17話 月と海と音と
やがて空は黄土色へと染まり出し、染まり終える前に青身を帯びて徐々に夜が来るのを教えてくれた。僕はTシャツを着替えてデニムを履くとギターケースを抱えて家を出てみた。
僕は久し振りに動いたからか、外の暑さへ立ち眩みに会い立ち止まった。そして少し深呼吸をしてまた歩き始めて駅へと向かう。この暑さの中でも夜が来れば海側から幾分か涼しい風が吹く。そんな事を感じながら僕は家から近い駅へと辿り着いた。
家の近くの駅は田舎らしい無人駅で、朝と夕方には通学の学生が利用するがその他の時間はあまり人もいない。古びた駅であったが最近塗装が行われて少し小綺麗に薄い緑色になっている。僕が駅へと到着すると数分後に汽車が停車して、僕は汽車へと乗り込むと乗客は誰も居なかったので、対面式の座席へ座りスマートフォンを見ながら時間を潰した。
まだAzamiからの返信は入っておらず、僕はとりあえずニュースアプリを開いて最近の事情を確認することにした。世の中は四日間も停電になり、その間に全く電気が使えずに様々な事件、事故か起こっていた。Azamiが住む町の火事もそうだ。しかし今は電気が戻った為にその事態の収拾へと人々は追われているらしかった。
発車のベルが為り、スローテンポで歯車の回る音が聴こえ出す。そしてゆっくりと景色は動き出し徐々に加速して行く。ガタンガタンと一定のリズムで鉄が鈍く打ち合う、流れる景色は残影を引き、夕暮れはスッカリ緞帳を下ろした。暗闇の中に光の筋を追いただ心地好い揺れに身を任せ一駅と言う短い時間は直ぐに訪れた。
到着した駅は僕の町の駅よりも古く、古びた木材が剥き出しで昔からこのまま時間を止めてしまった様な建物だった。そして僕は電車を降りて駅から停船所へと向かってギターケースを掲げて歩いた。駅から停船所は近く、Azamiと出会った自動販売機の前を通り懐かしい気持ちと共に連絡の取れない不安も過った。
僕はまだ望月には満たない十日の月に向かい、独り防波堤を進んだ。波が消波ブロックに弱々しく当たり消えて行く音がする。月の光りはこの青暗い海辺を更に青く染めて、その明かりは波に降りそそぎ、まるで星空の花道を歩く様に灯台へと続いた。いつも通っているのに何だか違う気持ちの自分に違和感を覚えながらも、灯台へ近付くに連れていつもの様に自分の中の音楽が溢れだして来た。
灯台へ辿り付いた僕はギターケースをブロック塀へと置いてギターを取り出し、いつもの様にギターのチューニングを行うとギターを鳴らした。一音一音がこの風景へと溶け込む様に弦を柔らかく鳴らしていった。その音は次の音と繋がり、糸を紡ぐ様に、生地を編む様に丁寧に月明かりと波へと音を編み込んでいった。
編み込んだ生地へ模様を付ける様に、生地へ溶け込む様に僕は音色に添うように声を出して歌を歌った。指先と口から流れる音が徐々に空気と混ざり景色の中へと入って行く。
僕はその瞬間、Azamiの事や彼女の事が頭から離れて音だけを追い求めて、ただ全ての神経を傾けて弾き語り続けた。
月と海と音とだけが踊る時間はアッと言う間に過ぎて行き、数曲歌い終わると僕は我へと帰り演奏を終えた。そして余韻に浸り力と心が抜けて呆然と海に揺らぐ月を眺めている。数分経って僕はピックをギターネックの弦へ挟んで弦を弛めた。気付けば汗だくになっていたので首に掛けたタオルで額を拭うと辺りはとても暗くなっている。僕は後ろを振り向くと灯台や外灯が消えている。
「また停電か...... 。多いんだな。」
そう呟くと、ポツリ、ポツリと外灯が点き、灯台も灯り周りは明かりを取り戻した。僕はギターケースへギターを仕舞うと背中へ背負い、また明かりが消える前に帰ろうと立ち上がった。そして急ぎ足で誰も居ない停船所を出ようと長く真っ直ぐに伸びた防波堤を歩き出した。
「あの子来なかったな。」
僕はそう自然と言葉を放って自分でも驚いた。長い年月人を避けて生きて来た僕が、まるで人と会う事を待っていた様な口振りが自分から出た事を。しかも同じ目的を持ち行動しているAzamiではなくて、名前も顔も知らない何も解らない人の事を考えている。
「ふっ...... 。」
何か解らない自分の気持ちを僕は鼻で笑って駅へと急いで歩いた。少し最終の汽車へと遅れそうになったが停電のトラブルでダイヤが遅れており、まだ駅へ汽車は到着しては居なかった。僕は駅に在る自動販売機で何となくAzamiを思い出してコーラを買った。そして駅の構内でコーラを飲んでいると汽車はまもなく到着して僕はAzamiの住む町とは反対の家へと帰った。
帰りの汽車の中でスマートフォンの通知音が鳴った。僕はポケットからスマートフォンを取り出して確認するとAzamiからの通知であった。
『返事が遅れてすまん! 私の町は大規模な火災で焼けてしまったので今までボランティア活動をしていたんだ。』
その言葉はいつものAzamiらしく凛として力強さを感じる言葉であった。そんなAzamiの言葉に安心した僕は返信を送った。
『無事で安心しました。「月下契約」のギャラ振り込みましたのでご確認ください。』
『そうかありがとう! それより青年、君はこの疲弊した人達へ生で音楽を提供してあげたいと思わないか? 』
『すみません。僕は人前では演奏なんて...... 。』
『そうか、気にしないでくれ。今日は疲れたよ。また明日な。』
と返信が帰ってきた。僕はAzamiのコメントの事を少し考えた。動画配信でのコメントや応援を見て自分の音楽への自信は付いたが、未だに僕は人の目に自分が晒される事に恐怖に似た気持ちを抱いていた。
もし僕がtime writeだと知られ、それが周りへと伝わって、吉坂や他の同級生にでもバレたら僕は何を言われるか、何をされるか解らないと思っている。そんな事を考えながら
『そうですか今後の事はまた連絡します。おやすみなさい。』
とだけ返信を送った。車窓から覗く月は徐々に円みを増している気がする。月明かりは木々や家屋を幽玄に映し出し、その景色は人々の生活を滲ませながら通り過ぎて行く。僕はその事が生々しく感じて少し気持ち悪くなり俯いてやり過ごした。




