第2話 どうやら俺はドラ息子のようでした
目が覚めると、窓から光が差していた。少しは眠れたようだ。
相変わらず体が動かせないのはもちろんだが、痛みは気持ち、引いたような気がしていた。数時間の睡眠でそう回復するとも思えないので錯覚かも知れないが、それでもありがたい。
特にやることもなくぼんやりしていると、ドアが開いて誰かが入ってきた。視線を向けると、栗色の短い髪に、メイド服を着た少女だ。
「ガイアス様、お目覚めでございましたか」
声からすると、昨日俺が意識を取り戻したのに気付いて、人を呼びに行った女性と同一人物のようだ。この部屋の担当なのだろうか。
今の俺は貴族の息子らしいので、ボロが出ないよう、わざと尊大な態度で声をかける。
「ああ……おはよう」
「!?」
すると、挨拶をしただけなのにメイドは驚いたような表情になった。何かいけなかったのだろうか。こっちが戸惑う。
「ど、どうした……?」
「いえ……何でもございません。朝食の用意が整ってございますが、お召し上がりになりますか?」
そう言えば、少し腹が減っていた。頷いて見せる。
「あ、ああ……いただくよ」
「かしこまりました。少々お待ちください」
メイドは一度退出し、ワゴンを押して戻って来る。上に料理が乗っていた。
「失礼いたします」
俺が手を動かせないので、メイドがスプーンで食べさせてくれた。異世界の食事が口に合うか少々不安だったが、薄味の洋食といった感じで、普通にうまかった。
最後に水を飲ませてもらい、口を拭いてもらう。
「御馳走様。ありがとう」
「!? ガ、ガイアス様……今何と!?」
「え? あ、ああ……」
声が小さくて聞き取れなかったのだろうか。俺はもう一度言い直した。
「ありがとう。おいしかったよ」
「!!」
またしても、メイドは心底から驚愕した表情になっていた。かすかに震えながら、信じられないものを見ているような表情でこちらを見つめてくる。
ううむ、これはまずい。俺は焦った。
なるべく貴族の息子っぽい言動をして不自然にならないようにしていたのだが、どうやら俺の態度は本物のガイアスと大分違うようである。これではボロが出るのも時間の問題だろう。
いや、いずれ本物のガイアスでないことは伝えなければいけないのかも知れないが、まともに動くことすらできない今の状況でそれをやるのは、あまりに危険過ぎる。今はしばらく時間を稼がないと……
「…………」
少し思案して決める。よし。あれで行くか。怪我をしているこの状況を利用しよう。
俺はもう一度メイドに話しかけた。
「あの、今更なんだけど君は……? 名前を教えてもらってもいいかな?」
「えっ……? ガイアス様の身の回りのお世話を担当しております、メイドのサキリアにございます。もしかしてお忘れに……?」
「ああ……済まない、どうやら記憶がないようなんだ。何も思い出せない……」
「それは……もしかして、旦那様……お父上の公爵殿下のことも……?」
俺は頷く。お父上の公爵殿下というのは、昨日俺の様子を見に来た、あの中年男性のことだろう。
「そ、そうだったのですね……それでは、旦那様にお知らせして参ります!」
ワゴンを押して退出しようとするサキリア。俺は彼女を呼び止めた。
「ま、待ってくれ……」
「な、何か……?」
「頼みがあるんだ」
「何でしょうか……?」
「俺がどうしてこの怪我をしたのか、教えてくれないか?」
記憶喪失を装うついでに、俺は怪我のいきさつを聞き出しにかかった。知ったからといってどうなるものでもないかも知れないが、場合によっては元のガイアスの立場やら何やらが少し分かるかも知れない。
だが、質問されたサキリアは顔を曇らせた。
「それは……わたくしの口からはちょっと……」
何か、公言しづらいような経緯なのだろうか。俺はもうひと押ししてみることにした。
「そこを何とか、頼めないか? 君から聞いたとは、誰にも言わないから……」
「…………」
サキリアはしばらく、黙って考えていた。そして口を開く。
「……本当に、秘密にしていただけるのですね?」
「ああ、絶対だ」
「かしこまりました。今のガイアス様を信用させていただきます」
「今の……?」
「これはあくまでもわたくしが耳にしたことで、直接目にしたわけではないのですが……」
前置きをして、サキリアは話し始める。
「何でも……お屋敷の外を散歩していたときに、畑仕事をしていた村の娘に間違って泥をひっかけられて……」
「ん?」
「怒ってその村娘を折檻していたところ、彼女の家族に見つかってボコボコにされたと伺っております……」
「マジでか……」
ガイアスの所業の酷さに、俺は二の句が継げなかった。完全に自業自得である。
「それで、この怪我を?」
「いいえ……その後で仕返しに、その村娘の畑に赴かれまして……」
「ん? んん?」
「畑に火を放ったところ、御自身の服に燃え広がり、川に飛び込んで消そうとして全身を打撲なされたと伺っております……」
「あいたあ……」
さらに輪をかけて酷かった。俺は天井を仰いで嘆息する。
すると、俺の言葉を誤解したサキリアが慌てて尋ねてきた。
「ガイアス様!? どこか痛まれますか!?」
「い、いや、そうじゃない。大丈夫だ……」
俺は首を横に振る。
そう言えば、昨日から公爵もサキリアも、何だか俺に冷たい様子だった。嫡男が大怪我をしてやっと目が覚めたというのに、大して喜ぶ様子でもない。
話を聞いて納得である。そんな乱暴者の馬鹿息子なら、いっそ目が覚めない方がマシだったと思われていたとしても何の不思議もなかった。
「……あの、くどいようで申し訳ないのですが、本当にわたくしがお話ししたとは……その、記憶の無いガイアス様に、余計なことをお話ししたことが旦那様や奥様に知られると……」
「あ、ああ、分かっている。他の誰かから聞かない限り、思い出せないことにするから心配するな」
不安な顔で尋ねてくるサキリアに、俺は答えた。本当なら、すぐにその村娘や家族に謝って損害を補償するべきだが、別ルートでその話を聞けるまで待つしかない。
「…………」
いや、待てよ。俺はふと思い当たった。
元のガイアスがそんなに粗暴な性格なら、狼藉を働くのがその村娘の一件だけといことはあるまい。他にもやらかしているのではないか。
「な、なあ、サキリア……」
「何でございましょうか……?」
「もしかして……もしかしてなんだけど……俺は君達にも何か酷いことをしてたんじゃないのか……?」
「そ、それは……」
黙りこくるサキリア。やはり何かあるようだ。俺は重ねて尋ねた。
「言ってくれないか? 何を聞いても驚かない」
「そ、それなら申し上げますが……前のガイアス様は、私達メイドの些細な失敗を見咎めては、たびたび折檻をされておられました……失敗が無くても、折に触れて体を触ってきて……そ、その、胸やお尻を触られそうになったことも何度か……」
「うわーお」
ポルペネルめ……俺は内心で毒づいていた。
何が大貴族の嫡男だ。とんだセクハラドラ息子に転生させてくれたものである。相当いろんな人から怨みを買っていることだろう。何不自由ない暮らしどころか、刺されてまた死にかねない。
まあいい。あのカス女神の処分は今後ゆっくり考えるとして、今はサキリアである。転生前のガイアスがしたこととはいえ、その体を使っている今の俺が無関係、という訳には行かないだろう。
「があっ!」
痛みをこらえて無理やり上半身を起こすと、ベッドに両手をつく。
「済まなかった……この通りだ。許してくれ」
「お、お止めくださいガイアス様! そんなつもりでお話ししたわけでは……」
「分かっている。しかし……」
「今のガイアス様には関わりのないことです。どうか……」
サキリアは必死に俺を押し留め、ベッドに横たわらせようとして来る。悲しいかな、少し肩を押されただけで、俺はまた寝転がる姿勢になってそれきり動けなかった。
「ぐうっ……」
「ガイアス様のお気持ちはよく分かりました。どうかご無理をなさらないでください……」
「あ、ああ……」
「……もうじき、ケンプ先生がお見えになるそうです。お休みになってお待ちください」
「……分かった」
サキリアは俺に向かって深々と礼をすると、ワゴンを押して退出したのだった。