23-27.洋子からの電話(8)
自称、栫井の娘と言う、この死神さんの暴言はスルーするとして、
あっさり、約束できてしまったので気が抜ける。
「はぁ。栫井君、相変わらずだな」
『なにしろ、妾のお父さんじゃからのう。ほほほほほ』
洋子は、スルーした。そもそも、誉め言葉ですらない。
本当に、待ち合わせ場所に来てくれるかは、また別の話だが、たぶん来るだろう。
洋子はそう信じていた。
栫井の娘に聞いてみる。
「栫井君には、奥さんも彼女もいないんでしょ?」
『同じことを何度も聞くでない。お主のことを気に入っておるようじゃからな』
それを言われると何も言えなくなる。
この声の主の言う意味は、こうだ。
”相手は洋子だけと決めているから、洋子だけを待っているから”
この言葉は、洋子にとって希望であるとともに、残酷なことでもあった。
栫井が今でも待ち続けている理由でもあるが、2人は今年50歳。
この歳まで独り身を続けさせてしまったのだ。
洋子には、何度でも電話をするチャンスはあったし、玲子と杉にも何度も言われていたのに……
洋子は、今まで連絡を取らなかったことを後悔していた。
でも、週末まで、時間はあるようで無い。
栫井と会うなら、少しでもマシな状態でと思い鏡を見る。
髪は生え際がすっかり白っぽいし、やつれて顔色も悪い。
唯が死んで1月も経っていないのに、酷い有様だ。
首はもちろん、傷跡がはっきり残っている。
首を隠すものを買って、美容院にも行って、髪を染めよう。
そう思う。
洋子は今、横浜の実家に戻っているので、今まで通っていた美容院が遠い。
近くで探して予約を取る。
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その日の夜、偶然にも玲子から電話があった。
玲子は唯が亡くなったことは知っていたが、洋子の自殺未遂については知らなかった。
娘が亡くなった後のことを心配して電話してきたのだ。
実際自殺を試みるほど酷かったのだが、今は、死神さんのおかげか、だいぶ持ち直していた。
「ああ、玲子、今、実家に帰って来てて」
これを聞いて、玲子は娘の死後一人だといろいろ考えてしまうから実家に戻っていると思った。
実際は、”自殺未遂でしばらくは、家族の監視付き”の意味合いが大きかったが、玲子は、洋子の自殺未遂を知らないので、そう考えるのも仕方ない。
「そう、だったら近いんだし、近いうちにお茶でもどう?」
玲子は、気晴らしにでもなればとお茶に誘ってみる。
玲子は実家を離れているが、現在も横浜に住んでいた。
(実際は、横浜市外だが、この近辺の人は、横浜近辺を全部横浜だと思っているので、横浜と言えば話しは通る)
玲子のお誘いは嬉しいが、首の傷跡がはっきり残っている間は難しい。
「ごめんね。今はちょっと……もう少ししたら」
「そう。気が向いたらでいいから。落ち込んでるかと思って」
玲子は、心配したほど、洋子の様子は悪くなさそうなので安心する。
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洋子は洋子で、聞きたいことがあったので丁度良かった。
会うとなると首の傷の話をしなければならないだろうし、その用件単独で、電話で話を聞くのも、(洋子にとっては)ちょっと聞きにくい内容だったのだ。
「ええ。ありがとう。
ちょうど良かった、ちょっと、聞きたいことがあって……
凄く昔のことなんだけど」
「ええ。なに?」
玲子はてっきり、洋子の娘の唯の話だと思った。
玲子は唯には何度も会っていて、泊まりで一緒に旅行に行ったこともある。
ところが違った。
「あのね、玲子が栫井君と最後に会ったのはいつ?」
「え? 会ったのはダイ君の(結婚式の二次会)のときだけど、
ちゃんと話したのは、河原の1回目のバーベキューのときだと思うけど」
「あれっていつだっけ? 私行って無いから覚えて無くて」
「25歳くらいのときだったはずだけど」 玲子は答えた。
二人は今年50。つまり年齢が半分だった頃の話だ。
「あのとき、栫井君は私のこと……」
玲子は気付く。恐らく、栫井と連絡が取れたのだ。
栫井から洋子に連絡が来たか、遂に洋子が連絡を取ったのか。
洋子が今更、自分から連絡を取ることは無いだろうから、おそらく栫井の方からだろう。
娘の唯の死を知って、心配して連絡したのだろう。そう考えた。
ずいぶん前のことなので、思い出すまでに時間がかかる。
思い出したことを話す。
「あのときは場所は良かったんだけど、男の子たちは、就職失敗組と成功組に別れちゃってて。
栫井君は、どっちにも入らず、ただバーベキューで焼き続けてた。
洋子を待ってたんだと思う。来ないの知ってたのにね」
「うん。もっと……聞かせて」
洋子はもう涙声になっていた。
栫井は、洋子を助けるために時間を戻して、来ないのを知っていて待ち続けたのだ。
玲子は確信する。洋子と栫井は、連絡を取った。
もしかしたら会う約束をした、またはもう会ったのかもしれない。
そして、あのとき栫井が、何を言っていたのか知りたがっているのだ。
とはいえ、25年も前の話。
思い出しながら話していく。
「はじめは”懐かしいな”とか言い合ってたのに、就職失敗組……(主に上を狙って失敗したグループ)が荒れ始めて」
「うん」
この話は、洋子も噂には聞いていた。
「雰囲気悪かったから、私たちが移動して……」
…………
…………
玲子たちが料理をしていた鉄板の周辺で、就職失敗組が愚痴を言い始めた。
留学や、さらなる進学で就職時期を後ろにずらした人たちだ。
女性でそのパターンはあまり居なかった。
居ても、半分趣味で留学とかで、その経歴でのし上がろうとか、そういう人は居なかった。
それに対して、男性は、高みを目指して留学なり進学なりしたのに、就職時期が遅れた分、余計に酷いことになっていたうえに、むしろ、その経歴自体が、格下(遊びに行っていた、ブランク扱い)、或いは無用の長物(初任給が高いので、企業から見ると、無駄に高い買い物になる)扱いを受ける機会も多かったのだ。
ちょうど、時期的にそんな頃だった。
大卒ストレートで就職した人にとっては、就職は既に過去の話だったが、進学、留学組にとってはリアルタイムの話だった。
”日本はこれだから!”とか言い出すが、何の解決にもならない。
雰囲気が悪くなったので、そこで料理をしていた玲子たちが避けて、べつのところに移動すると、料理がいっぱい焼けていた。
そこでは、栫井が焼きまくって、食べるのが追い付かない状態だった。
焚き付け名人の牧田が、火をつけて回ったが、火だけあって誰も居ない。
仕方なく、栫井が火の番しながら焼いていた。
そこに、玲子たちが避難してきたのだ。
ちょうど、まだあまり食べていなかった玲子たちが、食べるついでに、いろいろ話をした。
普通だったら、話が続かないのだけれど、栫井は、焼き続ける間、逃げなかったので、いろいろ話をした。
玲子が、栫井と長話したのは、これが最初で最後かもしれない。
そのくらい珍しかった。
高校の時は、玲子と、栫井が2人で居ることも多かったが、たいした話をするわけではなかったので、実は、深い話はまったくしたことが無かった。
だいたい、バーベキューをすると、はじめは男が荷物下ろして火と鉄板を用意し、女が野菜を切る。
しばらくすると女が焼いて男が食うというフェーズに一時落ち着き、男が飲みに入ってしまうので、次に女が食べ、余ったものを、男に無理やり食わせる(だいたい、食べるのは数人。処分担当みたいな大食いが何人か居る)。
子供が参加するようになると、また変わってくるが、当時はそんな感じだった。
そのときは、女が焼いて先に男が食うフェーズで、玲子が料理していた鉄板が荒れてしまったので、玲子たちは、食べる前に、その場を避難した。
避難先では、栫井が、何故か料理を大量に焼きまくっていた。
そうだ! 思い出した!
玲子の脳裏に、あのときのことが鮮明に蘇った。玲子自身が驚くほどに。
そのうえ、栫井と長話しをた機会が少ないのが幸いして、話の内容もよく覚えていた。
「はじめはバーベキュー料理、上手いねとかから……
牧田君が焚火マニアで、薪の火をつけてたんだけど、私たちが来たら、話が合わなくなって逃げて……
煙が凄いのに、栫井君がずっと火の番してて」
「うん」
こんな話を聞いても洋子は泣いていた。
「栫井君に連絡したの?」 玲子は不意に聞く。
洋子はすぐに答えた。
「もっと早くすれば良かった」
玲子は安心した。
たぶんうまく行ったのだ。30年近くも前に玲子が望んだこと、助言がやっと。
でも、何かがあったのだろう?
そう思うが、玲子ができるのは、あのときの話をするだけ。
「栫井君ね、酔っ払ってたから、よく喋った。マンガのメモを見なかったのが失敗だったとか」
この話が出ると、洋子の鳴き声が漏れる。
「うう」
やっぱり、この二人には、何かすれ違いがあったのだ……
…………
…………
玲子は2時間近くも、知っていることを話した。
「ありがとう。ずっと前から、玲子が電話しろって言ってたのに、私……」
「いいわよ。それより頑張ってね」
ずいぶん長く話していた。ほとんど玲子の話を聞いていただけだが。
それでも、洋子は、栫井と会うことを玲子に話した。
もちろん、骨や死神のことは話していない。
洋子の自殺未遂のことも。
栫井が、25年前、何を言っていたのか聞いた。
洋子のために時間をやり直した男の話だと思うと、涙が溢れる。
その当時、洋子は唯が生まれたばかりで、大変だったが幸せに過ごしていた。
栫井は、洋子が来ないのを知りつつ、バーベキューに行き、悪酔いして倒れた。
そのとき、洋子のことがまだ好きだと言っていたのだ。
「ごめんね、栫井君」