第5話 メイドと奴隷に挟まれました
無事にエイノンの部屋が決まった後、俺の部屋には不穏な空気が流れていた。
「ガイアス様のお世話をするのに邪魔なんだけど、自分の部屋に行っていてくれないかしら?」
「いいえ。そうは参りません。私はガイアス様に引き取っていただいた奴隷ですので」
「奴隷なら、主人に呼ばれるまで大人しく引きこもっていたら?」
「黙りなさい。たかが庶民の分際で、元王女の私に口出しをするなど言語道断です。あなたこそここは私に任せて、他の仕事でも探して来なさい」
サキリアとエイノンが、お互いを部屋から追い出そうとしていた。2人とも、自分の方が立場が上だと思っているらしく、一歩も引き下がる気配がない。
こういう状態になったら、当然、主である俺が仲裁に入らなくてはならないのだが、今現在、俺はその余裕を失っていた。
トイレに行きたいのである。
考えてみれば、昨夜の夜半にこの体で覚醒してから、おそらく10時間ぐらいが経過している。尿意を催したとしても無理のない話であった。
とは言え、今のこの状態では普通にトイレまで行って用を足すことが難しい。現場にたどり着きさえすれば、気合と根性であるいは何とかなるかも知れないが、そこまでの移動に自信がなかった。
では、どうするか。
まず考えるのは車椅子である。この世界に車椅子があるかどうかは分からないが、腕の立つ職人はいるだろう。公爵の息子としての地位を利用して職人を呼び寄せ、設計図を渡して作らせば立派なものが出来上がるに違いない。問題は、それが完成する前に間違いなく俺の膀胱が決壊することだ。
続いては、床を転がる方法である。目覚めてしばらくして気付いたのだが、ガイアスの肉体はかなり肥満していた。床に寝そべって、サキリアとエイノンに足で蹴って転がしてもらえば移動が可能であろう。
だが、この方法にも問題がある。足で蹴る2人の息が合わないと、直進できず左右どちらかに曲がってしまうことが予想されるのだ。今の言い争う2人の様子から見るに、協力してまっすぐ俺を蹴り転がすのは難しそうである。
では、床を滑走するのはどうであろうか? 床に油を敷いてもらい、手を引いてもらって腹で滑走すれば迅速に移動できそうではある。しかしながら、トイレまでの床に敷く油は、かなりの量になるだろう。仮に浪費を忍んで敷けたとしても、その後の掃除が大変だ。
結局、俺が考えた方法はどれもこれも解決に結びつかなかった。
やはりここは、ITエンジニアとして培った精神力を頼みとし、自らの両脚をもって移動するのが最善なのであろうか。たとえ、途中の廊下に倒れて失禁姿を晒すことになったとしても、それもまた俺の運命である。
俺の意は定まった。まずはサキリアとエイノンに声をかけ、言い争いを止めさせる。
「2人とも、そこまでだ」
「「ガイアス様……」」
「エイノンは、どっちの部屋でも居たい方に居てくれ。サキリアには引き続き、俺の世話をお願いしたい」
「「えぇ……」」
2人とも、自分の意見が全面的には通らなかったせいか、不満そうな声を漏らした。気の毒だが、ここは我慢してもらうしかない。
「頼む……」
「「……分かりました」」
不承不承頷く2人。とりあえずは決着か。俺は続けて、現在の重要案件について切り出した。
「サキリア」
「はい、ガイアス様」
「……トイレの場所を教えてくれないか?」
「お小水ですか?」
「そうだ……」
「かしこまりました。しばらくお待ちくださいませ」
サキリアは一礼すると、部屋から出て行ってしまった。もしかして、彼女もまだこの屋敷に来たばかりで、誰かに聞かないと男性用トイレの場所が分からないのだろうか。
だが、戻ってきたサキリアの姿を見て、俺は自分の見通しが間違っていたのを知った。彼女は右手に陶製の瓶を持っていた。その形状は元の世界でも見たことがある。尿瓶だ。
「それでは、失礼いたします」
無造作に布団をめくり、俺の股間に尿瓶をあてがおうとするサキリア。俺は慌てた。
「ま、待て! トイレに行かせてくれ!」
「ご無理はなりません。お怪我が酷くなればわたくしが叱られますので」
「な、ならせめて、自分でやらせてくれ……」
「駄目です。ガイアス様は絶対安静なのです」
サキリアが俺の服の下を脱がせようとする。俺は痛む手を動かし、抵抗を試みた。
するとそのとき、エイノンが阿吽の呼吸で俺の手を掴み、抵抗を封じた。見た目に反して、かなり力が強い。
「お、おい、何をするんだ!?」
「お許しください。主人の体をいたわるのも奴隷の仕事ですので」
「ま、待て! 話せば分かる。あああああああああああ!!」
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「それでは捨てて参ります、ガイアス様」
「……はい」
「しばらくこの方法を取らせていただきます。次から抵抗は禁止ですよ?」
「……はい」
部屋を出て行くサキリアの後姿を見送りながら、俺は敗北感に打ちひしがれていた。早く治さないと……