24-23.”唯の風呂は覗かないで”の意味は
軽くお茶飲んで、一息ついたら寝る準備。
洋子が言う。
「栫井君、お風呂先入って。
その間にお布団の準備しておくから」
「お風呂、私が準備してくる」
唯は、そう言うと、さっそく風呂の準備にかかる。
なぜかこのとき、頭の中に、薪で湯沸かしするイメージが湧く。
煙の臭い……異世界の記憶だ。時折思い出す。
俺は薪で沸かした湯で風呂に入ったことは無いはずだ。……この世界では。
だから、あっちの世界の記憶だと思う。
何のために今思い出すのだろう?
あっちに行く時が迫って来たのだろうか?
そんなことが、頭をよぎる。
それはそうと、それより先に、もっと差し迫った問題について考えないといけない。
栫井は悩む。
この場合どっちが良いだろうか?
どっち、即ち、”入った方が良いか”、それとも”遠慮した方が良いか”?
犬に襲われて、ちょっと、風呂に入りたい感じになってしまったが、既に深夜。
それに、おっさんが風呂に入ったら、その後、唯ちゃんが嫌かもしれない。
小学生の時から、お父さんが居なかったのだ。
大人の男性はほとんど見たことが無いのではないかと思う。
女二人で暮らしてきたところに、高校一年生の、まさに思春期真っ盛りの頃に、突然知らないおっさんが家に現れて、同じ風呂を共有したいとは思わないに違いない!!!
人の嫌がることは、なるべく避けた方が良い。
だから、ここは遠慮しておこう。
「いや、朝になったら帰るからいいよ、一日くらい」
そうだ。おっさんは、一日風呂に入らない程度で死んだりはしない生き物なのだ。
「遠慮しなくていいから、それに、どっちにしろ、この部屋作らないと、唯も、お風呂入れないから」
ああ、そうか。
俺を隔離しないと、唯ちゃんと小泉さんが風呂に入れないのか。
それは、思いつかなかった。納得だ。
再度洗濯物を移動させて、俺の泊る部屋が作られる。
俺が隔離されないと、風呂に入れないからだ。
隔離部屋を作る。
日頃は唯ちゃんの部屋になっているようだ。
俺が風呂に入らなくても、隔離部屋に籠っていれば問題ない。
風呂は遠慮するべきか……
俺の気持ちは、風呂に入らない方に傾いていた。
そこに、オーテルの進言だ。
『お父さんは、風呂には入らないでください』
オーテル曰く”風呂には入らないでください”だ。
理由は何だろう? 一応訊いてみる。
『なんでだ?』
『せっかくのお父さんの臭いが消えてしまいます』
ぐふっ
臭い……するのか……
ぬう、普段女二人暮らしの家で、おっさんの臭いがしたら不快だろう……
俺の気持ちは、瞬時に風呂に入る方に振り切れた。
『よし、風呂入るか』
『お父さん、やめてください。臭いが消えてしまいます』
俺は風呂に入ることにした。
「やっぱ、風呂借りる」
「うん、その方が良いよ」
”やーん、お風呂入らないでー”
耳が倒れているので、よくわかる。
ベスに邪魔される。
だが、俺はベスを引きずってでも風呂に入る!キリ
「ベス、こら、やめなさい」
小泉さんが、オーテル(ベス)を押さえる。
「今のうちに」
お言葉に甘えて、風呂場に滑り込む。
洗面所兼、洗濯機ゾーンだ。
ドアからガリガリという音と、ベスを制止する声が。
「ベスやめなさい」
なんか、マンガとかによくある、”ここは俺に任せて先に行け、なぁに、俺も後から追いつくからよ”なシーンが頭に浮かんだ。
風呂に入るだけのことが、こんなにドラマチックに感じるなんて!!
いや、割とどうでも良い事なのだが。
ちゃんとした風呂だ。
……ちゃんとしたというのは、トイレと分離したやつで、一応浸かれる浴槽がある。
浴槽は小さい感じだが、追い炊きもある。ファミリー向け物件なのだろう。
俺の部屋のは追い炊きが無い。
お湯が冷めた時に、新しい熱い湯を追加しないといけないので、家族には向かない。
俺は、湯には浸からず、シャワーで済ます。
女性だけの家庭の風呂なんか入ったことないので、なんか色々気になる。
タオルはどれを使えば良いのだろう? なんか、ボトルがいくつもあるのだが、俺はどれを使えば良い?
俺が入って、唯ちゃんが迷惑するといかん。
いや、メガネ外すと、ほとんど見えないのだが、ちゃんと、出るとき、風呂の隅々まで確実に流しておこうと思う。
「ぬおーーーー」
ガシガシ洗うが、イマイチだ。柔らかいやつしかない。
そして、完璧に流す。片隅まで残さず!!
少しでも、俺の痕跡が残ると、唯ちゃんが気持ち悪く感じるかもしれない。
だから、おっさんが風呂に入った痕跡を全て消し去らなければ!
とりあえず、端から端まで流す。証拠隠滅!!
いや、別に俺は悪い事はしていないが、立つ鳥跡を残さず的なアレだ。
すると、ガチャっとドアが開く。
「栫井君、大丈夫だから、そんなに洗わなくていいから」
「うおっ」
驚いた。しまった、証拠隠滅がバレた。
あと、覗かれた。
ぬう……小泉さんは、元旦那のを見慣れてるから、どうってこと無いかもしれない。
だが俺は風呂を覗かれるのはあまり……あれ?
何故か、良く覗かれるような気がした。なんだ?いつの記憶だ?
まあ、ちょうど、完璧に流したところだ。
とりあえず、問題無いはずだ。
あれ? 覗かれたのはフラグか?
さっき、ベスから逃げるときに、”ここは俺に任せて先に行け”的な展開を想像してしまったから、フラグ回収のために現れた?
俺は神様になってしまったかもしれないのに、相変わらずフラグ管理されているようだ。
風呂場から上がる。その瞬間、聞きなれない声が。
「このたわけが!!」
ん? 誰か居るのか?
ドアの隙間から覗くが、小泉さんとオーテル(ベス)しか居ない。
今何か聞こえた気がしたんだが。
スーツは回収されてしまったので、タオルで過ごさねばならない。
「ごめんね、男物の服無くて」
「まあ、しかたない」
そうとしか言えない。何しろ、双方共に完全に予想外。
俺にできるのは、なるべく見苦しい姿を、唯ちゃんに見せないようにするだけ。
唯ちゃんが見て無いのを確認して、慌てて隔離部屋に逃げ込む。
おっさんのタオル姿なんて、唯ちゃんに見せてはならない。
……ん? 俺はどうも、小泉さんを特別視していない気がする。唯ちゃんに見せたら悪いけど、小泉さんならいいや的な……いや、逆か?
俺にとって小泉さんだけは、遠慮不要な存在なのか?
俺自身の感覚に疑問を感じる。
小泉さんとの間には、“まだ俺が思い出していない何かがある“そんな気がした。
俺は、高校卒業して以来、小泉さんとほとんど話したことも無いくらいの間柄のはずだ。
俺は何故か、小泉さんを身近な存在と認識している気がする。
隔離部屋には、布団の用意ができていた。
そこに、ベスがヒンヒン言いながらやってくる。
そんなに嫌か!!! これはこれで、なんか腹立つ。
『臭いが!臭いが、シャンプーは臭いです』
ぬう。シャンプーで臭い言われると思わなかった。
でも、まあ、確かに人間にとって良い匂いでも、他の動物にとっては嫌な匂いかもしれないな。
また、小泉さんが覗きに来た。
まあ、それだけ気にしてくれてるのだと思うが。
「ベスは栫井君と寝るの?」
「ベスが布団に乗るけど良い?」
「ベス、なるべく汚さないでね。お布団は洗えないんだから」
やはり良くは無いらしい。
「ごめんね、狭いけど、お風呂入るからそこで待ってて、お風呂がこっちで、トイレはこっちだから」
いや、今風呂入って、風呂のドアは知ってるが。
「ああ、まあ、とにかく籠ってるから」
俺はここから出ない意思表明をした。
ところが、小泉さんは、わざわざ、それを崩すようなことを言う。
「唯のお風呂は覗かないでね」
「”唯の”って、小泉さんなら良いのかよ」
ちゃんと突っ込みを入れる。
なぜなら俺は紳士だからだ。 ※意味不明ですが、誤記ではありません
それに対する小泉さんの答えはこれだった。
「私は大人だから」
大人って、年齢の問題なのかよ!
大人だから覗いていいのかよ……と突っ込み入れたい気持ちは抑えて、スルーする。
「おとなしくオーテルと待ってるよ」
「オーテル?」
「ん? ああ、ベスか」
小泉さんがドアを閉める。スライドのやつもドアで良いんだっけか?
それはそうと、オーテルの名は知られていないようだ。
『小泉さんはオーテルの名前知らないのか』
『私をオーテルと呼ぶのはお父さんだけです』
『俺だけ? じゃあ、他の人は何て呼ぶんだ?』
『”グライアス”です』
『女の子なのに、ずいぶん怖そうな名前だな』
『お父さんは、前も同じことを言いました。人間は竜を恐れます。
そんなことより、お父さんは、人間の女にモテるのですね』
”ぐふっ”
なんて酷い子だ……俺は心に致命傷を受けた。
俺は今までモテたことが無い……俺は一度で良いから、モテモテで困ってみたい。
どういう感じで困るのか、俺に思い知らせて欲しい気持ちでいっぱいになった。
『自慢じゃないが、俺は女にモテたことが無いぞ』
『お父さんは洋子が好きだと言いました』
『うぇ? 言ったか?』
良く考えるが覚えがない。まあ、言ったのかもしれないな。俺は覚えて無いけど。
それに、それは、俺がモテた話と違うと思うのだが。
『洋子もお父さんが好きだと思います』
『なんでだよ!!』
『洋子は風呂を覗けと言いました』
『いや、そうじゃないだろ』
ちょうどそこで、声が
「次、私が入るから」
小泉さんの声だ。
『洋子は大人だから風呂を覗いても良いと言いました』
『いや、そういう意味じゃ無いだろ』
『今なら服と言う布を脱ぐところが見られますよ』
なんか言い方が、生々しい。
興味が無いわけじゃ無い。だが俺は紳士だ。
『それに、洋子は、お父さんのお風呂を覗きました』
ああ、確かに覗かれたな。
だからと言って、仕返しして良いということは無い。
『俺は紳士だから……』
『わざと覗いたのです。仕返しに覗いて欲しいからです。
お父さん。覗きましょう』
『覗きましょうじゃねーよ!!
ぬおおおお、思春期の娘さんが居る母子家庭でいきなり、
おっさんと、お母さんがキャッキャウフフしたらまずいだろ!』
『人間は面倒な生き物ですね』
『色々あるんだよ!』
何かあるのか? 何か変だ。
俺が覗かないと立たないフラグがあるとか?
いやいや、そんなことで、心を乱してはならない。落ち着こう……
じゅげむじゅげむごこうのすりきれ……
有名な長い名前を唱えて、落ち着く。
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いつも外れるオーテルの予想だが、今日は少し当たっていた。
洋子は、覗いて欲しかった。
正確には覗いて欲しいではなく、興味があるそぶりを見せて欲しかった……なのに、栫井は、あまり反応してくれなかった。
今更もう、私に興味無いのかもしれない……なんて心配になってしまう。
どうでも良いと思っているなら、今日わざわざ送ってくれたりはしなかったと思う。
それに、栫井の性格を考えれば、唯が最優先で、教育に悪そうなことは避けるはずだ。
わかってはいても、やっぱり心配になる。
”自信をもって” 洋子は自分に言い聞かせる。
「もういいわよ」
風呂から上がったことを、栫井に告げる。
『決断が遅すぎました。洋子は、覗いてもらえなくて悲しんでいます』
悲しんでる?
ああ、もしかして、俺が小泉さんに興味無いように思えるからってことか?
女の子はいくつになってもってやつか。自称俺の娘は、精神が若いようだ。
実年齢はいくつなのだろう?
『オーテル、お前、歳いくつだよ』
『2000期に近かったです』
『期?』
『お父さんは2期で1年だと言いました。
難しい計算をすると、おおよそ1000歳だそうです』
『いや、だったら一期は半年じゃねーか、難しく無いから』
そう言いつつ、心の中で叫ぶ。
”はじめから1000歳って言えよ!!!”
『さすが私のお父さんです。とても頭が良いです』
ぬう。こんなんで褒められても。
まあ、計算はあまり多用しない種族なのだろう。
”さすがです、お父様”、”ふっ”
このやり取り、なんか、知ってる感じだ。
あっちの世界の記憶か? 嫌だな、そんなの。
※こっちの世界の記憶ですね!
そんなことを考えていると、また、小泉さんが来た。
シャンプーの匂いがする。俺は、これが良い匂いだと思うのだが。
そうだ、思い出した!
俺が今までで一番色っぽく感じた匂いは、小泉さんのお風呂上がりの匂いだった。
また、こうしてお風呂上がりの小泉さんを見られる日が来るなんて!
でも、細いな……あの時の小泉さんは、健康美に溢れていた。
それと、匂いは、もっと石鹸ぽかったかな。
高校の修学旅行、あの当時は、体洗うのは固形の石鹸だった。
だからかな。俺は今でも石鹸の匂いが好きだ。”こっちの世界の”。
ん? こっちの世界のってことはあっちにもあるけど、匂いはだいぶ違うのか?
重要な情報なのだろうか? ※あまり重要では無い情報です
ときどき、こうしてあっちの情報が少しずつ追加されることがある。
「ベスは? そこがいいの?」
小泉さんは、俺ではなく、オーテルに話しかけた。
『お父さんと寝られるチャンスなのじゃ』
『なんだそれ。小泉さんには聞こえてないぞ』
ところが洋子はこう言った。
「そう、良かったね。栫井君、ベスは栫井君と寝たいんだって」
『聞こえてるのか?』
『いえ、洋子には聞こえなかったと思います』
「じゃあ、オー……ベスと寝るよ。一応、ベスが出入りできるように、少しドア開けとくよ。
イビキ煩かったら、閉めていいから」
「ええ。わかった。でも、ベス、ずいぶん懐いてるのね」
俺の横で寝てるだけだが。
「見張り、番犬なのかも」 少し誤魔化して答える。
「普通、飼い主を守ってくれるんじゃないの?」
「まあ、この場合、怪しい人間が絞られるから。
俺が悪さしないか見張ってるんだよ」
「そう? じゃあ、もう寝るからね、おやすみ」
「おやすみなさい。ゆっくり休んで」
「ええ。ありがとう。こっちの部屋で寝てるから、何かあったら声かけてね。
おやすみなさい」