1話 暗闇と音色
夜の海へと出向いた私は、一人でギターと歌を奏でる男性に出会う。
ただ静かで薄暗い海の側で顔も名前も判らない彼
に心を惹かれていくのだった。
私は見た目は大人しいのだが、割りとアグレッシブに動くタイプで夜中に外出したりもする。しかしそれは盛り場へ出掛ける様な事ではなくて、ただ自分が心地の良い場所を探してフラフラと出掛けるのだ。
この日もそんな感じでいつもの様に、私の住む田舎町を歩いて近くの海岸へと歩いていた。月明かりがコンクリートの護岸を丁寧に映し出して、潮の香りが鼻の奥を擽って、静かで薄暗い中に柔らかい波の音がメトロノームの様に繰り返す。外灯の並ぶ防波堤をその音に合わせてカツカツ歩いていると防波堤の鼻先へと辿り着いた。
私は灯台の外壁に腰を下ろして星空を眺めて潮風を肌に感じていると、耳を優しく掠める人の声がした。その声のする方を捜すと、外灯がチカチカと点滅して防波堤の輪郭を疎らに姿を現したり消えたりと交互に映し、その内に外灯は完全に消えて暗闇になってしまった。こんな真っ暗闇の中で他に人が居る事が少し不安になったが、聴こえてくる声にその気持ちは雪融けの様にあっさりと消えていった。
それは暗い海に映る月みたいな柔らかい歌声で、私は一気にその海と月との間に揺れるような音に惹かれた。
私はスマートフォンのライトを点けて足下を照らしながら、灯台の壁を伝い灯台の裏へと歩いた。私を導いた歌声は近付けば近付くほどクッキリと形を見せて、その美しさに胸が高鳴り躍っている。気には為るがライトを向ける事が出来ずに、ただ海と月との間で揺れるテノールに両手を広げて全身で歌声を受け止め肌が震えた。
そんな奇妙な行動に出たのも、私にはとてもそれが心地好かったのだ。
「誰か居るんですか? 」
「すみません。さっきから貴方の歌声を聴いていました。真っ暗な中で引き寄せられて。」
「最近、停電が多いみたいですよね。こちらこそこんな所で歌って居るところをお恥ずかしい。」
「その歌は何て名前の歌ですか? 」
「名前なんて無い歌なんです。」
「貴方の作った歌ですか? 」
「...... はい。僕はそろそろ帰らないと...... 。」
初めての彼との会話はそれで終わり、ただ真っ暗な中で波の音に紛れて彼の足音だけが遠退いて行った。私は暗闇の中で彼を追う事もせずに、ただ潮風が心地好く目を閉じて歌声の余韻に浸った。そしてあんな美しい歌声で歌う彼の事が気になって仕方なかった。すると防波堤の外灯がポツポツと灯り、周りが明かりを取り戻す中で遠く離れていく彼の後ろ姿が小さく消えて行くのを見送った。
明かりを取り戻した防波堤でスマートフォンのライトを消すと、彼の歌のサビの部分で『同じ月の下で僕達は空を見上げた』そのフレーズを忘れない様にスマートフォンのメモへと記入した。そしてそのフレーズを検索してみたがそれに該当する歌は無く、海辺から私の通う大学近くのアパートへと戻った。部屋へと戻った私はシャワーを浴びて髪を乾かしながら、今日の海辺のことを思い返しながら眠りに着いた。
――翌日に私は昨晩の彼の事が気になり、同じ学部のサオリへと電話した。サオリは1回目の着信では出ずに、それから数分後に折り返しの電話を掛けてきた。私は慌ててベッドへ置いたスマートフォンを手に取り直しフリックして出ると、通話の向こうには眠そうな声のサオリが出た。サオリは甘く囀ずるように
「ツムリンどうしたの? 電話したでしょ? 」
サオリは私の名前が『紬』なので、その事から『ツムリン』と呼んでくれている。大学に入り同じ講義を受けている時に隣の席に座った事から仲良くなったのだが、私とは真逆で見た目は派手なんだが行動は消極的な子だった。しかし見た目の派手さが周りに人を集めることからいつもたくさんの情報を持っていて、私に的確なアドバイスをくれる事も多い。そんなサオリの情報網なら彼に近付けるかもしれない。そう思いながらも悟られる事を恥ずかしく考え本題を避けてサオリに訊ねた。
「いや、何となくさ。そう言えばサオリって音楽関係なんて詳しい? 」
「何よいきなり。流行りの曲なんかはチェックしてるけど...... 。」
「じゃあさ、この『同じ月の下で僕達は空を見上げた』ってフレーズの歌知ってる? 」
私は少し恥ずかしかったが、サオリに歌ってみせてあの曲だけでも判らないかと訊ねてみた。しかしサオリの返事は期待したものとは違い
「うーん。判んないね。最近はけっこう動画サイトでDTM何かでドンドン新しい歌が出てるから、そんなんだと知らないのも多いよー。それよりさ、お腹空いてない? 」
「空いていると言えば、空いてる気もするけど。」
「じゃあ決まりね。今から集合ね。」
「えっ...... 。あっ...... サオリ。」
サオリはこちらの話しも聞かずに通話を終了した。私は頭を掻きながら
「何処に集合なのよ、まったく。」
とりあえず集合と言えばどうにかしてでも会うのだろうと外出の支度を始めた。案の定サオリは支度が終わる頃に私のアパートのインターホンを鳴らし、二人で近くの海沿いのカフェへと出掛ける事になった。
夏の陽射しがアスファルトや海面に弾けて散らばり、他の季節に比べて輝いて見える中、私とサオリはテクテクと歩いて行った。この暑い中でもロングスカートで、特にこだわりを見せない肩ぐらいの長さのショートボブで眼鏡の私と、ミニスカートの似合う涼やかなサオリとが並んで歩く姿は他の人から違和感が有ったに違いない。しかし私はそんな凛としたサオリの隣を歩く事が大好きで誇らしくさえ思えていた。そんな思いが私に質問させた。
「ねえサオリは何で私と友達になってくれたの? 」
「友達になってくれたって変じゃない? 友達なんだからフツーに仲良くしたいだけでしょ。」
そう言ってけらけら笑うサオリの顔が海面の乱反射に照らされて余計に輝いて見えた。私はそんなサオリにつられて笑顔で返すと
「強いて言うなら、ツムリンはその笑顔が可愛いからこの娘と仲良くしたい! って思ったかな。」
サオリがそんな言葉と一緒に顔を近付けて来たので、私は思わず顔を真っ赤にして下を向いて無言で歩いた。そのまま数分間歩き続けるとカフェへと到着したが、カフェの窓にはブラインドが降りて入り口には『定休日』と書いた札が少し斜めにぶら下げられて風に揺れていた。私とサオリは二人で顔を見合せて立ち尽くし、二人で肩を震わせ笑いだした。




