25-1.おなかのぷにぷに感が足りない
唯が、家に帰る。
栫井と母(洋子)のために、二人きりの時間を作ったのだ。
ドアを開けて「ただいま」と言うが、ベスが駆け込もうとするので、紐を引く。
「ベス、拭かずに上がっちゃダメでしょ」
いつものベスらしくなく、まだグイグイ引っ張る。
「拭くから待ちなさい」
それでも、言うことを聞かず、上がろうとする。
苦労しつつ、ベスを拭き、上がるが、どうも、母と栫井は、まだ狭い個室に居るようだ。
ドアは開いているが、玄関からは、角度的に中が見えない。
「お母さん?」
声をかけつつ、数歩歩いて、部屋の中が見えるところまで来る。
2人が見えた。唯は一瞬驚く。
正確には、見えるのは、座っている洋子の後ろ姿がほとんどで、その陰に栫井の姿がちょこっとだけ見えている。
隠す様子もなく、2人でイチャイチャしてるのかと思った。
もちろん、そんなわけもないのだけれど。
相変わらず、栫井は、唯が出かける前に倒れていたのと同じ場所で倒れたまま、その横に母(洋子)が寄り添っていた。
ひざまくらをしていた。その姿が、凄く自然に見えた。
これこそが、本来の二人の在り方なのではないか……なんて思ってしまった。
唯が出てから、戻ってくるまで30分くらい経っていたであろうか。
戻ってくるとき、一応連絡を入れた。
急に戻って、気まずい場面に遭遇することを恐れて。
おそらく、あの電話の時からずっと、このままだったのではないかと思った。
栫井さんが、栫井さんに甘えるベスみたいになっていた。
自分でも少し不思議に感じた。
唯は、母のこんな姿を見たら、”うわーーーっ”と思うような気がするのに、今はむしろ、羨ましく思う。
二人の今までを思うと、この形が幸せなんじゃないかとか、見てるうちに、羨ましい気持ちが、マシマシしてくる……なにか変だ。
部屋全体が、なにか特別な空間になっているように感じた。
「うちの雰囲気もいつもと違う……のかな?」
唯は独り言を言ったつもりだったが、ベスが聞いていた。
「ほう、お主も感じるのか。妾の世界では、人間の女は皆、この匂いが大好きじゃった」
いきなりベスが喋るので驚く。
「ベス、ちょっと」
慌ててベスの口を押える。
ところが、栫井さんは反応無し。
そして、洋子が言う。
「栫井君、寝ちゃった。ベスが一晩中撫でさせたんですって」
ベスは、寝てることを知っていて喋ったのか、たまたま寝てただけなのか。
母は、満足げに見えた。
昨日は、頼り甲斐のある男性として、栫井を見ていた。
でも、こうして、ひざまくらで寝ている姿も羨ましく思える。
こうして、唯の恋愛観がどんどん世間一般とズレていく……
※その結果何が起きたか書きはじめると終わらないので割愛する
ベスの言葉も気になる。
”妾の世界”と言った?
唯はこの言葉ははじめて聞いたと思う。もう10年飼っているのに、初めて聞いた。
”妾の世界”、つまり、こことは別の世界から来たみたいな言い方だ。
そして”人間の女は皆、この匂いが好きだった”と言った。
唯はベスの中に、自分のことを妾と呼ぶ人間が乗り移っているのかと思っていた。
そして思い出す。そう言えば、ベスははじめのころ、竜だと言っていた。
元々人間とは別の生き物だったようだ。今更ながらに気付く。
唯は、何かを感じるのだけれど、それが、匂いなのかどうかはわからなかった。
ただ、鳩尾のあたりから熱くなるような、レモン色の雰囲気に見えていた。
ベスを玄関まで連れていき、話す。
たいした距離ではないが、少しでも離れる。
「匂い?」 ベスに訊く。
「なんじゃ、匂いを感じぬのか? あっちじゃったら、団子になるほどじゃ」
団子?
「なんだか、このへんが熱くなる感じがするけど、匂いかな?」
「人間の女がどう感じておったかは、妾には、ようわからぬ」
”団子”とはなんだろう?
「団子ってなに?」
「くっついて離さなくなるのじゃ」
唯は、モテモテでファンに囲まれて”押しくらまんじゅう”とか、そんなものを想像する。
唯にも、恋の匂い、魔法臭、加齢臭を感じ取る能力が育っていた。
洋子は妻になるために。
唯は、唯の中の隠された特性が育ちつつあったため。
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栫井は、寝ているのか起きているのかわからない、眠りの狭間で薄ぼんやりと何かを思い出した。
”ひざまくらをするのは妻”。どこかで、そう聞いた気がする。
妻でも無ければ、こんなおっさんに、ひざまくらなんかしてくれないし、ひざまくらしてもらうなんて、もう責任取って妻にしないと申し訳ない……なんて思いが浮かんだ。
何か、遠い記憶を思い出したような気がした。
でも、ひざまくらして寝てしまったら、もう妻なような気がする。
このひとは妻。誰だっけ?
あれ? 知らぬ間に寝てた。なんか超幸せな気分だった。
なんだこれ?
誰かいる。
うおっ、小泉さん……のひざまくら?
思い出すのに時間がかかる。
「ああ、ごめん、寝てた。幸せ過ぎて成仏するかと思った」
栫井が起きた。
何に触れているのか確認しながら、洋子の太ももに頬ずりして、凄く幸せそうな顔をした。
そのあと、伸びをしようとうして、頭が当たると、それが何かを確認するため、ぐにぐに押した。
そして、何かに気付いた。
それは、演技とか遠慮とか無い素の動作に見えた。
寝起きで、加工されていない素の動作に見えた。
洋子は凄く嬉しかった。たぶん、人生の中でも何番目かと言うくらい。
「ああ、ごめん、寝てた。幸せ過ぎて成仏するかと思った」
「うん。いいよ……私も幸せ」
そう言うと、顔を両手で覆い、黙ってしまった。そして、何か液体が、ボロボロ落ちてくる。
顔の真下に居るので、零れる液体が直撃する。
寝ぼけて頭が回らず、なんで小泉さんが泣いているのだろうと思いつつも、おなかの肉に顔を押し付けてみる……肉が無い!
何故か悲しくなった。……いやいや、泣いてる時点でいかいんだろ!!
起き上がろうとする。
「ダメ」
え?
押さえられて起き上がれない。
見ると、唯ちゃんが居た。
まずい、こんな姿を見られてしまった!!
そこで、ベスが駆け寄る……のを紐で制止する。
そして、”ベスに邪魔させないから安心して”、みたいな感じで、またイイ顔をしたので、俺はイラっとした。
唯ちゃんは、とても親切で、高校一年生だとは思えないほど、大人に配慮できて良い子なのに、俺は、イラっとしてしまう、とても悪い大人なのだと思った。
唯ちゃんの好意に甘えて、もう少しひざまくらを堪能……
でも、せっかくのひざまくらなのに、お腹の肉をむにむにできない程痩せてしまったなんて、悲しすぎる。
俺は、洋子さんをもっと幸せにして肥えさせて、おなかの肉をむにむにしてみたい!!
俺はデブ専とかそういうやつなのだろうか?
いや、女性の体は、普通体形でも、ぷにぷにしているのだ……
あれ? 俺は、女性の体のことなんか知らない気がするのに、ぷにぷに感が頭にある。
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そのとき、同時に、洋子の頭の中に、色々な感情が浮かぶう
洋子は今まで我慢してきたものが、一気に噴出したのかと思った。
洋子の持つ石の記憶と、栫井の持つ石の記憶が、相互に曖昧にではあるが伝わった。
ひざまくらにどんな意味があるかが、洋子にも伝わった。
そして、栫井が何を感じたかも伝わった。
“幸せ過ぎて成仏するかと思った“
洋子は長年、栫井は、洋子の体には魅力を感じていない、のではないかと感じてきた。
好かれているという話を聞くが、少々説得力に欠けるように感じていた。
でも、そうではなく、体も含めて全部好きなのだと。
そして、妻にしても良いと思っている。
ただ、ぷにぷに感が足りないと感じていることも、伝わった。
洋子は、自分が痩せすぎていると、栫井の幸せも目減りしてしまうのだと思った。
(正しい意味で)ダイエットしなきゃ。そう思う。
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「やめて、触らないで」
唯がお茶の用意をしていると、急に声が、
ただ、どうも、キャッキャウフフみたいな感じだ。
苦しんでいる母と、つついて遊んでるベスと、止めてるんだか、けしかけてるのかわからない栫井の姿があった。
母は、足の痺れが切れて、悶えていた。
『洋子は何を悶えておるのじゃ?』
「足が痺れたんだよ。だから、しばらく触っちゃダメだ」
『触るとどうなるのじゃ?』
「やめて、ベス」
『お父さんに、触ってほしいようですよ』
「栫井君、ベスを止めて」
楽しそうだな。唯はそう思う。
「お茶入ったよ」
「やめて、栫井君!!」
また、お姫様抱っこで、運んできた。わずかな距離だけど。
「いいな、お母さん」
「唯ちゃんもやってみるか?」
「ダメ。ゼッタイ」
洋子が拒否した。
唯は、一瞬凄く惹かれたのだが、1つ問題があった。
唯は今、高校一年生、まだ育ち盛りだが、既に洋子の体重を超えている。
抱っこされたらバレてしまう。
※バレても問題無いと思いますが