第16話 公爵が公爵父に激怒しました
「……今、何と?」
聞き返すと、パトリシエは深々と頭を下げて俺に言った。
「残念ながら、私の力ではガイアス様のお怪我を癒すことはできません。本当に申し訳ございません!」
「ああ……」
通じた……
俺は天井を仰いで息を吐いた。一時はどうなることかと思ったが、これで危機的状況を脱したのだ。
「か……あ、いや、そうですか分かりました……」
『感謝いたします』とうっかり言いそうになり、俺は慌てて言い直した。
「私の力不足です。お詫びのしようもありません……」
「いいえ……パトリシエさんがそう言われるなら仕方がありません。回復は諦めます……」
後は、この場を丸く収めるのみ。俺はパトリシエを宥めた。だが、公爵父は納得が行かないようだった。
「どういうことじゃ!? そなたの回復魔法は、瀕死の怪我人でもたちどころに癒して全快させると聞いておる! 何故ガイアスの怪我を治せんのじゃ!?」
「御隠居様……ガイアス様の臓器や骨格には、致命的な損傷がいくつも見られるのです。そこに傷が入っていては、いかに回復魔法でも効き目がありません。どうかお許しください」
「な、何という役立たずじゃ! 聖女が聞いて呆れるわい!」
「お祖父様!!」
俺は公爵父をたしなめようとしたが、全く収まらなかった。それどころか罵詈雑言がエスカレートしていく。
「この偽聖女めが、皇帝陛下に奏上して帝国軍から追放してやる! 貴様の実家のサンウァール男爵家も取り潰しに……」
「いい加減にしてください、父上!!」
「「「!」」」
突然入ってきて声を張り上げたのは、公爵だった。グラッセン以下、数名の男を従えている。公爵父が俺の部屋に押し入ったのを報告されて、急いでやって来たのだろう。
「マリヌス……」
「ガイアスの部屋には入らぬようお願いしたはずですが、何故ここにおられるのですかな?」
「ふん、祖父が孫の見舞いに来て何が悪いのじゃ?」
公爵の詰問に、公爵父は悪びれずに答えた。さらに公爵は、パトリシエを見て公爵父を問い詰める。
「それにこの者は……? 帝国軍の回復術師を私用で連れ出したのですか!?」
「皇帝陛下にお願いしたら、快く貸してくださったわい。噂の聖女パトリシエがこれほどの評判倒れとは思わんかったがの」
「…………」
パトリシエは表情も変えず、何も言わなかった。代わりに公爵が口を開く。
「申し上げたはずです。ガイアスの怪我は重く、回復の見込みはないとケンプ先生が診断しました。誰を呼ぼうと治療はできません。公爵位はルシエスに継がせます」
「あんな藪医者の言うことなど信用できるものか! それに見てみよ! 帝国軍がさんざん手を焼いたアガナの姫騎士を、ガイアスは見事に服従させておる。ガイアスには大将軍の才があるに違いないのじゃ。それを捨てるのはあまりにもったいなかろう!」
そう言って公爵父は、薄い布2枚で上下の恥部だけを隠したエイノンを指差した。エイノンは、他所に売られるよりは多少扱いがマシという理由で俺への絶対服従を偽装しているに過ぎないのだが、それは公爵父には分からないようだ。
「首から下が動かぬのに、どうやって将軍になるというのです? この者より優れた回復術師を、父上は御存じなのですか?」
「そ、それは……」
公爵にまた問い詰められ、公爵父は言葉に窮した。公爵はさらに追い討ちをかける。
「ガイアスがこのようになったのには、父上の責任もあるのですぞ!」
「わ、儂の責任、だと……?」
「ガイアスは公爵家の跡取りとして文武を修め、上は皇帝陛下に忠義を尽くし、下は領民を慈しむ精神を養わなければなりませんでした。それを父上が甘やかし、自制の効かない性格へと変えて行った。その行き着いた先が、領民の畑に火を放つという言語道断の愚行です!」
「そ、そんな……」
公爵父は、あたかも急に足腰が弱くなったようにがっくりと両膝をつき、その場にへたり込んでしまった。
「……ガイアスは、廃嫡の上この屋敷から追放します。どこか遠く離れた、静かな場所で療養することになるでしょう。無論、父上にお目にかかることはもう二度とありません」
「ううう……」
呻くだけで、何も言い返さなくなった公爵父。公爵はお供の人に、「連れて行け」と命じた。2人の男が両側から公爵父を支え、部屋の外に運び出していく。公爵父が連れてきたお供は部屋の外にいたが、どうすることもできない様子で、黙って公爵父について行った。
「……確か、パトリシエと申したな」
公爵がパトリシエに問いかける。パトリシエは下着姿のまま、お辞儀をして答えた。
「はい。公爵殿下の御前で、見苦しい風体であることをお詫び申し上げます。並びに、ガイアス様を治療できなかったことも……」
「よい……大儀であった。皇帝陛下とサンウァール男爵には、私からよく申しておく。安心するが良い」
「ありがたき幸せでございます。では、これにて……」
パトリシエが姿勢を元に戻す。サキリアはパトリシエの修道服を拾い、着るのを手伝った。元の服装に戻ったパトリシエは、公爵と俺に一礼ずつしてから部屋を退出していく。
後には俺と公爵、グラッセン、サキリアにエイノンが残された。公爵が口を開く。
「リョウキチよ。礼を申すぞ」
「えっ……?」
「ようやく父上に、ガイアスを甘やかしたことの非を悟っていただけた。今更言っても仕方がないが、もっと早くに口出しを止めさせるべきであった。私の不徳だ……」
「公爵殿下……」
うつむく公爵に、俺は呼びかけることしかできなかった。まあ、その甘やかしのおかげでエイノンが娼館で働かずに済んだわけだから、俺としてはあまり公爵父を責めることもできないのだが……
「……それにしても、よく治療を受けずに済ませられたな。もしあのパトリシエが本気で回復魔法をかけていたら、全快させられていたのではないか?」
「パトリシエ殿の、慈悲の心に救われましてございます」
俺は、治療を免れたいきさつを公爵とグラッセンに語った。
「何と……そのようにして……」
「危機一髪でしたな。リョウキチ様……」
「差し出がましいようですが、牢に入っているというその一家を釈放していただく訳には参りませんか? できれば畑を焼いた補償も……」
「うむ。よかろう……グラッセン」
「ははっ。至急手配いたします」
「感謝いたします……」
良かった。これであの一家のことも一件落着だ。お礼を述べると、公爵は言った。
「私は明日、ルシエスと共に帝都に向けて出立することが決まった。皇帝陛下に拝謁し、嫡子変更の裁可を賜ってくる」
「ははっ。どうぞお気を付けて」
「そなたもな。大事にいたせよ」
公爵とグラッセンが退出し、ドアが閉じられると、サキリアとエイノンが左右から飛び付いてきた。
「リョウキチ様!」
「御主人様!」
「ありがとう……2人ともよくやってくれた……」
俺は両腕をわずかに動かし、2人を抱き返す仕草をする。緊張の糸が一気に切れ、汗が全身ににじんでいた。
「リョウキチ様、大丈夫ですか?」
「ああ……もう大丈夫だ。2人がいなかったら一巻の終わりだったよ……」
「御主人様のお体が、あの下賤な回復魔法女に弄り回されなくて良かったです……」
エイノンが感慨深げに言う。そう言えばパトリシエは、エイノンの祖国に侵攻した帝国軍兵士を治療していた。怨み重なる相手を阻止できて、喜びも一際なのだろう。
その後、2人に体を拭いてもらったりしている間に時間が過ぎ、やがて夕食の時刻となった。
「持って参りますね」
厨房でできた食事を取りに行こうとサキリアが立ち上がったとき、コンコン、とドアがノックされた。
「「「?」」」
公爵だろうか。それともグラッセンか。とりあえずサキリアが歩いて行き、ドアを開ける。
「んなっ!?」
サキリアが素っ頓狂な声を上げる。見るとそこには、ワゴンを押すパトリシエが立っていた。