25-6.洋子の股の布回収(2)
”洋子、お父さんに、唯を助けるようお願いするのじゃ”
ベスが言った言葉。
洋子は、考えれば考えるほどに、この言葉には”何か”があるように思えてしまう。
洋子にとって、助けを求めるのは、かなり難しいことだった。
精神的にハードルが高かった。
実際、(元旦那と)離婚してから、酔い潰れて唯が呼ぶまでの間、栫井と連絡を取らなかった。
元々、栫井を裏切ってしまったという思いから、正しい意味での、”敷居が高い”に該当する例でもあるのだが、洋子の気持ち的には、レベル、つまり閾が高いと感じる面があった。
栫井に願い事を言うことは、難しかった。
”頼む”、”お願い”に引っかかるものがあった。
栫井に連絡できなかった理由も、本当は、これだったかもしれない。
”洋子の願いは栫井を縛ってしまう”そんな気がした。
そして、唯を助けることと、ベスの世界に行くことには繋がりがある。
洋子は、洋子自身が栫井に助けを求めない理由、お願いしない、特別な理由があるように感じる。
何かがある。
そう思ったとき、突如、脳裏に”尻尾の神様”という言葉が浮かぶ。
神に願わなければ叶わないようなことが何かあった……
”唯を助けて”と神に願わなければならなかった理由があった?
でもそれは、”神に”であって、”栫井君に”では無いはず。
「尻尾の神様……」 そう呟く。
何か大事なことがあったはず。
何かを思い出しそうになったのだが、邪魔が入る。
ベスが急に騒ぎだしたのだ。
「今日から、ヤキトリじゃ。ヤキトリを買ってくるのじゃ」
タイミングが良すぎる。ごまかした?
もしかして、尻尾の神様はベスのこと?
洋子はそう思った。
「唯、悪いけど、買い物頼める? ちょっと疲れちゃった」
妙なタイミングだとは感じたが、洋子が急激に疲労しているように見えたので、唯は驚く。
「え、ええ、いいけど」
唯に買いに行かせる。
ただし、疲れを感じたことも事実だった。
洋子は急に疲れを感じていた。
逆だ。栫井から、元気を貰って、一時的に調子が良かった。
それが急に失われてしまったのだ。
何かに力が消費されたように思えた。
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唯は、どうやら、ベスと母が2人で話をしたがっていることに気付いていた。
「買い物に行くよ。ベスは?」
「……」
無言。行く気は無いようだ。
ベスは、ヤキトリを買いに行くときには一緒に行くことが多い。
”買いに行くところまで含めてが、ヤキトリの醍醐味”だと言っていたのだ。
まあ、ベスはいい加減なので、気分次第で変わるのだが。
それでも、ヤキトリを望んでおきながら、付いてこないのには違和感がある。
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このとき、洋子とオーテル(ベス)は、お互いに情報を共有したいという思いで目的が一致していた。
オーテルは、今日のうちに、洋子に伝えなければならないことがあったのだ。
洋子にも、今日のうちに聞いておきたいことがあった。
唯が出かけると、洋子が切り出す。
「ベス、”尻尾の神様”って知ってる?」
「思い出したか。神様には尻尾があるのじゃ」
「尻尾がある?」
ベスには尻尾は有るが、ベスが尻尾の神様というわけでは無いようだ。
「妾の世界の神には尻尾があるのじゃ。竜じゃからの」
洋子は気付く。
ベスが尻尾の神様ではなく、ベスを送り込んだのが尻尾のある神様。
「唯を助けてくれるようにお願いすると、栫井君が、ベスの世界に行くの?」
「そうじゃ」
洋子には、その理屈がさっぱりわからない。
ただし、何か理由があって、洋子は栫井にお願いができなかった。
その理由の方は、少しわかった気がした。
願いが叶ったとき、栫井が、ベスの産まれた世界に行ってしまうから。
でも、栫井に尻尾は無い……
本当に無いか? それはわからない。せっかく風呂を覗いたのに、尻尾の有無は確認しなかった。
尻尾の神様は、栫井かもしれない。
だから、気軽に栫井にお願いをしてはいけない。
「ダメ、お願いできない」
「何を言うておる。それでは唯が助からぬ」
「でも、今はまだ」
「時間はまだある。妾も、もう少し後の方が助かるのう」
「え?」
てっきり、今頼めと言われたのかと思った。
「唯を助けるって、いつまでに?」
「思い出しておらぬなら、もうしばし待つが良い。まだ時間はあるでの。
お前が妻の形見を渡した故、妾はもうお主の準備が整ったのかと思っただけじゃ」
私の準備?
準備が出来たから、肌着を渡したのだろうか?
何か、原因があるとしたら、再会できたことと、ひざまくら。
おそらく決定打は、ひざまくらだと思った。
妻の形見を渡す時期と、唯を助けてくれるようお願いする時期は、そう遠く離れてはいないようだ。
「唯が助からないって、何があるの?」
「肉体的に言えば、一種の病気じゃな」
「え? 病院は?」
「病院に行って助かったことはあったかの?」
え? その言い方だと……
病院には行ったが助からなかったことが何度もある?
「助けることができるのが、お父さんだけだとしたらどうするのじゃ?」
栫井君だけが、助けることができる?
その理由を洋子は知っている気がする。
「既に、お前が死にそうなとき、死んだとき助けていたとしたら?」
急にベスが恐ろしいものに思える。
「ベス? 何を言って……」
首の衝撃の記憶が蘇る。冷や汗がどっと出る。
洋子は確かに死にそうになったことがある。自殺、首吊りだ。
そのとき、掌が熱くなる。
慌てて自分の右手の掌を見るが何も無い。
その瞬間、頭の中にメッセージが蘇る。
”お母さんに、この気持ちをお母さんに伝えて。
信じて、お母さん。このお守りは、私たちを守ってくれる”
そう、このメッセージと共に、唯の形見のお守りが、洋子の体に取り込まれたのだ。
唯が死ぬとき持っていたお守り。握ったまま、死んでも離さなかったもの。
洋子が自殺したとき、それを持っていた。
これって、唯が死んだときの? 死んだとき?
唯が死んだ?
そして、森が見える。
…………
誰かが歩いている。
とても、山歩きするような格好には見えない。
迷い込んだのだろうか?
一見、洋子とは、まったく関係無いことにも思えるが、大事なことに思えて目が離せない。
その人は倒木に座った。
森から出る気は無いようだ。
何かをずっと見ている。思い出の品?
写真だ。写真を見てる。
その人物は、長い時間、写真を見ていた。
何の写真だろう?気になる。
”私だ。私の写真!”
そして、写真を見ているのは、栫井君!
「頼ってくれれば」 栫井かこいの声が聞こえた。
それに対して、洋子が必死に説明している。
「でも、頼っても、唯は助からない。私は唯を助けたかったの」
”唯は助からない”
この記憶の中の洋子自身が言っているのだ。
唯は助からない?
でも、今実際に生きている。
どうして?
『助けられるとしたらどうする?』
「助けられるとしたらどうする?」
あの時の声と、今のベスの声が重なる。
「ベス? あなた、前にも会ったことがある?」
「洋子、どこまで思い出した?」
「栫井君が森で、助けてくれるって」
「そうじゃ。もう遅いのじゃ。
お父さんは、人間を辞めて、時間を戻した。
唯を助けて、解放するのじゃ」
解放? 洋子が縛り付けている?
「あの人は、人間を辞めると何になるの?」
「人間が神と呼ぶ存在じゃ」
「尻尾の神様?」
「そうじゃ」
洋子の中で繋がった。
栫井は、時間を戻して、ひたすら洋子からの連絡を待った。
全てを終わらせて、妻の形見を持った時、この世界を去る。
洋子はどこかで失敗してしまった。
まだ終わっていないのに、妻の形見を渡してしまった。
危うく、栫井が遠くに行ってしまう所だった。
ショックが大きすぎた。一気に思い出しすぎてしまった。
「なんだか、急に身体の調子が」
「石を読むのに力を使いすぎたのじゃ。お父さんに治してもらえ」
「え? そんなものまで治せるの?」
「お父さんは神ゆえ、妻は力を得ることが出来るのじゃ」
「じゃあ、今思い出したのは?」
「お父さんから貰った力を使ったのじゃ」
「ひざまくらでも、昼寝でもなんでも構わぬ。触れておれば、力を吸う」
「それじゃ、栫井君の力が……」
洋子は、栫井の力を奪ってしまうのではないかと心配した。
「神じゃ。気にする必要など無い。余るほどある故」
もっと知りたい。
そのためには、栫井と会わなければならない。
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唯が戻ると、洋子はすでに寝ていた。ベスと一緒に。
唯が帰ったのを知ると、ベスが頭だけ唯に向けて言った。
「お父さんに会えば、すぐに治る。
散歩の途中で、少し寄ってもらえば、良くなるじゃろ」
それを聞いて、唯は、恋煩いという言葉が浮かぶ。




