25-17.むせる(1)
敷物を屋根に進む。
「手を上げ続けるのって、疲れますね」 唯が言う。
実は、俺も腕が疲れた。そして、意外に狭苦しい。
シートが目の前に垂れてくると、思いのほか邪魔だった。
なるほど、傘というのは、それなり上手く作られているものなのだな、なんて思う。
こんなシートが無くても、濡れないのだが、偽装のためには必要なのだ。
俺は、雨に濡れないことがバレると神様だと思われてしまう危険性があるのだ。
ただ、唯ちゃんまで真面目にやる必要は無い。
下に敷いた敷物で上からの雨を防げるので、衣類の一部に触れていれば充分効果があると思う。
「俺のシャツでも掴んでれば、たぶん濡れないと思うから、疲れたら試してみて」
「はい。疲れたら試してみます」
「あと(家まで)どのくらい?」
「5分もかからないと思います」
唯は、手が疲れた……のもあるが、興味もあって、試してみる。
シートは片手にして、もう片手は栫井のシャツを掴む。
さっきまでより、雨が強くなっているのに、まったく濡れない。
シートを掴む手を離す……が、全く濡れない。
どうやら、シートは関係無いようだ。
シャツを掴む手も離す。すると、今度は途端に濡れるので、慌ててシャツを掴む。
たちまち濡れなくなった。
雨に濡れないと言う超常現象は、この人の力だ。あらためて納得する。
「あのさ」 突然、栫井が話しかける。
唯は”実験してるのバレた?”と思いつつも、返事をする。
「はい」
そこで聞いた言葉は、唯にとっては少し意外なものだった。
「俺、ほんとに行った方が良いのかな?」
意外に肌着のことを気にしているようだ。
確かに、唯が好きな男性に肌着を持ち帰られたら、もう二度と会えないかもしれない……とは思うものの、この二人は風呂を覗いても許される間柄なので、あまり問題無い……少なくとも、栫井さんが気にする問題では無いかと思っていた。
栫井さんと会わせないと、母(洋子)は元気にならない。
そう思い、会いに行くように誘導する。
「はい。今、少し元気が無くて」
そこに、オーテルが割り込む。
『お父さんは洋子に会う必要が有ります』
そう言われて栫井は考える。
会わないといけない理由がある。やはり、何か勝手に予定が組まれているのだろうか?
理由を訊いてみる。
『なんでだ?』
『洋子は今弱っています。洋子は石を読むのに力を使ってしまいました』
石を読むと弱る? 小泉さんは、石を持っている。
やつれている原因は石なのか?
『え?じゃあ、小泉さんが元気無いって、石のせいなのか?』
『そんなことはありません。力が無いと読めないだけです。
元々弱っていましたが、お父さんの力で元気になりました』
俺は何もしていない。
『俺は何もしてないと思う』
『体の一部が触れれば、力を得ることができます。
そうすれば、元気になります』
『じゃあ、ひざまくらすると、小泉さんも元気になるのか』
『なります。近くに居るだけでも、だいぶ力が付くようです』
なるほど。
それじゃ、俺は動くフラグ発生機じゃないか!
それに、近くに居るだけで元気が出る……それを体感できるのだとしたら、神様だと思われてしまうかもしれない。
さらに、困ったことが。
俺が行くと補充されるのだとしたら、俺が行った時に元気そうに見えても、実はそうでも無いこともある。
小泉さんが何かをすると消費してしまうとしたら、一時的に元気が出ても、戻ってしまうこともある。
そもそも、その元気の素は何だ?
『石を読むとき使う力ってなんだ?』
『魔法の力です』
おお。石を読むのに魔法の力が必要なのか。でも、そんなもので元気になるか?
『そんなんで、元気になるのか?』
『人間の女は持っている魔法の力が小さいのです。
だから分けてもらいます』
神様だからじゃ無くて、男だから? いや、竜だからか?
『人間の女?』
『でも、この世界では洋子と唯だけです』
俺が聞いたのは、人間の女に限るってことは、男は違うのか?ってところだったのだが。
でも助かった。
この世界で、俺の近くに居ると元気になっちゃう人間は、小泉さんと唯ちゃんだけらしい。
でも、なぜ?人間を辞めてしまった俺はともかく、小泉さんと唯ちゃんには何がある?
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このやりとりは、唯にも殆ど聞き取れていた。
やっぱり、ベスが言ってることって本当なのではないかと思える。
栫井さんは、母の望みを叶えたら、ベスの世界に行く。
その時、妻の形見が必要になる。
この人は、いずれ、どこかに行ってしまう。
近くに居るだけで元気になる。雨漏りも防ぐ。
そんな人が居たら神様だ。
いつまでも独占は難しいように思う。
しかも、唯は見てしまった。
雨漏りの神様を必要としている人が居て、返せと言っている。
栫井さんは、あそこに帰らないといけない。
栫井さんは、ベスの世界に行くとき、妻の形見を持って行く。
お母さん(洋子)も、それを知ってて持たせた?
形見のことを聞いてみる。
「形見のこと……ああ、すみません、聞いちゃいました」
唯が形見のことを口にしたので、一瞬いつ話したかと思うが、思い出す。
形見……そう言えば、電話かかってきたとき、(小泉さんが)形見と言っていた。
唯ちゃんも話を聞いているのだろう。
「唯ちゃんのお母さん(洋子)が死ぬわけじゃ無いから。
あと、俺がすぐ失踪するとか、そういうわけじゃないから」
そう言いつつも、どういう伝わり方をしているのか、非常に気になる。
ぬう、俺は失踪してどこかで死ぬ時、ボロボロパンツを所望する男……言い換えると、
ボロボロパンツで昇天するおっさんだと思われてるのだ、きっと。
くっ、これはキツイ。
でも、まあ、信じて無いだろうとは思うけれど。
栫井は”ボロボロパンツ好きのおっさんだと思われること”を恐れていたが、唯は、神様を返せと言われていることの方を気にしていた。
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ほどなく、唯の家に着く。
「上がってください」
「おじゃまします……」
「お母さん、栫井さんが来てくれたよ」
「外雨でしょ」
洋子は、そう言って、タオルを持ってくるが、俺と唯ちゃんを見て一言。
「タオル……いらないみたいね」
ああ、気まずい。
「敷物があったから、それを屋根にして」
「敷物があると、服も濡れないの? 唯まで?」
どういう意味だ?
「ベスのお父さんだから?」
小泉さんは、ベスが俺をお父さんと呼んでいることは知っている。
だが、問題はその先だ。どこまで知っているのだろうか?
唯にとっても予想外だった。
「え? あ母さん知ってたの?」
ベスのお父さんだと唯ちゃんまで濡れない理由……
それ以前に、犬のお父さんって、説明が難しい。
小泉さんがどこまで知っているかも分からない。
返答に困る。
「いや、それはちょっと、いろいろあって、心の父親的な……」
そこにさらに、予想外の言葉が出た。
「尻尾の神様?」
うぇぇっ?
これは完全に想定外だった。
「なんで?」
まずい。小泉さんまで……どこまで知ってるんだ?
これには唯も驚いた。
尻尾の神様を知っているということは、洋子も、神を返せと言われたかもしれない。
石を読んで、神を返せと言われたのかもしれない。
だから、元気が無かった?
「なんで知ってるかって?」
黙って頷く。
なぜ知っているのだろうか? オーテルが話してしまった可能性もあるが、石で読んだ可能性が高い。オーテルはあまり説明が得意ではない。
「なんで隠すの?」
「ご、ごめん……」
ところが、返ってきたのは「なんで隠すの?」という質問。
思わず謝ってしまうが、そもそも俺自身が良く知らないのだ。
「あれ、妻の形見になるの?」
「なる。ごめん、俺勝手に……」
アレは凄い威力だった。一発で形見の力を実感できた。
そして、あれが妻の形見である以上、俺は勝手に小泉さんを妻だと思っている。
そんなの嫌がるだろう。
「いいわ」
え?
いったい何に対しての”いいわ”なのだろう?
「妻のことでしょ」
おお、妻だと思っててもいいよの意味だ。
「俺の勝手な思い込みでも構わないんだ。ただ、俺に人間の妻が居たと言う証拠が必要で……」
栫井は気にせず言ったようだが、明らかにおかしい。
もう、本人にとっては普通のことで気にも留めていないのだ。
栫井は、人間ではなくなってしまう。
その時に持って行く”人間の妻が居た証拠”。そんな理由なら、渡すしかない。
人間を辞めるのは、洋子のせいだ……洋子はそれを何となく知っていた。
だから、その時が来たら渡す。
「いつか渡すから、他の女のを持って行かないで」
そうか。俺は、小泉さんの形見を貰える。
「うん。たぶん他の人のじゃ代用にならないと思う。
でも、できれば、髪の毛が欲しいんだけど」
「両方持って行けばいいじゃない」
「ありがとう。大事にするよ」
小泉さんは、なんて優しいんだ。もう本当に妻になってもらおうかと思った。
ところが、小泉さんは、唐突に言う。
「ひざまくら」
「え?」
オーテルが何か言ったのか? そもそもオーテルは知っているのだろうか?
「オーテルが?」
「違うわ。ひざまくらしてたら、あなたが、ひざまくらするのは妻だって」
そんなこと言ったかな?
「言わなくても伝わったの」
なるほど。言わなくても伝わるのか……どうやって? いつだろう?
小泉さんは、女座りして言う。
「ひざまくら」
「え? 今?」
「栫井君が神様で、私はその力を分けてもらうことができるんでしょ」
そんなことまで知ってるのか。
説明は不要かもしれない……むしろ、俺より良く知っているのかもしれない。
ごろんと寝転がる。
すると、ベスが寄ってきて、また顔を舐められる。
『お父さんの顔は美味しいです』
そう言って、横で寝る。
俺は、犬のお父さんの気持ちになった。
『犬ではありません、ベスという生き物です』
オーテルは何故、頭の中で犬と言う単語を使うと反応するのだろうか?
また、ひざまくら。
柔らかくて温かくて……なんか溶けてしまいそうな気がする。俺が猫だったら液化しているに違いない。
※猫が柔らかくてスライムのようになっている様を液化と表現している
ぐおおおおお、俺はひざまくらには凄く弱い。
重力が凄くなって、ひざまくらから脱出できない感覚に陥る。
なんだか、罠に嵌っているような……ひざまくらをすると、妻のような気がする。
”ひざまくらをするのは妻”どこかで、そう聞いた気がする。
妻でも無ければ、こんなおっさんに、ひざまくらなんかしてくれないし、ひざまくらしてもらうなんて、もう責任取って妻にしないと申し訳ない……なんて思いが浮かんだ。
※この気持ちは時空を超えて、あっちの世界でエスティアに傍受されています ←後で酷い目に遭うフラグ
この気持ちは、洋子にも伝わる。
やっぱり、ひざまくらをすると妻だと思う特性があるのだ。
その感覚は洋子にもあって、栫井が妻だと思うなら、自分は妻のような気がする。
そして、神様の妻には特別な役割があって、それは幸せなことばかりでは無い。
そのことになんとなく気付いていた。




