25-5.洋子の股の布回収(1)
”戻って来られる回数には限度があります。もうそろそろ、終わりが近付いています”
俺が向こうの世界に世界に行って戻って来られる回数には限度がある。
まあ、そりゃそうか。恐らく、何かしらの対価が必要なはずだ。
俺はそれを既に支払っているのか、これから払うことになるのか……
終わりが近付いてる……
今回を最後にしないと、危ないのではないだろうか?
幸い、小泉さんが生きてて、唯ちゃんも生きてる。
妻の定義はよくわからなかったけれど、小泉さんのパンツが妻の形見になるのは確かだと思う。
何故そんなものが必要なのかさえも、よくわからないのに、威力は凄かった。
そして、俺は今それを持っている。
条件が揃ってしまった。
俺は、そろそろ行かなくてはならないのだろうか?
なんでかわからないが、俺はどうも、ひざまくらをしてもらうと満足するようだ。
親を見送ってからと思ってたのだが、その時間も無いようだ。
事故のように、この世界を去ってしまう可能性がありそうだ。
妻の形見を持った時のように……俺は、どこかに行ってしまいそうになることがあるようだ。
だったら、そうなる前に、自分で決めたタイミングで行きたい。
『オーテル。俺が行くときが迫ってるみたいだ』
そう言うが、オーテルは納得していないようだ。
『迫っているのですか? それはおかしいです』
おかしい? 何か理由があるのだろうか?
『何か理由があるのか?』
『妻の形見を持って行くのは、私が成仏した後です』
ああ、確かに、オーテル成仏した後だと言っていた。
『オーテルは何をすると満足するんだ?』
『私は、一番大きな竜に会いに来ました』
『一番大きな竜?』
確か俺に会いに来たと言っていたはずだが。
『一番大きな竜は、お父さんです』
俺は一番大きな竜ってやつなのか。
転移する竜とか、いろいろな呼び方があるのだなと思う。
まあ、だとしたら、俺に会った時点で、それはクリアされている。
『オーテルは、いつでも成仏できるのか?』
『まだなようです』
そうだよな。オーテルが俺に会えば成仏だったら、既に条件が達成されてるしな。
『どうしたのですか?』
『なんか、オーテルの世界に行ってしまいそうだ』
『きっと、その股の布のせいですね。それは洋子の股の布です』
凄く知っている情報だった。
『いや、それは分かるんだけど、コイツは、本当に妻の形見になるようだな』
『はい。お父さんは、人間の妻の股の布を持って行きます』
股の布と言う呼び方が、生々しい。
竜と言う生き物から見ると、おそらくこれは、”股の布”と言うレベルのどうでも良いようなものなのだろう。
俺のような独身者からすると、たとえボロボロであっても、女性の下着、特に好きな女性のものであれば、特別なものだ。そう考えると、俺の心は人間だと思う。
オーテルは、俺は竜だと言うが、俺の恋愛対象は人間だ。
こんな見すぼらしいパンツが形見になるくらい、小泉さんが好きだった。
『もし、まだ行かないなら、俺は、コイツを持ってるとまずい。
コイツがあると、いつでも行けそうな気がする』
『それは良くありません。私がまだ成仏していません。
それに、唯の病気を治さないとなりません』
そういや、唯ちゃんの病気、昨日もそんなこと言ってたか。
『おい、唯ちゃんの病気ってなんだ』
『お父さんは、唯の病気を治さないと成仏できません』
『だったら尚更だ。俺は、親を看取ってから行こうと思っている。
だから、今これを持つのはまずい。なんで今入れたんだ?』
『今日、カバンに入れた理由ですか? 少し待ってください』
少し待て?
『それは、どういう意味だ?』
『…………』
返事が無い。
今、待てってことか。
慌てて返事を考えているのだろうか?
それにしても、唯ちゃんは、病気には見えない。
その病気と言うのは、俺が治さないといけないらしい。
俺には、病気を治す能力があるのだろうか?
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オーテルは、ベスの体で洋子に話しかける。
「洋子、お父さんが、なぜ今入れたのかと疑問に思って居る」
「え?あの肌着のこと? 武士の情けって言ったのに、なんで?」
「妻の形見は危ないのじゃ。あれを渡すということは、この世界を去って良いと言って居るようなものなのじゃ」
「え? なんのこと?」
「お前の願いを叶えるために動いておるのじゃ。形見を渡せば、お父さんは解放される」
「なんなの?」
「とにかく、少し触れただけで十分な効果があるのじゃ」
「そんなの知らないし、無意識でやったの!!」
「確かに、そう言うておったな」
そして、今度は、栫井に話しかける。
『お父さん。無意識にやってしまったのです』
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この時点で、栫井は、オーテルが洋子と話したことを知らないので、違和感を持った。
ん? 時間かけて出てきた答えがそれか?
一生懸命考えたけど、良い言い訳が思いつかなかったと言うことか?
何か変だ。
何かを隠すために、言い訳を考える時間が必要だったのか?
『いくら小泉さんでも、イタズラで、このパンツを入れたりはしないだろうしな』
この言葉を聞いて、オーテルは、洋子に伝える。
「洋子、大変じゃ、妾が入れたと思うておるようじゃ」
「え? 離れてるのにわかるの?」
「ほほほ。妾が偉大であることに、ようやく気付いたか」
洋子は、偉大のくだりはスルーした。
そして、ベスに頼む。
「ベス、お願い、ベスが入れたことにしておいて」
「妾は、お父さんに嘘はつけぬ」
やはり、ベスは栫井を”お父さん”と呼んでいる。
そして、何か、洋子が忘れていることがあるように思う。
洋子は、自分でも理由がわからなかった。まったく無意識でやったことだった。
唯の証言が無ければ、ベスがやったか、栫井が自分で入れたと思うところだ。
ただし、本当に洋子がやったとしたら、思い当たる理由がある。
ベスは妻の形見と言っていた。洋子は、ひざまくらをしたとき、栫井が洋子のことを妻だと思っているように感じた。
肌着を渡すのが求愛行動だと思っていれば、洋子は、自分の意思で、渡したかもしれない。
ただし、もっとキレイなやつを。
いくらなんでも、あんな汚いボロボロのものを選んで渡したりはしない。
あんなものをプレゼントしたと思われたら、恥ずかしくて二度と会えない。
あんな醜態を晒してまで、せっかく栫井と再会できたのに、こんなことで会えなくなったら悲しい。
ここは、大人の力(金の力)で、なんとかする。
「ベス、お願い、ヤキトリ3日間、5本づつ出すから、ベスが入れたことにして、肌着は捨ててもらって」
耳がピンと立って、ビビビと来た。
「なんじゃと!」
洋子の予想通り、ベスが釣れた。
ベスは嘘は良くないと思いつつも、心が揺れた。
ベスには計算できないほど大量のヤキトリだ。
「3日間で、ヤキトリは全部でいくつになるのじゃ?」
「5本を3回だから15本」
「それはすごい量じゃな。洋子、お主は貧乏なのに、ヤキトリを15本も買うことができるのか?」
洋子は話を合わせる。
「凄く高いけど、そのくらい大事なことなの!!」
実際は当然、ヤキトリ15本は、洋子にとっても、そうたいした金額では無い。
たかだか15本がベスにとって大量だと思えるのは、元々、唯が自分の小遣いで買っていたためだった。
小学生にとっては、実際に小遣いに対してけっこう高価なものだったことが大きな理由だった。
小学生の頃は、自分がお菓子を我慢して、小遣いでヤキトリを買っていたのだ。
(ヤキトリを食べさせる約束があったため)
その状況は、しばらく続いた。当時は、お年玉で、一年分の焼き鳥代が賄えない程だった。
今となっては、唯の小遣いでも、毎月買い与えることができる程度だが、たくさん与えると健康面でも問題があるので、ヤキトリがインフレするのを避けてきた。
もともと貨幣価値の分からないオーテルは、洋子にとってもヤキトリは高価なものだと思っていた。
なので、大量のヤキトリを与えても良いと思えるくらい極めて重要なことだと納得した。
「じゃが、あの股の布、捨てるのは難しいようじゃな」
「だったら返してもらって……」
と言いつつも、また届けてもらうの悪いと思う。
「唯、悪いけど、明日取りに行ってくれる?」
母の肌着を受け取りに行くというのも、少々気まずいが、母のことを思うと仕方ない。
「うん。仕方ないよね」
唯はあまり気乗りしていなかった。
そこに、ベスが漏らす。
「唯だけ会いに行くのか。羨ましいのう」
この一言で流れが変わる。
「また来てもらったら? ”ベスが会いたがってるから”って言えば」
「おお!その手があったか。唯でかした。今すぐ連絡するのじゃ」
「え?」
「来てもらうのじゃ。妾は、お父さんと散歩したいのじゃ」
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ベス(オーテル)は、ピンときた。
股の布を返せといえば、お父さんが来る。
妾が会いたくてカバンに入れたことにすれば、きっと来るはず。そう思った。
嘘は良くないが、お父さんも嘘つきだと言っていた。
だから、妾が少々ついても、許してくれるはず。
そもそも、誰が股の布を入れたかなど、たいした問題では無い。
「早う、早う、連絡するのじゃ」
そんなわけで、話はまとまった。
さっそく電話をする。
「すみません、お忙しいところ、ベスが一緒に散歩したいからって」
…………
「ああ、だからパンツを入れたのか。意図がわからなかったが、納得した」
…………
…………
なんとか、少なくとも言葉の上では、栫井に伝わったようだ。
「お母さん、安心して。栫井さん、勝手に、ベスが散歩するためにやったと思ってたみたい」
「良かった」
洋子は、安心した。
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栫井は、イマイチ納得できていなかったが、オーテルの一言で、信じてみることにした。
『お父さん。明日、その布を持ってきてください。私はお父さんと散歩をしてみたいのです』
そうか。なるほど。
実際は、ちょっと繋がってない部分もあったが、概ね納得できた。
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ところが、洋子には、さらにもう一波乱起きていた。
「洋子、お父さんに、唯を助けるようお願いするのじゃ」
「何それ?」
「お主が頼まなければ、安心して行けないのじゃ」
「行く? どこに?」
「妾の世界に決まっておろう」
「ベスの世界?」
「ベスが生まれた世界じゃ」
ベスは、自分自身のことを妾と呼ぶが、身体のことはベスと呼んでいた。
「ベスの世界ってどこにあるの?」
「凄く遠くて、そんなところに行けるのは、お父さんくらいしかおらんのじゃ」
洋子は、何かが引っかかって出てこないような、もやもやした気持ちになった。
唯を助けるのもそうだが、栫井がどこか遠くに行くという。
「助けるって?」
「洋子が頼まぬと、助けられぬのじゃ」
「助けるって何?」 再度訊く
「洋子が頼まぬとダメなのじゃ」
意味が分からないが、唯には思い当たることがあった。
唯の学費だ。
同時に、そんなことでベスが騒ぐだろうかとも思う。
洋子は、もっと大きな何かがあるように感じていた。
もう少し、状況がはっきりするのを待つことにする。
「まずは、肌着返してもらって来てから。それに、栫井君と散歩するんでしょ」