第4話 奴隷を買ってもらいました
「ガイアス!!」
「はうあ!」
サキリアが目を覚ました後、今度は俺がうとうとしていたのだが、突然の大声で無理やり覚醒させられた。
見ると、見知らぬ老人が数人のお供を引き連れて入ってくるところだった。椅子に座っていたサキリアが立ち上がって声を漏らす。
「お、大旦那様!」
「大旦那様?」
大旦那様ということは、公爵の父親、すなわち前の公爵なのだろうか。そう言われてみれば顔立ちが公爵に似ている気がする。ともあれその老人は俺の側までやって来た。
「ガイアスよ……ようやく目を覚ましたか。心配させおって……」
「お、恐れ入ります……」
そのとき、公爵も部屋に入ってきた。
「父上!」
「おお、マリヌス。ガイアスの具合はどうなのじゃ?」
「ガイアスは記憶を失っております。あまり負担をかけないようにしていただきたい」
「なんと、不憫なことじゃ……」
公爵父は、俺の方に向き直って言った。
「それはそうと、目覚めた祝いじゃ。ガイアスよ。今日はお前に土産を持ってきたぞ」
「そ、それは、ありがとうございます……」
「ガイアスよ。お前近頃はしょっちゅう、屋敷のメイド達にちょっかいを出しているようじゃな」
「えっ?」
突然脈絡のないことを言われ、俺は戸惑った。話自体はサキリアから聞いていたので、驚きはないが……
「お、恐れ入ります。それについては反省を……」
「フォッフォッ、色を好むのは良いことじゃ。連れて来い」
「「はっ」」
公爵父がお供の人達に指示を出すと、彼らは一度部屋から出て女性を一人引っ張って来た。17、8歳ぐらいか。長いストレートの黒髪。白いドレスを着ていて頭にはティアラという、いかにも高貴そうなたたずまいだったが、何故か紐の付いた首輪をしている。
誰だ……?
「先日、愚かにも我が帝国に逆らって滅びた、アガナ王国の元王女じゃ。罪人として一生帝都の娼館で働くところだったのをわしがもらい受けて来た。ガイアスよ。お前もメイドなどでは満足できまい。この女を奴隷にして慰み物にするが良いぞ」
「ひええ……」
俺は戦慄した。滅ぼした国の王女を奴隷にするなんて、そんな野蛮なこともある世界なのか。
いや、問題はそこだけではない。奴隷自体はこの世界で一般的なのかも知れないが、さきほど俺は痛む体に鞭打ってセクハラをサキリアに詫びたばかりである。今更慰み物にするための奴隷などもらったら、さっきの謝罪はなんだったのかとなってしまう。
どうすればいい……?
「良いか。これからはこのガイアスがそなたの主人じゃ。ガイアスに尽くすのじゃぞ」
俺が考え込んでいるのをよそに、公爵父は王女に向かって横柄に命令していた。言われた王女は当たり前だが、これ以上ないほど暗い表情で落ち込んでいる。
しかし、粗暴な行いのあるガイアスに奴隷をあてがうなんて、ずいぶん甘やかし過ぎではないだろうか。もしかすると、この公爵父がガイアスを増長させたのかも知れないと思った。
そのとき、ふと見ると、サキリアが明らかに引いた様子で表情をひきつらせていた。そして公爵も気難しい顔をしている。
そうか。2人とも、今回の公爵父の行いをあまり良く思っていないのだ。そのことに勇気を得た俺は、公爵父の説得に乗り出した。
「……お祖父様。お心遣いはかたじけなく存じます。しかしながら、帝国に逆らったとはいえ一国の王女を奴隷にして、果たして大丈夫なのでしょうか……?」
「見てみい、この乳とケツ! 玩具にし甲斐がありそうじゃろう?」
「いたずらに王族を辱めれば、元アガナ王国の民の怨みを買うことになるのではないかと……ここは王族にふさわしい待遇を与えることで、元アガナ王国の民の帝国への帰属心を高めさせ……」
「遊ぶだけ遊んで、飽きたら娼館に売り飛ばせばええ。ちょっとした小遣いぐらいにはなるぞ」
「おい聞けよジジイ!」
「大旦那様、そろそろお戻りの時刻が……」
お供の人に耳打ちされた公爵父は、はっとした顔になった。
「む、いかん。もうそんな時間じゃったか。ではのうガイアス、また来るわい」
「え!? まだお話が……」
「さらばじゃ」
それだけ言うと、公爵父は迅きこと風の如くに去って行ってしまった。公爵は一度俺をちらりと見たものの、やっぱり出て行っていまう。
後には俺とサキリア、それに王女の3人だけが残された。
「「「…………」」」
3人とも何も言わない。公爵父の説得に失敗した俺は、ここからどうするか考えた。
普通の奴隷だったら、俺の持ち物ということになるので、俺の一存で解放することもできるのだろう。だが、罪人扱いである王女を勝手に自由の身にしたら、今度は俺や公爵が何かの罪に問われそうである。
かと言って、普通に公爵父に突き返すだけでは、今度はどこに売り飛ばされるか分かったものではない。
ここは、とりあえず奴隷として受け取っておき、手を触れずにおくのが一番マシなのだろうか……
「…………」
立ち尽くしている王女は、生気の無い目でで宙を見ていた。
この表情、見たことがある。前の人生で。
仕事に疲れ果て、自殺を企てた会社の先輩が、こんな表情をしていたのだ。
その人は幸い一命を取り止め、その後はカウンセリングも受けて持ち直した。だが、この王女はどうなるだろうか。
ただの会社員だった俺にカウンセリングなどできないが、とりあえず話しかけてみるか……
「あの、名前は……?」
「…………」
少しの間黙っていた王女は、やがて口を開いた。
「何とでも、あなたの好きなように呼べば良いでしょう」
「いや、あの……」
やはりと言うか、取り付く島が無い。戸惑っていると、彼女はさらに言った。
「ハミルディウス公爵の嫡子ガイアス。あなたの噂は聞いています。あなたのような粗暴で意地汚い豚に凌辱されるぐらいなら、私は死を選びます。そのつもりでいてください」
「あっ……」
「ぶ、無礼な。ガイアス様は……」
「ちょっと待て」
何か言おうとしたサキリアを制し、俺は王女に尋ねた。
「今の話は本当か? 信用していいのか?」
「えっ……?」
王女は戸惑った表情を浮かべたが、すぐに首を縦に振った。
「そ、それはもちろんですが……」
「良かった……俺の方からその凌辱とやらをしなければ、死ぬことはないんだな?」
「……えっ?」
「思いつめた顔をしていたから、放っておくと死んでしまうんじゃないかと心配したぞ。すぐに解放するのは無理かも知れないが、指一本触れないから安心しろ」
「…………」
王女は、信じられないものを見るような目で俺を見詰めた。サキリアも、あっけに取られた様子でこちらを見ている。
「サキリア」
「…………」
「サキリア?」
「あっ……し、失礼しました。ガイアス様……」
「屋敷の使用人を取りまとめている人が、誰かいるだろう。後でその人に会わせてくれ。この王女様が住んでもらう部屋とか決めないとな」
「かしこまりました」
そのとき、王女が言った。
「……エイノンです」
「えっ……?」
「私の名前、エイノンです。ガイアス様」
「そうか……ありがとう、エイノン」
打ち解けたと言うには程遠いが、名前は教えてもらえた。この様子なら自殺するということはないだろう。生きていればそのうち、何とかなるかも知れない。
「まあ、そう言う俺は死んじまったんだけどな……」
「えっ?」
「何か……?」
小声で言って苦笑した俺に、サキリアとエイノンが聞き返す。俺は、「何でもない」と言ってまた目を閉じたのだった。