18話 母と父とオムライス
僕はなんだかんたといつも音楽で満たされて来た。生々しさに気持ちが落ちたとは言え、月の下の海辺で曲をやり終えて身体も疲れきり音で満たされた。
家へと帰るとリビングで母と父が向き合い食事をしている。そこへ僕はいつも
「ただいま。」
の一言を置いてそそくさと部屋へと戻るが、今日は珍しく母に呼び止められた。
「サトル。おかえりなさい。晩ご飯はまだでしょ? たまには一緒に食べましょ。」
どこにでも有る普通の会話だが、何年もずっと家に引き籠っている僕には聞き慣れない衝撃的な言葉であった。僕はその言葉に何と答えて良いのか判らずに廊下で立ち止まると父がゆっくりと立ち上り
「今日は俺の作ったオムライスだ。食え。」
父は細身ではあるが口回りに髭を蓄えて物静かで貫禄もある。その父が僕へ珍しくそんな口調でオムライスを勧めてくるので、僕は黙って頷きギターケースを壁へと立て掛けてリビングのテーブル席へと座った。
僕がテーブルへ座ると父は平皿へご飯をよそい、ガスコンロへ火を点けフライパンを温めた。フライパンへ油を注ぐと刻んだ鶏肉を先に入れ、刻んだ玉ねぎと人参をその後に入れそこへご飯を投入して炒め始めた。隣で母は父の作ったオムライスを半分程食べた所で
「サトル、あなた毎月お金置いてるけど、私達はあなたの親なんだから気を使わなくて良いのよ。」
そう言いながら僕の目の前のグラスへ水差しで水を注いだ。僕は海辺の演奏で汗をかいたので喉も渇いてグラスの水を飲んだ。すると
「今サトルがどうやってお金を稼いでいるのかは知らなくても良いけど、あなたが何をやっているのかは知りたいわ。話しても大丈夫になったらいつでも話してね。」
母はそう言って肩までの栗色の髪をたくしあげて耳へと掛けた。そんなに美人な訳でもないが母は優しくて僕はそんな母に心配を掛けたくなかった。それで毎月お金をキッチンテーブルへ置いていたが結局ずっと家から出ていないので心配は変わらないのだ。僕はそれでも母の問いに答えられずに俯いた。ただ時間が過ぎて行く中で音楽でも流れてくれれば気を紛らせられたのに、と気不味い気持ちで水を飲んだ。すると間を置かずに父が自慢気な笑みで平皿を持って
「まあ最近お前の目が光っているのは判るから楽しい事でもやってんだろ? なら大丈夫だな。とりあえず俺のオムライス食え。」
「あなた、光ってるって...... なんだか獲物を狙ってるみたいじゃない。輝いてるって言った方が良いんじゃない? 」
「ああ、輝いてるだ。すまん母さん。」
「謝る事じゃないわよ。」
そんなやり取りをすると二人は笑い合った。僕は何だかノスタルジーに似た様な、デジャヴの様な浮遊感が通り抜けた後に胸の内が軽くなった気持ちになり少しだけ笑った。そして父の作ったオムライスを目の前にしてやっと僕は声が出た。
「お父さん、お母さんありがとう。頂きます。」
そして僕は自分の顔が写るほど艶やかな銀のスプーンを手に取り、オムライスをゆっくりと切り取った。父の作ったオムライスは手が込んでいた。ケチャップで味付けされた温かいチキンライスの上に濁り無く黄色い半熟のオムレツが乗せられていて、スプーンでそのオムレツを切ると中からトロリと出てきた半熟の卵がチキンライスを覆いテラテラと輝いて実に美味しそうだった。それを眺めている僕へ父は
「周りに有るデミグラスソースも煮込んで俺が作ったんだからな。」
そうまた自慢気に言って母に注意されていた。僕はそれを横目に僕はオムライスをスプーンで掬い口へと運んだ。ホロホロと崩れるチキンライスの酸味を半熟卵の甘味が加わり、口の中で優しく合わさって広がり幸せな気持ちになった。そして僕はオムライスを食べてしまうと手を合わせて
「ごちそうさま。」
そう言って立ち上った。母と父は黙ってそんな僕を見ていた。僕はそそくさとギターケースを担いでリビングを出る時に真顔の母と父が気になり少し振り向いた。そして僕の中で何か風が吹いて
「お父さん、美味しかったよ。」
そう自分の中の気持ちを言葉にしてみた。ハッキリとは見ていないが、そんな言葉を受けて父と母が少し微笑んだ様な気がした。なんだかそれが照れ臭くて胸の内が熱く息苦しくなって僕は自分の部屋へと急いだ。
部屋へと戻ると僕はソファーへ座りギターを取り出して弦を緩めてウェスで拭いた。弦は演奏を行わない間は緩めておかないと引っ張りネックを曲げてしまうので十分に余裕を付けて緩めた。そして汗や潮風に当たったボディを傷めない為に丁寧に拭き上げていった。僕は意外とこの作業が好きで、この瞬間がやり遂げた様な充実感が溢れてくるのだった。ギターを拭き上げるとギタースタンドへと置いてソファーへと寝転んだ。
何気無い1日に思えるが僕の中で、僕の心の中ではたくさんの事が有った気がした。Azamiの事や、海で出会った彼女の事や、そして父や母の事。それらは普通なら通り過ぎて行く何気無い日常なのだろうが、今まで人と接触なく生きて来た僕からしてみれば大いに刺激の多い1日だったのだ。
僕は少し月を眺めた後に暫く風呂にも入っていない事を思い出し、着替えを持ってシャワーへと向かった。そして両親には会わずにシャワーを済ませて部屋へと戻ると清涼感から体が軽くなった気がした。何か今までの心の靄も晴れた様にスッキリとした僕は部屋のカーテンを閉めてベッドへと潜り込んだ。
目を閉じれば色んな事が瞼の裏に過った。Azamiはそんな焼け野原で一体何をしているのだろうか? 今日は海辺で彼女には会えなかったが、何か大変な事でも有ったのだろうか? 父と母は何を思って僕と食事を摂ったのだろうか? 僕は少しだけ考えるつもりが、そのまま考え続けて眠れなくなってしまった。
世の中は停電や火災で大混乱に陥っている事も僕にはあまり実感がなかった。いつもの様にご飯を食べて、いつもの様に汽車に乗って、いつもの様に歌いっている。それよりも僕は次の曲を創り、Azamiに歌ってもらいたかった。そして動画を収録して自分の曲を早く流したかった。今までの投稿動画の再生回数で十分な収入は有るが、それよりも僕の音楽を知って欲しかった。それが僕の存在で有るかの様に。
そんな事を繰り返し考えているうちに僕はいつの間にか熟睡してしまっていた。




