第20話 今までの人生を振り返りました
朝になって陽が昇ると、サキリア、エイノン、パトリシエの三人は次々に目を覚ました。俺はと言うと、一睡もできていなかったのでずっと覚醒状態である。
いささかやつれた顔をしていたのだろうか。エイノンが心配そうに尋ねて来た。
「大丈夫ですか? 御主人様」
「全然大丈夫です……」
俺は虚勢を張った。元ITエンジニアのプライドに懸けて、一晩の徹夜程度で弱音は吐けない。
「リョウキチ様……もしかして、どこぞの誰ぞがクソ重い体重で乗っていたせいでお休みになれなかったのでは……?」
「いや、そんなことは……」
サキリアの言い分を、俺は一応否定した。確かにパトリシエに乗られていたのは眠れなかった一因だが、体重は関係ない。
一方パトリシエは、サキリアを路傍の小石の如く黙殺し、俺に覆いかぶさったまま言った。
「おはようございます、リョウキチ様……包帯を換えさせていただきますので、しばらくお待ちくださいね」
「は、はい……」
パトリシエは体を起こし、ベッドから降りて行く。椅子にかけてあった修道服を着ると、部屋を出て行った。
「……全く、リョウキチ様はお人好し過ぎます。あんな聖女もどきに好き勝手させることないのに」
「ま、まあ、そう言うなよ。今日限りの辛抱だからさ」
サキリアが苦々しげに言うのを、俺はたしなめた。サキリアはベッドから出ると、その場で寝間着からメイド服に着替え始める。
「お、おい、ちょっと……」
「何か?」
俺の目が気にならないのだろうか。慌てて視線を逸らすと、エイノンが気を利かせて布団で顔を覆ってくれた。
「余計なことを……」
つぶやく声が聞こえる。やがて布団が取り除けられると、胸元が異常に緩い以外、一分の隙も無くメイド服を着こなしたサキリアが立っていた。そして、ほぼ同時にパトリシエが戻って来る。パトリシエは小さめの盥とタオルを捧げ持っていた。
パトリシエは盥とタオルをベッド脇の台に置き、俺に向かって言う。
「お待たせいたしました。その奴隷は遠くにやってください。邪魔ですので」
「ううっ……」
サキリアと違い、エイノンはずっとベッドの中で俺に抱き付いていた。確かにこれでは包帯を換え辛いだろう。
「エ、エイノンごめん。ちょっとの間だけ、ベッドから出てて……」
「くっ……王女の地位さえこの手にあれば、男爵ごとき木っ端貴族の娘など容赦しないものを……」
エイノンが心底悔しそうに言う。もしかして、戦争に負けて国を失う前は、意外と権力を振りかざすタイプだったのだろうか……
それはさておき、エイノンが渋々ベッドから出ると、パトリシエはまた修道服を脱ぎ捨てた。
「あの……パトリシエさん、着てなくていいんですか……?」
「はい。着たままだと服が汚れますので。それでは失礼します」
パトリシエは布団を取り除け、俺の上体に手を掛けてスッと起こした。肥満したガイアスの体を苦も無く起こせるのは、何かテクニックがあるのだろう。さらに彼女はベッドの上に上がり、俺の包帯を解いて行く。
それはいいのだが、下着の胸元を膨らませているものがひっきりなしに揺れ動いて、何とも目のやり場に困った。いや、揺れ動くだけならまだしも、結構な頻度で俺の顔に当たって来る。
さすがにその様子を見かねたのか、サキリアが言った。
「パトリシエ様……恐れ入りますがリョウキチ様のお顔が汚れますので、その小汚いものをできるだけ近づけないでいただけると……」
「…………」
パトリシエはサキリアに一瞥も与えることなく、黙々と作業を続けた。包帯を解き終わると、ベッドを降りてタオルを盥の中身に浸し、絞って俺の体を拭きにかかる。厨房かどこかでお湯をもらってきたのか、タオルは温かかった。
傷の無いところを優しく拭いてもらい、包帯が巻き直される。終わると、パトリシエは俺の上体をそっと倒し、またベッドに横たわらせた。
「終わりました。リョウキチ様」
「あ、ありがとうございます……」
「それでは、朝餉を持って参りますね」
また修道服を着直し、盥とタオルを持って出て行くパトリシエ。部屋の扉が閉まって完全に姿が見えなくなると、サキリアは俺の方に詰め寄って来た。
「サキリア……?」
「消毒」
「えっ……?」
「お顔が汚れましたので、消毒させていただきます」
「しょ、消毒って一体何を……?」
サキリアはベッドの上に飛び乗って俺の腰辺りにまたがると、俺の肩を掴んで強引に上体を起こさせた。そして俺の後頭部を両手で抱えると、自身の胸元に押し付けたのである。
「むぐぐぐっ!」
普通なら、男として嬉しい状況だろう。だが、大きな肉の塊二つに顔を挟まれ、空気の通り道が遮断されたとなるとそうも言っていられない。増して、今の俺はろくに身動きが取れず、抵抗ができないのだ。
人は死の危険に直面すると、自身の経験から助かる方法を見つけ出すために、それまでの人生を走馬燈のように思い起こすという。だが、噂には聞いていたものの、俺は実際にそれを体験したことはこれまでない。隕石をぶつけられて死んだときは、一瞬のことでその余裕もなかった。
そして俺は今日、二度の人生を通じて初めての走馬燈を体験していた。
祖父に武術の鍛錬をさせられていた子供時代、歴史に狂って史跡を訪ね歩いた学生時代、何を間違ったかIT企業に就職してしまってエンジニア修行に明け暮れた社会人時代……
そして、女神によって公爵家の長男に転生させられてから今まで。
そんな走馬燈がたっぷり一周したところで、サキリアはようやく俺の頭を解放した。
「ぶはっ!」
「お疲れ様でした。今日のところは消毒完了です」
「そ、そーですか……」
俺は安堵した。今日のところは、という物言いが引っかかるものの、これで生命の危機は脱したわけである。
ところが、サキリアがベッドから降りると、入れ替わりにエイノンが近づいてきた。
「御主人様……下賤なメイドの胸ではおそらく、満足な消毒ができていません。ですので王家の血を引く私の胸で改めて消毒を……」
走馬燈二周目の危機が迫っていた。俺はエイノンの申し出に対し、平静を装って語りかける。
「エイノン、話し合おうじゃないか。その消毒が本当に必要なのか、検討の余地があると思わないか? そもそも、俺の顔に何らかの汚れが付着していたと仮定した場合、タオルで拭くとか、薬を付けるとかが妥当な対処法のはずだ。胸を顔に当てて何とかなるっていうのは、非科学的、非現実的、非合理的な手段だと思うよ。ちなみに俺が元いた世界だと、今から180年ぐらい前に石灰を使った消毒が……むぐぐぐっ!」
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世間広しといえども、日に二度の走馬燈を体験した男はそういないんじゃないかと思いつつ、俺はパトリシエから朝食を食べさせてもらっていた。
「はい、リョウキチ様、あ~ん」
「あ、ああ~」
ふと、サキリアとエイノンの方を見ると、二人は表情の消え失せた顔面をこちらに向けていた。何を考えているのか全く分からなくて怖い。
そんなホラーな朝食の時間が終わったとき、扉がノックされた。
「どうぞ」
俺が声をかけると、扉が開いて二人の男が入ってきた。確か、部屋の外で見張りをしていた人達だ。
「失礼いたします、ガイアス様。旦那様とルシエス様がお越しに」
来たな……
おそらく、帝都に向けて出立する時間が近いのだろう。その前に俺に会っておこうという訳か。
俺は入って来た二人に、頷いて見せた。
進行が遅めで申し訳ありません。引き続き頑張ります……




