第17話 聖女に世話をしてもらいました
「ガイアス様。お食事をお持ちしました」
そう言うと、パトリシエはワゴンを押して部屋の中に入って来た。
どうしてパトリシエが? まさか、気が変わってやっぱり治療をすると言い出すんじゃ……
俺の胸を疑念がよぎったとき、サキリアがワゴンを押し留めた。
「これはパトリシエ様、わざわざありがとうございます。後はわたくしが……」
そう言ってサキリアは、パトリシエが部屋に入るのを阻止しようとする。一方パトリシエは、強引にワゴンを押して部屋に入ろうとした。
「あの……ガイアス様のお側まで持って行きたいので、できたらそこを退いていただけると……」
「いえいえ。持って行くのはわたくしの役目でございます。お客人のパトリシエ様のお手は煩わせません」
木製のワゴンが、ギシギシと嫌な音を立ててきしみ始めていた。サキリアとパトリシエが、ワゴンを挟んで力比べのように押し合っているのだ。
このままではワゴンが、乗っている食事ごと粉砕されかねない。俺は慌てて言った。
「サ、サキリア。とりあえず入っていただいて」
「チッ、かしこまりました」
サキリアは舌打ちして、渋々といった様子でワゴンから離れる。パトリシエはドアを閉めてから、悠々とベッドの側までワゴンを押して来た。
「お、恐れ入ります……でもどうして、わざわざパトリシエさんが……?」
俺が尋ねると、パトリシエは答えた。
「はい……お怪我を治せなかったせめてもの償いに、2、3日の間、ガイアス様のお世話をさせてほしいと公爵殿下に願い出たのです。幸いにして快くお許しをいただきましたので、こうして参った次第です」
「な、何と……」
治療ではなかった。しかし、パトリシエの中で俺は、領民をいたぶる最低の屑野郎(しかも廃嫡予定)ということになっているはずである。それでも責任を感じて世話しに来るとは、どれだけ聖女様なのか。
とはいえ、今の俺にとって、事情を知らない人にこれ以上近づかれるのもあまり好ましくない。公爵もそう考えるはずだと思うのだが、それでも許可を出してしまったのは、おそらく断る適当な口実が見当たらなかったのだろう。
そのとき、サキリアとエイノンが相次いで口を差し挟んだ。
「あーパトリシエ様。ガイアス様のお世話はこのサキリアが一から十まで、朝も昼も晩もさせていただいております。ですのでパトリシエ様の手助けは必要ございません。パトリシエ様は帝国軍に奉職するお方。一刻も早く帝都にお戻りになり、帝国軍のために力をお尽くしください」
「全くです。御主人様は私という奴隷を所有しておられますので、身の回りのお世話からドス黒い欲望の処理まで何ら不足はないのです。回復できない回復術師の出る幕ではありませんので、早々にお引き取りください」
なるほど。パトリシエはこうやって2人から反対されるのを見越していたのだろう。だからさっきこの部屋にいたときには俺の世話をすると言い出さず、2人がいない場所で公爵に持ち掛けたのだ。中々の策士ぶりである。
パトリシエは答えた。
「帝国軍には、既に休暇の申請を済ませてあります。加えて、今は戦もなく回復術師の出番はそう多くありません。私の外にも回復術師はおりますので、少しの間不在にしても問題はないのです。ガイアス様のお世話をすることに関しては公爵殿下のお許しを得ていますので、お2人が口を出すことではないかと……」
「「ぐぬぬ……」」
「それと……先程お2人の仕事ぶりを拝見していましたが、水はこぼすし尿瓶は四つん這いで運ぶし、正視に堪えませんでした。あんな雑な世話をされていては、ガイアス様のお心が歪むのも致し方ないと思います。ここは私にお任せください」
「何を!?」
パトリシエの挑発に、キレるサキリア。エイノンは一瞬左手を動かし、腰の辺りを探る仕草をした。剣があったら抜いていたということなのだろうか。
これではいけない。俺はパトリシエを宥めにかかった。
「お、お待ちください。パトリシエさん」
「ガイアス様?」
「先程お聞きのように、自分はもう公爵家の嫡子ではなくなります。それに近々、この家を追放されると決まっています。世話をしてもらったところで、その恩を返せる当てがないのですが……」
「恩だなんて……とんでもありません。私が責任の一端を果たすだけですから、ガイアス様はどうかお気になさらないでください」
「そ、それでも気が引けます……どうでしょう? 明日父上とルシエスが帝都に向けて出立しますので、それまでの間お願いして、一緒に帝都にお帰りいただくというのは……?」
「そうですね……ガイアス様がそう仰せになるなら……」
俺が出した妥協案を、パトリシエは受け入れた。これで、今夜一晩だけしのげば良いことになる。サキリアとエイノンはまだ若干不満顔だったが、すぐにパトリシエを帰せない以上、この際彼女達にも妥協してもらうしかなかった。
「それではガイアス様、冷めないうちにお食事を召し上がってください」
「は、はい……」
一応収まりが付いた形になったので、俺は安堵してパトリシエの給仕を受け入れた。パトリシエは普段サキリアがしているように、俺の口に食事を運んでくる。
「はいガイアス様。あ~ん」
「「…………」」
その様子を、苦々しそうに見守るサキリアとエイノン。最後に水を飲む段になって、手が滑ったのか、パトリシエはコップの水を俺の顔にひっかけた。
「…………」
「お怒りにならないのですか?」
「……何がですか?」
「先程そこのメイドがお顔に水をかけたときは、烈火の如くお怒りになって、鞭打ちにするとおっしゃったと思うのですが……」
「え……? あ、やばっ!」
もしかして、俺の反応を試すためにわざと水をかけたのか。それに気付かずうっかりスルーしてしまったのだ。俺の全身から、また冷や汗が噴き出した。