第0話 隕石に粉砕されました
「熱沢君、まだ帰らないのかね?」
「はい……明日までのこの資料を仕上げて、客先に送らないといけませんので」
「そうか……私は先に帰るが、熱沢君も適当なところで切り上げたまえよ。明日また続きをして仕上げれば大丈夫だろう?」
「はい。そうさせていただきます。課長、お疲れ様でした」
課長が帰宅した後、俺は俺一人だけが残るオフィスで作業を続けた。
俺、熱沢遼吉はIT関係の中小企業に勤めるしがないエンジニアである。この業界はどの会社も殺人的な仕事量だと聞くが、うちの会社もその例に漏れず、法律ギリギリの長時間残業が続いていた。こうなるといい加減ぐっすり眠りたくなって来るが、顧客に迷惑はかけられない。
「…………」
課長が帰ってから、無言でキーボードを打つこと2時間余り。午前零時に近くなってようやく資料の大筋が出来上がって来た。後は細かいところを修正していけば完成だ。
「がああああ!!」
目途が立った安心感と、他に誰もいない解放感から、両手を振り上げつい奇声など発してしまう。そしてすぐに気が付いた。うちの会社が入っているビルには、他の企業も何社か入っているのだ。他の企業でこの時間まで残業している人がいたら、今のを聞かれたかも知れない。
「…………」
俺はそそくさと姿勢を正すと、また無言でキーを打ち始めた。やっぱり疲れているようだ。今の案件が終わったら無理にでも休暇を取ろう。しばらく体も動かしていないので、相当なまっているだろう。時間を取ってじっくり鍛え直したいものだ。
そのとき、何の前触れもなく大きな音が響いた。映画で見る爆発シーンのような轟音だ。
「えっ……?」
上からか。一体何だ。思わず天井を見上げる。俺の目に入ったのは、何かの力によって天井が砕け散り、大量の破片となって自分に降り注ぐさまだった。
信じられない気持ちのまま、俺は意識を失った。
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…………
「あっ……」
どれくらい時間が経ったのだろうか。俺は意識を取り戻した。目を開けてみたが、周囲は暗闇で何も見えない。
「何だ? 何があった……?」
もしかすると、さっきの爆発か何かで目をやられたのかも知れないと思った。だが、顔を下に向けると自分の足元がぼんやりと見える。視力は無事なようだ。
となると、ここは一体どこなのか。仮にさっきの爆発(?)で俺がいたビルは壊れたとしても、周りはちょっとしたオフィス街だ。見渡す限り何も無いということは、いくら何でも有り得ない。
「えっ……!?」
次の瞬間、俺はさらに有り得ないことに気付いた。足元に地面や床を感じないのだ。浮いている。
何かに吊り上げられている感じはしないし、上下があるのは分かるから無重力状態でもない。
「どういうことだ……?」
俺は考え込んだ。そしてすぐに合理的な結論に達した。
「こりゃ夢だな……」
残業でデスクに向かっているうちに、ついうとうとしてしまったようだ。まずい。早く目覚めて作業を再開しないと……
「こういうとき、どうやったら目覚めるんだっけ……?」
効果があるか分からないが、試しに大声でも出してみるか。そう思ったとき、突然どこからか声がした。
「夢ではありませんよ。遼吉様」
女性の声である。俺は慌てて周囲を見渡した。
「ど、どなたですか……?」
すると、目の前で何かがまばゆく光り出した。しばらく暗闇に目が慣れていたので、そのまぶしさに思わず顔を背けてしまう。
「うおっ!?」
間もなく光は収まった。改めて前を見ると、そこには若い女性が俺と同じように浮かんでいた。明らかに日本人ではない欧州系の顔立ち。長い銀色の髪をなびかせ、ヒラヒラした白い衣装を着ている。右手には、先端に大きな珠のある杖を持っていた。
「こ、コスプレ……?」
「コスプレではありません。私は女神、ポルペネルと申します。神界を代表して、遼吉様に謝罪に参りました」
「め、女神……?」
女神まで出て来るなんて、ますます夢なんじゃないだろうか。そうは思ったものの、俺はとりあえず相手の話を聞くことにした。後で目が覚めて、全部現実でないことが分かったとしても、それはそれでいい。
「そ、それで……謝罪とは一体何のことですか……?」
「まず遼吉様、あなたは亡くなられました」
「し、死んだ!? 俺が……?」
「はい……遼吉様がいるのが分からず、あの場所に隕石を落した者がおりまして……本当に申し訳ございません……」
「うーん……」
深々と頭を下げるポルペネルだったが、俺は今一つ腑に落ちなかった。もし俺がいなかったとしても、オフィスがたくさん入ってるビルに隕石を落すのは普通ナシだろう。
いやそもそも、何故神様が地球に隕石を落したりする必要があるのか。神様の基準は人間といろいろ違うようだ。
その辺を詳しく聞いてみるべきか……
考え込んでいると、ポルペネルがまた顔を上げて話し始めた。
「お詫びとしまして、遼吉様の魂を異世界の大貴族の家に転送させていただきます。大貴族の嫡男として転生し、何不自由ない生活をお送りください」
「えっ? 異世界……? 転生……?」
急に降って来た言葉に戸惑う俺。ポルペネルはさらに続ける。
「新しい人生は、16歳ごろからのスタートになります。向こうの世界の言葉や文字は分かるようにしておきますので御安心ください。遼吉様の今の記憶や技能も、そのまま向こうに持って行くことができます」
ポルペネルの口調は、異世界の貴族への転生が、あたかももう変えられない予定であるかのようだった。俺は慌てて押し留める。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「な、何か……?」
「あの……1つ確認なんですが、元の俺として生き返らせてもらうことはできないんですよね?」
「はい。お詫びのしようもありませんが……」
「それならせめて……今の日本のどこかの家に生まれ変わることはできないんでしょうか?」
貴族と言っても、必ずしも恵まれているとは限らない。権力や財力があるならあるで責任も大きいし、トラブルにも見舞われ易いだろう。
それならいっそ、勝手知ったる平和な日本の庶民に生まれた方がまだ安心だ。俺の家族や友人、会社の人達がどうしているか、いずれ様子を見に行く機会もあるに違いない。
だが、ポルペネルは首を横に振った。
「申し訳ありません……神界の規則で、同じ世界には転生させられないのです」
「……その規則ができた経緯について、詳細な説明をお伺いしたいですが……」
そのとき、突然俺の体が淡い光を発し始めた。
「えっ!? こ、これは……」
「転生の時が来たようです。いずれまたお会いする機会があるでしょう。どうかお元気で……」
「そんな……あ、もう1つ! その転生先の嫡男って、その世界で16年間生きてるんですよね!? その人はどうなるんですか!?」
「ご心配なく。神界で処理しますので遼吉様が気にされることはありません。それでは……」
「処理って、もう少し納得のいく……」
光はだんだん強くなる。すぐに視界が白く染まり、何も見えなくなった。これで転生になってしまうのか。
「ちょ、ポルペネルさん! 待ってえええええ!!」
そして再び、俺の意識は途絶えたのだった。