25-8.洋子の股の布回収(4)
俺と小泉さんは、石を1個ずつ持っている。
それは、体のどこかにあって、自分の意思で、取り出したりしまったりはできないようだ。
石には記憶が入っている。
自由に中身が読めるわけでは無いのだが、関連のあるキーワードがあると、突如読めることがある。
俺はこれを、いつどこで手に入れたのか覚えていない。
『俺はどこで手に入れたんだろうな?』
オーテルが答える。
『わかりません。私がこの世界に来た時には持っていました。
洋子が石を取り込んだのは、首を吊ったときです』
小泉さん、自殺だとは思ったけど、首吊りだったのか。
小泉さんが、石を取り込んだのが、死ぬ時だったとしたら、俺も一緒か?
俺は、人間を辞めて、時間を戻した。
どうやって、人間を辞めたのかはさっぱり覚えていない。
どこかの時点で、俺も自殺しようとしたのだろうか?
一度死んで神様になったとか、そんなことはあるのだろうか?
『小泉さんが、自殺したから俺が時間を戻したのか?』
『はい。洋子が死んで、お父さんが絶望して富士の樹海に行こうとします。
そのとき、もっと良い森があると言うとお父さんと話ができます』
樹海? 良い森?
ああ!!! 思い出した。
…………
…………
俺は、誰もいないところで、人知れず死んでしまいたいと思っていた。
ふと富士の樹海が浮かんだが、樹海には”東京で死ね”の看板があることを知った。
だから、俺は、樹海にも歓迎されていないと思って絶望した。
そのとき、突然声が聞こえた。
『富士の樹海より、もっと良い森がありますよ』
そうだ。あれが、オーテルと俺の出会いか。
俺はあの時、オーテルは死神だと思ってた。
オーテルはあの頃、単に俺の娘だとだけ名乗っていた。
だから、俺は名前を知らなかった。
あのとき、俺は娘だということを信じていたかは覚えていないが、協力することにした。
娘は元気な頃の小泉さんの姿を見せてくれたから。
過去の特定の対象の視覚情報を覗き見する能力があるのだという。
今思えば、あれは、ベスの目を通して見た光景だったのだと思う。
ほとんど食事シーンだったけど、お風呂上がりのサービスシーンみたいのもあった。
着替えなんか、日常的な場面だし。
あの時の俺には、お色気シーンとかどうでも良くて、元気なころの小泉さんの姿が見られたことが嬉しかった。
俺はその時間に戻りたかった。
そして、俺には娘が生まれた世界に行く能力と、この世界に戻る能力があると聞いた。
本当に娘なのだとしたら、行くことができるのは確かだろう。
戻るとき、行った時とは別の時間に戻ることができると言うが、こっちはどうだろうか?
娘が言うには、俺の未練が無くならないと、俺は異世界で役目を果たすことができないと言う。
だから、戻ってくるのだという。
ずいぶん変わった設定だなと思った。
強いとか弱いとか、伝説のとか禁呪とか、そう言うのがさっぱり無い。
俺はそう言うのは、あまり好みではないので、その変な世界に興味を持った。
富士の樹海よりもっと良い森があって、俺が死にそうになるのだそうだ。
俺は樹海にも歓迎されない人間だ。
俺が行って死んでも良い森があるなら、そこに行ってみようと思った。
でも、そこに行っても俺は死なないのだと言う。ガッカリした。
死にそうになるのに死なないと言うのは、すごく嬉しくない。
けど、俺は、村の入り口で、”ここは○○村です”とか言いつつ、歳をとって死ぬ役でも良いと言うので、だったらそれでも良いかと思った。
俺は異世界で、やたら強い勇者とかは嫌いだ。戦いは飽きた。むせる、心が渇くのだ。
だから、伝説の勇者とか言われるよりは、そっちの方がまだ良いなと思った。
できれば、妻が居たら嬉しいと言った気がする。
…………
…………
ああ、なんか思い出した。これが石の記憶だろうか?
あのとき俺は、疑いつつも、賭けてみた。
そして、俺は戻ってきた。
オーテルの言うことは、本当だった。時間を戻し、俺は戻ってきた。
残念ながら、俺があっちの世界で何をしたかはわからない。覚えていない。
俺に妻は居たのだろうか? 居たとしたら、妻を置いて戻ってきてしまったのだろうか?
ただ、1つの村で静かに暮らしていたわけでは無さそうだ。
ずいぶん広い範囲の地形を記憶しているから。
いくつかの場所で過ごしたような気がする。
土地のイメージはあるのに、誰とどんな家に住んでいたかは、まったくわからない。
俺の記憶は不完全で、大雑把なマップや、貨幣とかはわかるのに、身近なことは抜けている。
だから、本当は、俺はあっちで何をしていたのかは、さっぱりわからない。
俺が、時間を戻したことなど忘れて、何度かやり直ししている間、オーテルはずっと待っていた。
オーテルにとっては、どれだけ長い時間が流れたのだろうか?
『ごめん、オーテル。ずいぶん待たせたな』
『はい。とても長かったです』
『あのとき、もっと良い森と言ったか?』
『人間がトート森と呼ぶ森です』
『トート森? 俺が知ってる森だな』
『はい』
そうか。あの謎の記憶のことも、オーテルとなら話せるのか。
俺には、昔から”朧げに”と言うには無理がある程度には覚えている異世界の記憶がある。
『あの記憶、実在するものだったのか……』
『トート森のことですか? そうであれば、私の世界の人間の暮らす土地の一部です』
まあ、確かに、オーテルに誘われて行ったのだから、オーテルも知っているはずではあるのだけれど。
何しろ、設定みたいなものしか頭に残っていないので、現実味が無かった。
単なる謎の記憶だった。覚えていることに意味はあるのだろうか?
俺は、はじめは幻覚か何かだと思っていたが、オーテルを愛でていた。
もう生きていることが嫌になって、さっさと死んでしまおうと思っていた時オーテルに会った。
妙に素直な子だった。
いつの間にか、俺はすっかりオーテルを愛でていた。
俺が父親なので、いつかはオーテルの世界に行かないといけない。
一時的にではなく、俺は、あっちに行って、そのままあっちで死ぬ。
本当は、片道切符なのに、何度も繰り返しているのだ。
でも、そろそろ終わりだ。
唯ちゃんも、小泉さんも生きている。
『俺は何回繰り返したんだろうな。やっと終わるのか』
『最後に行くときは、人間のやり方で、妻にした方が良いです』
人間のやり方って、この歳で結婚式? 籍入れるだけで良いのだろうか。
妻か。小泉さんが妻になってくれたら嬉しいけど
本質的には、俺が妻だと思っていればそれで済む問題にも思える。
でも、書類上の妻と言うのも重要ではあるか。
今からでも……結婚……でも、俺はオーテルの世界に行かないといけない。
そう考えると結婚してもらっても、俺はしばらくすると居なくなってしまう。
そんな無責任な状態で結婚してくれとは言えない。
『俺は、オーテルの世界に行かなきゃならない。妻は持てない』
『そんなことはありません』
籍を入れても入れなくても、俺はオーテルの世界に行けると思う。
だから、あとは、唯ちゃんの病気だけ何とかすれば。
『唯ちゃんの病気って、どんな病気だ?』
『お父さんが治さないと死にます』
『俺は治せるのか?』
『はい。洋子が望めば』
治せるのか。
『小泉さんが、唯ちゃんの治療を避ける理由があるのか?
治すと体に跡が残るとか?』
『唯の体に悪い事はありません』
『じゃあ、なんで』
『心の準備が必要なのです』
聞いても無駄か。それにしても、理由が分からないな。
『妻の形見って、他のものじゃダメなのか?』
『形見として持って行けるものは限られています。
体の一部だけです』
『髪の毛とか?』
『洋子のは、シャンプーの臭いが臭いです』
『いや、俺は構わないんだけど』
『お父さんが最後死ぬときには竜です。死ぬ時まで持って行けるものでないとダメです』
『俺がシャンプーの臭いを我慢すりゃ良いだけだろ。俺、シャンプーの匂い好きだし』
このとき、俺は、もし、形見を貰えるのなら、髪の毛を貰って行こうと思っていた。