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24-12.唯からの電話(1) 栫井は相変わらず人生消化試合

挿絵(By みてみん)


2013年。ベスが来てから9年の年月が経ち、唯は高校生になっていた。


唯がコロンと名付けた犬の名は、ベスで定着した。

まず、唯の祖父母がベスと呼ぶ。犬=ベス。

昔飼っていた犬の名がベスだった。


さらに、その犬、本人(?)が、ベスと呼んでいる。


そのため、ベスで定着してしまった。正式名称はエリザベス二世号。


ベスの体には、”何か”が憑りついていて、その”何か”は自分のことを(わらわ)と呼び、体をベスと呼んでいることがわかった。

(わらわ)さんの名前は聞いても教えてくれなかった。

”竜は竜に名を付けない”と言う理由で。


唯も、洋子も、”妾”と”ベス”をひとまとめにして、単に”ベス”と呼んでいた。

ベスは、(わらわ)が憑いていないときには喋らず、ただの犬だった。


それほど頻繁にしゃべるわけでは無いものの、そこそこ喋る。


なのに、喋る犬という噂は、不自然なほど出なかった。


唯が小学生の時、ベスが喋ることを漏らしてしまったことがあったが、違う意味で伝わり、唯はベスの犬語を聞いて、ある程度何が言っているのか理解可能であるという解釈になった。


母子家庭で、母は仕事で家を空けている。

母が帰るまで、犬と2人きりなので、そうなるよね……と言う、回りの勝手な思い込みで救われた。


洋子は、初期にはずいぶんと慎重に警戒しつつ、ベスと話しをしていたが、今では、家の中ではあまり気にしなくなっていた。


ベスの中身、(わらわ)には、少々の知能があるが、洋子の助けには足りなかった。

人間社会、特にお金のことを理解していないためだ。


そのためか、洋子を救うために来たはずのベスが居るだけでは足りず、残念ながら、状況はあまり良くなかった。


全く役に立たなかったわけでは無い。

リーマンショックの時期を予言していたため、有利なタイミングでの転職を検討することができた。

ただ、大きく役立ったのは、その程度で、実のところ、あまり大きくは改善していなかった。


オーテルは、栫井(かこい)に言われたとおりに話しただけで、景気が何を指す言葉かは、よく理解していないので、あまりうまく説明できなかった。

”景気が一時急激に上向きになるけれど、2008年に不景気に突入するから備えろ”

これくらいだった。


地震(東日本大震災)の話もしたが、起こることを知っているだけで、具体的な対策はあまり無かった。


なので、数年も経つと、役に立つより食費や予防接種、散歩の負担の方が大きくなった。


それでも、洋子にとっては助けになっていた。心の支えだ。

誰かが、洋子を助けるために動いてくれているのだ。

そう思えるだけで、心強い。


その”誰か”には、多少心当たりがあった。


40のときの同窓会で、再会するつもりだったが、その相手は来なかった。


そして、唯が高校入学するタイミングで、大きな危機に陥っていた。

皮肉にも、その危機が二人を引き合わせる結果となるのだが。


========


一方の栫井(かこい)はと言うと、相変わらず、早く心臓止まってくれないかと、その日が来るのを待つ生活を送っていた。


…………


40の年の同窓会に俺は行かなかった。

行く気満々だったのだが、何故か尻の……尻と言うか、尾骨だな。

鋭い痛みが出て、まともに座れなくなってしまったのだ。


なんであのとき急に尾骨が痛んだのだろう?

同窓会が終わったら、すぐに痛みは退いた。まるで、同窓会に出るのを妨害したかのように……


まあ、同窓会に行ったところで、今更人生が大きく変化したりはしないだろうが。

それでも、できれば小泉さんに聞いてみたかった。

あのマンガのメモの意味を。

もう覚えてもいないかもしれないが。


俺は未だに、あのメモの意味が気になって仕方ない。

あの時、メモに気付いていたら、歴史は変わったのだろうか?


そんなことを今でも考えてしまう。

俺は人生消化試合。


30歳の時、同級生の結婚式(の二次会)で小泉さんと話してわかった。

俺はあの子以外と仲良くなるのは難しい。


俺は、このまま生きていて良いことが有るのだろうか?


人生はクソゲーの話そのままだ。


よく、物語の世界に入り込んで、出られなくなるというテンプレをパクって、人生をゲームに見立てて、”なんだよこのクソゲー”と言うやつがあるが、まさにあれだ。


ランダム生成のキャラクタのステータスが、はじめからおかしかったり、難易度や、バランスが悪かったり、選択ミスですぐ詰んだり、さっさと辞めたいのに辞められなかったり。


さすがクソゲーだ。

生まれた年で、難易度激変したり、たった1回メモを見逃しただけで、詰んでしまうとはシビアというか馬鹿げてる。


俺は、特定の子としか仲良くなれないようだ。

そんな縛りプレイをしているつもりは無いのだが、自動的に縛りプレイになってしまう。


縛りプレイと言うのは、自分で制限を決めて、その範囲内で遊ぶと言う遊び方だ。

難易度が低くてつまらないから縛りを入れるのが普通だろう。


難易度高いのに、自分で縛り入れてどうするんだと思う。

でも、まあ、呪いみたいなものだ。どうにもならない。


人生消化試合をこなしてきたが、いよいよやることが無くなった。

何をやっても満足出来ない。


40にもなると、もはや、まともなゲームはできなくなってしまう。

ゲーム自体昔ほど流行っていない。今ではゲームやる人をゲーマーと呼ぶようになった。

俺が若い頃は、そんな言葉使わなかった。ゲーマーが普通だったから。


いや、ゲームは以前より、むしろ流行っている。多くの人が遊んでいるはずだ。

ゲーム機を買わなかった人でさえ、今ではゲームをやっている人も多いと思う。


ゲーム専用機やらPCをゲーム用に強化してまでゲームをやる人が減ったのだ。


巷では、若者のゲーム離れとか言ってるんだろうか?

ゲーム離れしてるのは、おっさんだ。

体力も気力も萎えて、真面目にゲームが出来なくなる。そっちはゲーム離れとか言われない。


若者が、ゲーム離れしたのではなく、当時の若者が歳をとって若者では無くなり、新しい世代の若者は離れたわけじゃ無い。接触していないだけだ。


当時20歳だった人は、20年後には40歳になる。

なのに、ゲーム離れしたのは、おっさんではなく、若者と言われる現象だ。


どうして、そういう解釈になるかと言うと、自分の経験がそのまま繰り返されると思っているからだ。


若いと発想が豊かとか言うが、あんまり関係無い。

20年前に若者だった人より、10年前に若者だった人の方が、現在とのズレが少ない。ただそれだけだ。


つまり、人は予測をしないものなのだ。経験に従っているだけで、あまり予測可能な範囲は大きくないということだ。


俺は、ほんの一時期だけ車を持っていた。2年で手放してしまったが。

使用頻度が低い割に維持費が高い。思っていたほど便利なものでは無かった。


いや、車は持てても、乗せる相手が居なかった……まあ、それは俺の話だ。

昔は持つのが当たり前だったのに、すっかり車は持たないものに変わった。


昔は車を持つ人が多かった。

俺より10年くらい前の人達は、バイクから車へとステップアップした。

バイクの方が年齢制限が緩く、価格も安いから。


だが、俺の頃は既に、バイクに乗る人は減っていた。

バイクは悪という扱いだった。


免許取ると停学とか意味が分からん。

法律で認められているものを正当な方法で取得して停学とか馬鹿げている。

高校でバイク禁止されている間に、四輪の免許が解禁になるので、二輪を取るメリットが少なくなっていた。


そんなことをしていると、二輪人口はどんどん減って行った。当時バイクは日本製が殆どだったのだ。

昔はバイクは若者の乗り物だった。今ではおっさんの乗り物だ。

昔から乗っている人が、乗り続けているから。


四輪は実用品なので、二輪ほど大打撃を受けていないが、安全で快適な乗り物に変わった。

昔は、もっと危険で乗りにくいものだった。後部座席なんか、罰ゲームみたいな車も多かった。

ただ、もっと楽しいものだったと思う。


用途が変わったのだ。


ゲーム機がなかった時代、趣味の対象として多用された。

スリルを楽しむ用途で使われたりもしていた。

今はゲームがあるので、車を危険な用途で使う必要が無くなったのだ。


信号も交差点も無い場所で、スピード違反の取り締まりなんかしたところで、事故を減らす効果なんてほとんど無い。危険の少ないところで危険の少ない走りをしている人を捕まえても意味が無い。

まあ、尊法意識は若干高まるかもしれないので、まったく意味の無いことでは無いが、効果は限定的だ。


交通事故を減らすのに有効なのは、常用範囲のスピード違反の取り締まりよりも、危険な走りに繋がる趣味性の排除と、かわりの娯楽だ。それと、飲酒運転や事故の厳罰化。


厳罰化で、だいぶ死人が減った。同じ人が何度も人を轢き殺すようなことが減った。


だが、罰則を軽く戻しても、少々魅力的な車を出しても、若者が車に戻ってくることは無い。

他に娯楽が無ければ、戻ってくる可能性が高い。

スマホやゲーム機、その他、電子機器、情報端末等を全部無くしてしまえば戻ってくるかもしれない。


まあ、そんなことはできないので、つまり、戻ってくることは無いという意味だ。

だから、若者の○○離れとか言っているようではダメなのだ。


昔は娯楽が無かった。その結果、車を趣味にする人が多かった。

ただそれだけの話だ。テレビも同じだ。昔はテレビが面白かったのではない。


他に娯楽が無かったのだ。


そして、おっさんであるこの俺も、ゲーム機からスマホに移行だ。

気力が衰えて、ゲームをするのが難しくなったのだ。


急激にスマホが普及して、ゲームがどんどん変わって行った。

なんか、クリアとか目的無くやるゲームが増えた。


娯楽のつもりも無く、時間を潰してしまうようなものが増えた。


でも、世界を救わなくて済むゲームが増えたのは良いことだ。


スマホの緩いゲームが流行る前、ゲーム機でゲームをやってた頃は、とにかく世界を救うのが嫌だった。

数人のパーティーで世界を救うなんて、有ったらおかしい。どんだけ世界狭いんだよという話になる。

そんなの、一生に一回でもあったらおかしい。


それを何十回もやると、むせる。心が渇く。俺は、世界を救うのには飽きたのだ。

俺はもう世界を救ったりしたくないのだ。


スマホが普及してから……スマホ自体は、けっこう前から存在していた。

iphoneが出てから急速に普及した。


Androidも、はじめは酷くて、こんなもの使うか?と思った。

動作は重いし電池は持たないしで酷いものだが、僅かのうちにどんどん良くなる。


iphone以前のスマホはゴミのようなモノが多かった。本体も酷いが、回線速度的にも問題大有りだった。


2005年発売の、WーZERO3は、スマホと呼んで差し支えないだろう。

電池が2時間くらいしか保たないというのもあるが、とにかく通信速度が凄い。悪い意味で。


WーZERO3は、通信手段歳としてPHSを使っていた。容量無制限のプランがあって、当時は珍しかった。


PHSは1chあたり32Kだが、これをさらに分割して使うことで、大量のユーザーが同時に使うことができる環境を提供しようとしていたのではないかと思うが、元から遅い32Kを分割して、本当に酷いことになっていた。

元々、コードレス電話の子機を想定した規格なので、移動体で使うことが考慮されていない。

電車の中で使うと、通信がすぐに途切れる。


32Kというのは、当初はけっこう速かった。短文メールくらいは移動中でも届くが、web見るのは難しかった。移動体で途切れてほとんど実用にならないという欠点が改善されてようやく使えるようになった頃には、価格の安さも売りにならず、速度もケータイに抜かされていた。


そこに、更に低速規格を突っ込んできたのだ。あれの破壊力は凄かった。


あの速度を体験させられたら、代替え手段ができたら即乗り換えよう!!と決意させるのに十分な速度だった。


実効速度は、初代ガンダムがリアルタイムでやってた頃の8ビットパソコンのカセットテープと似たようなレベルだった。

まず、遅すぎて通信速度が測定できない。同じ時代のケータイと比べて速度が2桁は低い。

ところが、ケータイは外付け機器で通信するとバカ高い。

当時、ケータイの電波を使うスマホは無かった。


スマホのように、大量のデータを扱う機器を発売すると、帯域が逼迫するからだ。


スマホが成立するには、十分な回線速度をそれなりの価格で、多くの人が同時に使える環境がなければならない。

当時は、スマホがあっても、生かす通信環境が無かったのだ。


そして、回線の方の準備が進むと、端末が売られる。


計画と言うのは大事だ。PHSのようにあてが外れることもあるのだが……


androidの第一世代も酷いものだった。遅いし熱いし、電池切れるし、あんなものケータイ代わりに使えるか!というレベルだったが、ほんの数世代で、ある程度実用になるようになった。


今のスマホは、アレと比べるとずいぶんマシになった。


今の俺は趣味なんかない。趣味はスマホって感じだ。

寝て起きて、通勤しながらスマホいじって、帰りもスマホいじって、寝て起きての繰り返し。


俺は人生消化試合。来世に期待。

まあ、来世にも期待したところで、改善の見込みがあるわけではないのだが。


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