24-08.当事者意識の無い人生
俺は、そのあと悪酔いして、ダウンしてしまった。
途中から、頭痛がしていたのだが、それが悪化して、身動き取れないほど苦しんだ。
飲んだアルコールの量より、塩不足が祟った。
あの暑さの中、ビール飲みまくったのが不味かった。
塩不足……摂取する水分量に対する塩分量、浸透圧ベースの塩分量のことを知ってれば、簡単に対策できたことなのに、あの当時、俺には、その知識が無かった。
当時はまだ、”塩を悪”と決めつけた”減塩信仰”が強い時代だった。
それ以前の問題で、”脱水症状は、水を飲むことで、より悪化する”ことさえ、当時の俺は知らなかったのだ。
脱水と言うくらいなので、足りないのは水だと思っていた。
実際のどが渇くから水は飲む。
水分が吸収されると血液の浸透圧が下がる。下がれば、腎臓は水分を捨てようとする。
だから、水だけ飲んでも捨てられるだけで、水分補給にならないのだ。
ゆっくりと出ていく水分は、ナトリウムをあまり伴わずに出ていく。
素早く出ていく水分は、ナトリウムを大量に含む。特に汗は酷い。
昔は、高温で体調を崩す現象は、主に”日射病”と呼ばれていた。
直射日光を避ければ、避けられると考えられていたようだ。
そのため、直射日光を避けるために、帽子被れと言われたが、俺は、あれは嘘だと気付いていた。
帽子被ったときの方が、頭に熱が溜まって調子悪くなるから。
とは言っても、気候が違う。当時は30度が猛暑という感じだった。
俺が大人になった頃は、30度は涼しい日だった。
そんな環境の変化のせいもあるかもしれない。
時代と共に、日射病と言う言葉は使われなくなり、地面からの照り返しでも起こることから、熱射病にかわり、その後屋内でも起こるため、熱中症と言う名に変わった。
とても身近な現象が、案外、後になって、呼び方が変わったりする。
紫外線に対する認識も、一気に変わったものに入るだろう。
俺が子供の頃には、日光に当たるのは良い事で、家に閉じこもっているのは不健康なことだった。
海水浴場にも、肌を焼きに行くのが目的みたいな人が多かった。
綺麗に焼けるように、わざわざオイルを塗る。
だから、昔のラブコメマンガだと、”背中、オイル塗ったげようか”みたいなシーンがあるが、少し後になると、”背中、日焼け止め塗ったげようか”に、そのまま置き換わる。
当時は、海水浴場は、サンオイルの匂いでいっぱいだった。
それが、あるとき突然、紫外線は百害あって一利無し……とまでは行かないが、百害あって一利しかないくらいのものに変わった。
”足りないからなるべく浴びとけ”から、最大限に避けてても、余裕で足りてるから、なるべく避けなさいに変わったのだ。
ある日突如として、紫外線が強くなったわけでは無い。変わったのは世間の認識だ。
高校3年の夏、小泉さんもずいぶん日焼けしてた。
3年になると、皆夏期講習で忙しい。あまり時間が無くて、日焼けするほど外に遊びに行かない人が多い。そんな中で、小泉さんは真っ黒だったのでよく覚えている。
あのときまでは、日焼けは良い事だった。
いつだろう? ある日突然、常識が変わったのだ。
化粧品会社の宣伝の賜物かな?
塩は、その後だ。
21世紀に入っても、水は体に良いから一日2L飲めとか、”減塩はだいぶ進んできたけどまだまだ多い”とか言ってたはずだ。
俺は、この頃既に、減塩に関しては懐疑的だった。
WHOの出した数字が、世界一律1日何g以下という、単純な塩単体の量だったことと、俺自身の味覚が理由だ。
汗には、かなりの量の塩が含まれている。それが一切計算に含まれないのはおかしい。
まあ、”肉体労働者は多く必要”とか言われていたので、1日5g以下に該当しない人が居ることは知られていたが、特別何もしなくても、1日5g失う環境に暮らす人なんて、いくらでも居る。
日本の夏は、肉体労働者でなくても、汗で5gくらい失われてしまう。
実際、日本人は平均12g摂ってて、少ない国より長寿なのだ。
それでも、多すぎるから、減らしましょうと言う。
5g制限している人たちより、その2.4倍も摂取している日本人の方が長寿だ。
2.4倍もの量を摂取して長寿なら、5g以下と言う塩の推奨量の方が間違っていると考えても良さそうに思うのだが、そんなことは気にしないようだ。
多すぎるから減らしましょうと言う。
”塩は悪”が先にある。目的は健康では無いのではないか?
味覚の方は、独身生活の賜物だ。
”濃い味のものを食べ続けると、濃い味に慣れるので、薄味に慣れましょう”という話が有ったのだが、俺は逆だった。
塩を十分に摂っているときは、毎日同じものを食べていても、日に日にしょっぱく感じるようになる。
足りてないときは、しょっぱいものが食べられるが、足りてるときは、しょっぱすぎるように感じる。
これは、インスタントの味噌汁を、同量の湯で作ったときの味の感じ方で気付いた。
手料理ではない、量産のインスタント食品だからこそ、気付きやすかった。
妻の手料理とかだと、気づき辛いのではないかと思う。
しょっぱすぎると思って、一週間、味噌汁無しにして、また飲み始めると、同じことが再現できる。
俺の味覚は、塩分が足りないときは、塩味の強いものを好み、足りているときは塩味が薄いものを好むようになる。
塩に関しては、濃い味付けを続けると、より味を強く感じて食べ辛くなる。
一般に言われる話と逆になる。不足と適量、過剰の間を行き来している人、つまり正常な人では、こうなるのが正しいのではないだろうか?
薄味に慣れろと言うのは、本当に健康面でプラスになることだろうか?
天然のセンサーである味覚が、美味しいと感じるものは、それを摂取するために、美味しいと感じているのではないのだろうか?
美味しいと感じる、ラーメンのスープや、味噌汁と、清涼飲料水の浸透圧は、近い。
だいたい、体液に近い浸透圧になっている。
薄味に慣れろと言うのは、”塩を悪”と定義した場合に成り立つだけで、本当は健康には、貢献していないのではないだろうか?
あの河原のバーベキュー。
あそこまで激しく、塩不足にやられたことは、後にも先にも一度きりだったが、”減塩信仰”に騙されず、正しい知識を持っていたら、あそこまで悪化しなかったのに……
俺は、あの時の、あまりにも気まずさで、あのあと、高校時代の友達とのバーベキューには、二度と参加しなかった。
そう言えば、あのとき飲み潰れた、中村(鉄)は、どうやって帰ったかは知らないが、無事お持ち帰りされてしまったようで、その後、木下さんと付き合ってたという話は聞いた。
もちろん俺は、誰にも、お持ち帰りされたりはせずに、早帰りの人に、駅まで送ってもらって……
車の中は”楽しかった、またやろう!”とか盛り上がっている中、俺はひたすら吐き気に耐えるだけで、気まずかった。
あのときは、留学組が荒れたこともあって、次の回からは、充実組だけで、開催されるようになったらしい。
だから、俺は、あのとき倒れなくても、結果は一緒だったかもしれないが。
送ってもらったのが、順風満帆組の車だったので、俺は珍獣扱いで、いろいろ厳しかった。
皆それぞれ、歳と共に、いろいろやっていて、俺だけ取り残された気分になった。
中村(鉄)と、木下さんは、その後どうなったのか……結婚したと言う話は聞いていないが、そもそも、俺には、そういう噂話は回ってこないので、実は結婚してたとしても、知らないだけかもしれない。
駅まで送ってもらったものの、電車に乗る気にならず、近くの公園で、夕方……夜だな……まで休んでから帰った。体中、蚊に刺されまくった。
惨めだ。
俺も、もう少し頑張らないとな……
この時の俺は、まだ前に進もうとしていた。
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河原のバーベキューから、4年ほどしたころ、30の年に、高校の同級生の結婚式があった。
二次会に行ったのだが、駅で偶然、あの子に会った。
髪が短くなって、主婦っぽかった。人妻なのだ。
お互い30歳になっていた。あれから10年も経って、俺は気まずかった。
ところが、予想外に話ができた。10年ぶりに思い出した。
俺が、素で話できる相手は、この子以外に居ないのだ。
俺には、あの子しか居なかったのだ。
話してみてよくわかった。
俺は、彼女ができると良いなと思って、いろいろやってみたのに、うまくいかなかった。
俺は心の底で、たぶん、あの子以外の子と仲良くなるのを、避けているのだと思う。
呪いだな。
だからもう俺は、彼女とか結婚は、諦めることにした。
親に子供見せられないのは、申し訳ないが、ある意味、連帯責任だ。
俺は子供の頃、もっとちゃんと、遊んでおく必要があったと思う。
大学生になって、小中学生の頃やりたかったことを消化しても遅すぎる。
俺は子供の頃、勉強にリソースを傾けすぎた。
リソースの大半をそこに使ってしまった。
それが、俺自身の選択だったら構わない。自業自得。
そうでないから、その結果も当事者として受け入れ難い。
俺は、それを望まなかった。でも、無理矢理やらされた。
無理やりやらされたことで起きたことは、結果がプラスであっても、俺には、それは俺自身の成果だとは思えないので、当事者意識を感じない。
俺は、遊びたいとき遊びたいと言った。
親はくだらないことと切って捨てた。
それを解消するために、俺は10年もかけてしまった。
大学に入ってから、やり始めても遅い。
妨害を受けて、やるべきときに、やるべきことをやれなかった。
だから、手遅れになった。
その結果起きたことに対して、俺には、正直、あまり当事者意識がない。
当時、自分のことだろと言われたが、あれはぜんぜん意味がわからなかった。
決定権を奪っておいて、結果だけを受け入れろと言われても、納得できるわけがない。
自立してから、自由にやりなさいと言われても、その頃は、人生勝負はだいぶ付いちゃった後のことだ。
就職して自立したとき、やっと自由にできると思って嬉しかった。
でも、手遅れだ。俺には何も無かった。
まあ、皆、状況は似たり寄ったりで、自由にできる人の方が、少ないのだろうが、俺は俺がやるべきことをやることができなかったと思っている。
俺は、誰かに強制された結果の成功より、俺自身の選択を後悔したかった。
強制された結果で後悔するのは、下の下。
それがこの俺だ。
俺はもう、人生という、このクソゲーから一刻も早く離脱したい。
来世に期待。
そもそも、遊び回ってて、あの高校に入れたとも思えないので、どちらにしろ、あの子と仲良くなるわけはない。
だから、それ自体は、仕方のないことだと思っている。
ただ、思い通りに動けていれば、俺は俺の人生に対して当事者意識を持てたと思う。
そのときには、俺の行動は、今とはかなり変わったものになった……のではないかと思っている。
少なくとも、俺は、自分自身の問題だ、という自覚を持つことはできたと思う。
俺にとっては、人生消化試合。
早々に、心臓が止まってくれれば楽なのにな……そう思う。
何か、歯車が狂ったように感じている人は、きっと俺だけじゃないのだろう。
俺と同世代の人間は、男女共に大量に余っている。
日本は、一夫一婦制。そして、男女の人口比率は大差無い。
厳密に言えば、男の方が少し多いが、女も充分余っている。
なのに、なんで、こんなことになっているのだろう?
皆、高望みしすぎなのだろうか?
余り者同士でくっつくべきだ。俺はそれでかまわないと思っていた。
俺が誰かとくっつけば、余る女性が一人減る。
良いことだと思う。だから、俺はそれで良いと思っていた。
だが、俺は、余っている誰かを幸せにすることはできないようだ。
自分自身に、当事者意識を持っていないような人間を、好きになって結婚してくれる女性は、そう滅多にいないだろう。
それに、俺は、あの子じゃないとダメだったみたいだ。
そんなことに、今頃気付いても遅い。
俺は余りっぱなし。
あの子が、売れ残るわけ無いからな……
………………
前回同様に、消化試合をこなしていく、栫井を見守る影があった。
『お父さん。もうすぐあの人間の女は離婚というのをするそうです。
離婚すれば、夫が居なくなるからお父さんが夫になっても良いのだと聞きました』
オーテルは、それを伝えるが、その言葉は、栫井の耳には届かなかった。




