第10話 リハビリでやらかしました
公爵が退出すると、サキリアがガバッと抱き付いてきた。
「リョウキチ様!」
「うわっ!」
「簡単に死ぬなんておっしゃらないでください! 心臓が止まるかと思いましたよ!」
「ご、ごめん……」
心配させてしまったようだ。さすがに反省した。
「ちょっとサキリアさん、はしたないですよ! 御主人様のお怪我に障りますから離れなさい!」
エイノンがサキリアの肩に手を掛け、俺から引き離そうとする。サキリアはしぶとく抵抗したが、やがて強引に立ち姿勢に戻らされた。
「ちっ、先を越されたからっていい子ぶって」
「何を愚かな……御主人様、大丈夫ですか? どこか痛みませんか?」
「あ、ああ……大丈夫だよ」
「良かった……しかし御主人様、私も生きた心地がしませんでした。このメイドは御主人様がいなくなっても引き続きここで働くだけですが、私はどうしたらいいのか……」
「わ、悪かった……」
エイノンに言われて、また俺は謝った。
「……でもこれで、怪我が治るまではここにいられることになった。公爵殿下に感謝しないとね」
「怪我が治るまで、ということは……やっぱり出て行かれるんですね……」
サキリアに尋ねられ、俺は頷く。
「ああ……いくら見た目が同じでも、俺はガイアス君本人じゃないからね。嫡男としてここに居続けて、公爵の位を継ぐわけにはいかないよ」
ルシエスに次期公爵の地位を譲った後、あくまでも公爵が認めたらの話だが、廃嫡された長男としてここに居続けるという選択肢もあるのかも知れない。
だが、それでは正体をバラした目的は半分しか達成できない。公爵家を離れて、1人の人間として人生をやり直してこそ、ポルペネル始め神界の連中を見返すことになるのだ。
とりあえず、今は公爵が何か言って来るのを待とう。俺は目を閉じ、体を休めることにした。
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しばらく眠った後、俺はサキリアの声に起こされた。
「……様、リョウキチ様」
「ん……サキリア……」
「昼食をお持ちいたしました。お召し上がりになりますか?」
「ああ、ありが……うわっ!」
サキリアの方に目を向けた俺は、その隣にいるエイノンの姿を見て驚きの声を上げた。朝までは普通のデザインのドレスを着ていたのだが、今は胸と腰に薄い布を1枚ずつ巻いただけという、何とも目のやり場に困る恰好である。
「そ、その恰好は一体……?」
思わず尋ねると、エイノンは答えた。
「先程公爵は、御主人様にしばらくガイアスのふりをするよう言っていました。本物のガイアスなら、私にこんな屈辱的な恰好をさせるはずだと思うのです……」
「そ、そうかなあ……」
「それに……いつまた先代公爵がやって来るか分かりません。私がこの格好で御主人様に侍っていれば、奴隷としてきちんと慰み物になっていると思い込むはずです」
「そ、そういうものなんだ……」
「はい。そういうものです」
確かに、また前のように胸を触るわけには行かない。恰好だけで誤魔化せるというなら、そっちの方が良いに決まっている。俺は頷いた。
「分かった。その恰好でいてくれ」
「かしこまりました」
そう言えば、公爵は公爵父に俺の正体を話すのだろうか。それは後で分かるだろう。
そして、やりとりを聞いていたサキリアは、吐き捨てるように言った。
「はしたない……これが元王族……?」
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そして夜になり、夕食の時間。今度はサキリアの服装が変わっていた。前と同じメイド服には違いないのだが、胸元が大きくざっくりと開き、谷間が丸見えのデザインになっている。
「……サキリアも服変えた?」
「はて。おかしなことをおっしゃいますね。わたくしは元々この服装ですが……」
「そ、そうだっけ……」
「はい。そうです」
本人がそう言うのでは仕方がない。俺はもう何も言えなかった。
「はい、リョウキチ様。あ~ん」
いつものように、サキリアがスプーンで料理を食べさせてくれる。エイノンはベッドの反対側に回り、汚れた俺の口を拭く役目だ。
そして料理のほとんどを食べ終わり、あと1切れとなったとき、俺は言ってみた。
「な、なあ、サキリア……」
「はい、何でしょうか?」
「最後だけ、自分で食べてみようと思うんだけど、いいかな……?」
「ええ~まだ早いかと……」
サキリアは、露骨に嫌そうな顔をした。俺は重ねて言う。
「そこを何とか……早く手を使えるようになりたいんだ」
「はあ……じゃあ、今回だけですよ」
サキリアは皿を両手に持ち、胸の前に捧げ持った。俺はエイノンに頼んで背中を支えてもらい、上体を起こす。
右手は、ゆっくりとなら動かすことができた。少しづつ伸ばしていき、皿の上のスプーンを手に取る。そして料理をすくい、口元まで運んでいく。
「リョウキチ様……」
「御主人様……」
料理は無事、俺の口に放り込まれた。後はスプーンを皿の上に戻すだけだ。再び、徐々に手を伸ばしていく。だが、もう少しというところで肘に痛みが走り、手が落ちて皿を叩いてしまう。
「ぐっ……!」
皿の位置も下がる。ところがそのとき、間の悪いことに皿の縁がサキリアの服に引っかかってしまった。胸元の生地が下にずり落ちる。
「「「あっ……」」」
ちなみにサキリアは、ブラジャーの類は着用していなかった。
「本当に済みませんでした……」
仰向けの状態で泣いて謝罪する俺に、サキリアは事もなげに言った。
「とんでもございません。わたくしの方こそ、無駄に育った見苦しいものをお目にかけてしまって……ご不快ではありませんでしたか?」
「見苦しいなんて……き、き、綺麗だったかと……」
「まあ……それは光栄です。ところで、わたくしとしてはリョウキチ様がお手を使われるのはまだ早いように思いますが、反論はありますか?」
「何もないです……」
「大変結構です。では失礼して……」
サキリアが包帯を取り出す。それを見ていたエイノンは、俺の右手を取って前に差し出させた。そこにサキリアが包帯を巻いて行く。さほど傷付いていない指先までぐるぐる巻きにし、完全に使用不能にしてしまった。流れるような共同作業である。この2人、本当は仲が良いんじゃないだろうか。
「これで良し。では、これからも不肖このサキリアが、リョウキチ様の手の代わりを……」
そのとき、部屋の入口から声が聞こえた。
「ガイアス、食事は済んだか? 邪魔するぞ」
見ると、公爵が入ってくるところだった。お供には老人を1人だけ従えている。
来たか……
さて、どうなるか。
俺は無言のまま、頷いて公爵を迎えたのだった。