストアへ髭剃りを買いに出掛けた。外は焼けるように熱く陽炎揺らぎテラテラと光るアスファルトを所々で雲の影が横切り(まだら)の様相を映す。近頃Azamiからの連絡も無く曲ばかりが出来上がるが動画の配信も行っていない。仕方ないので前に録っていた音源を聴きながら近所のドラッグストアへと歩いて向かう。


 この頃は自分の中の世界へと引きこもる事も無く今在る目の前の事に夢中で過ごしている。Azamiの歌声と僕の楽曲と歌詞をイメージしながら映像を考える。前作はラフなタッチのアニメーションで粗野感の有る中での繊細さと美意識をイメージして作ったので、今度は滑らかな世界をイメージ化したアニメーションにしようかと考えた。何気無い日常だ。


 僕は日常を取り戻して、その中で創作活動も休む事なく行えているのが嬉しかった。陽射しを浴びてアスファルトの上を歩く事や、雲の影を目で追う事や、花の匂いと自動車の排ガスの臭いが混ざる事が。暑い。そんな事を些細に感じ取れるだけでも嬉しいのだ。暑い中を歩いて辿り着いたドラッグストアは涼しく冷凍食品コーナー付近では寒くすら感じた。当たり前の事だが明るい店内に沢山の商品が並んでいる事だけでも楽しくて、暫くの間モザイク画の様に並ぶ商品を眺めて楽しんでみた。


 買い物を終えた僕は家へと帰る。本来で有れば髭剃りを買って終わりなのだが、気付けば沢山の物を買い込んでいた。両手の買い物袋を持つ為にスマートフォンの画面を音楽ファイルへとセットしてイヤホンを付け音源を聴いた。そしてまた両手に荷物を持つと家へと向かい歩いた。日頃外には出らずにいた僕にはこの夏の暑さは身に堪えるもので身体が溶けているかの様にフタフタと汗を流しながら歩いた。


 家へと辿り着く頃には暑さの中で疲れ果てて玄関の廊下へ腰を下ろすと仰向けに倒れ混んで息を吐いた。身体は疲れても僕は充実した気持ちに目を閉じて作成する動画のイメージを瞼の裏に描いた。夏の陽射しに煌めく波が風に乗り青空へと拡がり、輝く世界に一本の道が伸びてまた海へと向かう。その道で淡い水色のロングスカートの女の子が歩いて海へと歩いて行く。


 そこまでイメージした所で僕はハッとなった。僕はいつの間にかイメージの中で海辺で出会ったあの女性を思い浮かべている事に自分でも驚いたのだ。それは無意識に映像となって僕の中で美しいイメージとしているのだ。我に帰った僕は身を起こして買い物の荷物を持って自分の部屋へと戻った。袋の中からスナック菓子と板チョコとコーラを取り出してパソコンデスクへと置くと、コーラを手に取り直してひと口飲んだ。あの日Azamiと出会った時から何故かコーラを飲むと元気が出る気がしているからだ。


 気合いの入った僕はパソコンの電源を点けて動画作成作業へと取り掛かった。そして気が付けばその作業へと没頭して半日がアッと言う間に過ぎ去り僕はいつの間にか眠っていた。目を覚ますとまた作業へと戻り粗で通した物を作ると、今度は細部を見直して訂正を繰り返した。それを何日行っただろうか? 気付けば髭を剃る事もせずに髭は伸びている。それでも終わるまでは気にしなき様に考えて、また編集作業を行い次の日に動画は完成した。僕は動画が完成するとそのまま眠ってしまった。


 ――僕は目を覚ますと今が何時なのか判らない程に寝ていた。霞んで虚ろな視界に目を擦り瞬きを数回して部屋の中を見渡した。幸いにもカーテンから溢れる柔らかい青味を帯びた陽射しに朝である事を自覚した。僕はパソコンデスクから立ち上りカーテンを開けるとやはり朝で、(せわ)しい蝉が数匹鳴く程度の時間だった。僕は買い物袋からペットボトルのコーヒーを取り出してキャップを開けてひと口飲んだ。渇いた口の中に生ぬるい苦味がへばり付いて少し目が覚めた気がした。


 そしてソファーへと寝転がり背伸びをして「うーーーっ。」と声を出した所で動画の編集作業を終えた事を思い出したが柔らかいソファーの心地好さに暫くはそのまま天井を眺めた。そして上体を起こしてそのまま座りコーヒーをもうひと口飲んでとりあえず一階の脱衣室の洗面台へと行って朝の身仕度を行った。


 シャワーまで浴びて着替えを済ませ脱皮を終えた羽虫の様にサッパリとした気持ちになり、台所でジョッキグラスを探して冷蔵庫から氷を入れた。僕は部屋へと戻りパソコンデスクへと座り、ジョッキグラスへ先程の生ぬるいペットボトルのコーヒーを入れて動画を確認を始めた。コーヒーを飲みながら動画と曲が合っているのかをチェックし、細部を見直した。一部曲の変調へ合わせる為に色合いを変えて僕の中で合格のラインとなった。


 僕はそのままもう一度完成した動画を流して確認して、それから動画アプリへとこの月下契約の動画を投稿した。そして各種SNSへと画像を貼り付けて宣伝を行い、氷で冷たくなったコーヒーを口にしてパソコンの画面を見続けた。しかしそれに飽きて立ち上り、もう一度ソファーへ寝転がり窓から覗く外の景色を眺めた。切り取られた青空にエキストラの様に白い雲が通り過ぎて行く。徐々に部屋が暑くなっていきじわじわと汗ばんでいく中で僕は投稿した歌を口ずさんでみた。


 この歌を海辺で出会った彼女が聴いて、見てくれたならどんな事を思ってくれるのだろうか? 僕は出来れば彼女の心の声が聞きたくなった。また僕の歌を喜んでくれるのだろうか? もう一度あの灯台の下へ出掛ければまた会えるのだろうか? よくよく考えれば僕は彼女の姿を知らない。名前も知らない。幾らか言葉を交わしただけで何も知らない。声の感じからは僕と歳の変わらないぐらいだろうか。少し暗闇の中で見えたシルエットから髪が肩程のショートボブだったのは覚えている。長めのスカートを履いていたのを覚えている。僕は彼女を知らないけれど知っている。そんな謎かけめいた気持ちに溜め息を吐きながら青い空が心へと刺さっている。




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