23-39.死神の正体(2)
「小泉さん、俺、そろそろ行かなきゃ」
「うん。がんばって」
そう言うと、手を差し出す。
手を握る。弱々しい手だ。さらに、もう片方の手を重ねる。
何かが伝わって来た。
俺が神様になる記憶? ……いつの記憶だ?
そうだ。俺は、”樹海には行かなかった”はずだ。
さっき、俺は樹海に行ったと思った。樹海を歩き、写真を見たような記憶があった。
あれはいつの話だ?
今頃になって、何かを思い出してきた。
これはいつの記憶だ?
あの時、病院の食事がまずかった。あれは減塩食じゃ無かった。
俺の味覚が壊れてただけだ。
俺は、洋子さんとの約束を守れなかった。
洋子さん? そうだ、俺は”洋子さん”と呼んでいた。
くそっ、思い出した。
オーテルは、あの時のことは覚えて無いのか?
「栫井君?
どうしたの?」
なんてことだ。なんで子供が生まれた?
まずいぞ。どうして、娘さんが存在してるのかが分からない。
とにかく、娘さんが生きてる時代に行くしかない。
「洋子さん、必ず、娘さんを助けるから」
「え?」
今、私の名前を呼んだ?
「何を思い出したの?」
今、”洋子さん”と呼んだ。
さっきまでは、小泉さんだった。
「ごめん。俺が失敗したから。くそ、何度目だ?」
俺は、富士の樹海に行っていない。行く前にオーテルが来たから。
……なぜ行った記憶があった?
俺が約束を破ったからだ。
洋子さんに子供が居て、幸せに暮らしている世界が無いと……
「ねぇ、何を思い出したの?」
ダメだ、栫井は答えない。
”洋子さん”と呼んだ。
さっき繋いだ手を通じて伝わってきた記憶、あれはいつのこと?
あれが本当だとしたら、唯は?
本来あってはならない記憶が、二人の中で蘇ってしまった。
『ああ、お父さんが大変なことに』
「行ってくるよ」
ずいぶん気軽に言うが、良く見ると、栫井の姿は透けていた。
もうすぐ、洋子の目にも見えなくなりそうだ。
『はじまるのじゃ』
「何が?」
『転移じゃ』
「転移って?」
『神にとっては移動に過ぎぬ。
人間にとっては、時間のリセットじゃ』
「え? もしかして、私のために他の人達も?」
『お前が、神を動かしたのじゃ。じゃから、特別な人間なのじゃ』
「どういうこと?」
”ガン”
世界がずれる。
「え?」
急に、目の前から栫井の姿が消えた。
「消えた」
『時を越えるのは、とても難しくて危険なことなのじゃ……』
確か以前、大怪我をしたと聞いた。
洋子のために、そんな危険を何度も……そう考えると、あの記憶が本当なんじゃないかと思えてくる。
洋子にも、樹海に行った記憶があった。
『のう。洋子』
「なに?」
『おまえは、ヤキトリというものを知っておるか?』
「え?串に刺さった?」
あまりにも、突拍子の無い話に思わず聞き返す。
『そうじゃ。妾がおまえの家に行く故、妾にヤキトリをふるまうのじゃ』
「え? ええ。助けてくれるなら」
『その言葉、忘れるでないぞ』
焼き鳥が、そんなに大事なことなのだろうか?
大事だとして、覚えていることはできるのだろうか?
「覚えてられるの?」
『お主は、石を持って居る。もしかしたら、記憶を持ち続けることができるやも知れぬ』
石があれば、覚えていられるかもしれない。しかし、余計なことを思い出すとまずい。
洋子は、石の記憶は読まないようにしたいと願う。
この願いは、意外に良く効くことになる。
洋子には、聞いておきたいことがあった。
栫井の前では、聞けなかったことがあるのだ。
それを聞いておかないと。
「そうだ、教えて、仏壇が見えたの。栫井君の。
どうなるか知ってるんでしょ?」
だが、時間切れだった。
『この世界はもうすぐなくなります』
急にオーテルの言葉遣いが変わる。
「え? 何?」
『私も移動をはじめました。洋子の時間も戻ります』
「何?違う人? オーテルさんでしょ? なんで言葉遣いがかわったの?」
『見えたものは事実です。
唯が助かれば、お父さんは死にます』
「え? 栫井君は、そのこと知ってるの?」
『知っても、事実になります。
この記憶はいつか戻ります。気持ちの整理をしておくのです。
最強の竜は、他の方法では殺せません。
この世界の人間として寿命で死んでも、私の世界に行きません。
殺してください。確実に。
お父さんを殺せるのは、洋子、あなた一人なのです』
「え? どういうこと?」
『唯が助かる時、お父さんは幸せに死ぬことができるのです
洋子、それがあなたの役目です』
「何? ちょっと、詳しく聞かせて」
『もう、お父さんは、旅立ちました。
時間がリセットされます。
確実に仕留めてください。
いずれ、私より、あなたの方が良く知ることになります。
お父さんの死を乗り越えて、あの娘と一緒にお父さんを送り出して……』
「待って……」
意識が薄れる。
殺す役目? やっぱりそうだ。仏壇を見た時から、そんな予感はしていた。
栫井君が死ぬのは私が……
洋子は気付いてしまう。
死にそうになったときオーテルが来た。
私はオーテルが死神だと思った。
でも違った。
オーテルが死神じゃない。
オーテルは、私を死神にするために来たんだ。