23-25.洋子からの電話(6)
栫井が、何故、洋子を幸せにしたいと思うのか、その真意を聞きたい。
会って話しを聞いてみたい。
そのために、まずは連絡を取って会う約束をしなくてはならない。
それは、今の洋子にとっては、かなりハードルが高かった。
”断られたらどうしよう?” そんな思いが、頭をよぎる。
「ねえ、(栫井君の)娘さん、栫井君に会って、この骨を渡せば良いのね?」
『骨? ようわかったのう。実は、これはお父さんの骨の一部なのじゃ』
どう見ても骨だけど?
洋子は不思議に思う。
”お父さんの骨”と言うことは、栫井君の遺骨を、未来から持ってきたってこと?
きっとそうなのだろうと思う。
「とにかく、これを渡せば良いのね」
渡して何も起きなかったら、どうしようかと心配になる。
『これから会いに行くのか?
これでようやくお父さんと話せるのじゃ』
「違うわ、電話するだけ。今から会いましょうなんて、いきなり言っても無理だから」
『なんで無理なのじゃ? お父さんはお主と会いたがっておるのじゃぞ』
「会いたがってたとしても、相手の都合を考えないと会ってもらえないものだから」
洋子は、この声の主が、どうも普通の人間とはだいぶ常識に乖離があることを理解していたので、人間の常識的な反応を説明する。
『お父さんが会わないと思う理由は、妾には、ようわからんが、
電話というのは、その変なもので離れた相手と話すやつじゃな。
まあ、今ならお父さんも暇そうじゃ。
その板を触っておるときは暇なのじゃろ?』
「え? 栫井君が、今何してるかわかるの?」
『その変な板の大きいやつを突いておる』
大きいやつ。おそらくタブレットのことだろう。
「ああ、タブレット端末かな?
でも、暇そうね。連絡するのにちょうど良かった」
『妾のことを言っても、今は思い出しておらぬからの』
「うん。わかってる。電話してみる。
番号は知ってるから」
とは言ったものの、どうやって何を話すかいろいろ考える。
軽く話した方が良いのか、畏まった方が良いのか。
微妙な関係なだけに、距離感が難しい。
今更、馴れ馴れしいのもおかしい……でも、事務的にってのもダメな気がする。
いきなり”ごめんなさい”から入ったら、逃げられそうだし。
いろいろ考えてしまう。
……………………
実は、洋子は栫井の電話番号を、ずっと前から知っていた。
杉に無理やり電話帳登録されたのだ。
だから、いつでも電話はできたのだ。
それに、洋子が離婚した後、玲子と杉から、栫井に連絡しろと何度も言われていた。
洋子が最後に栫井と会った頃は、ガラケーの時代だったが、急激に携帯電話の普及が進み、すでにほとんどの大人が携帯電話を持っていた。
電話番号が11桁になった後の話で、皆携帯電話を使っていた。
それより少し前の時代は、簡易携帯としてPHSが存在したため、お金の無い世代はPHSを使っていた。メールが送れるようになったのはPHSが先で、携帯電話の方が後だった。
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※この段は、当時の状況を書いたもので、物語の内容とは関係無いので読み飛ばしても問題ありません
洋子が高校生の時は、まだ普及していなかった。
普及したところで、(普及率は)たかが知れていると考えられていた。
少なくとも近い未来に1人1台持つとは考えられていなかった。
電波の帯域は有限で、同時に通話できる人数が限られているからだ。
当時、携帯電話に割り当てられた周波数帯だけでは到底足りず、その周波数帯はプレミアム向け。
残りの人が手軽に使えるように、多くの人が同時に使えるPHSが用意された。
金持ち以外は携帯電話は持てないと思われていたのだ。
ところが、その予想は思い切り覆された。
競争によって、想定外の速度で価格が下がり、月1万円以下で持てるようになってしまったのだ。
あっという間に5千円以下、PHSは端末自体は携帯よりよほど高度なもので、製造コストが高かった。
それでも、端末1円とかでばらまきまくった。
それでも、PHSは、利便性と価格のバランスが悪く、普及が進まずひっそり消えた。
電波の有効利用、容量の問題は、技術革新によってなんとかクリアし、多くの人が携帯電話を持つようになると、今度は、電話番号が枯渇した。
当時は、電話番号が10桁だったが、これでは足りなくなったのだ。
そのため、1999年1月1日から、電話番号が11桁に変更された。
早期から携帯電話を持っていた人は、11桁になったとき090-xxxx-xxxxという番号になった。
これは後に9番台と呼ばれるようになった。
栫井の番号も、洋子の番号も090-xxxx-xxxxだった。単に昔から持っていたから。それだけだ。
MNPがはじまるまでは、業者を変えると番号も変更になった。
端末代は新規だといくら、機種変だといくらと値段が違っていたので、毎回新規で番号変わることも多かった。
なので、MNPがはじまる以前に聞いた番号は、後で変わっていて、別の人に再利用されていて、久しぶりにかけてみると別の人にかかってしまい、間違い電話になってしまったりすることもあった。
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洋子が最後に栫井と会った頃、このときは、お互い携帯電話を持っているが、同級生同士でも、電話番号を知らなかった。
そのため、このときは連絡先を交換する姿があちこちで見られた。
これは、この時代だけの特殊な例となった。
それよりもっと後の時代になると、個人情報の秘匿が重要視されるようになる。
次の同窓会では、個人情報は厳密に管理すべきという常識に変わっていたのだ。
時代とともに常識はコロコロ変わるものなのだ。
その後、同級生カップルが、いくつも生まれた。パワーカップルだ。
この時代、パワーカップルとプアーカップルに二極化した。
以前は、金持ちの男は専業主婦を養った。
ところが、この時代は、男女平等が進み、金持ち同志、貧乏同士のペアが多くなった。
はっきり言って、金が有るから幸せと言うことは無い。
でも、貧乏で幸せになるのは、十分な金があるときと比較して非常に困難だ。
価値観は自由度か大きい。一番幸せになれる価値観を共有できる夫婦は幸せである。
当然、パワーカップルとプアーカップルに分かれる。
だが、そのとき洋子と栫井は連絡先を交換しなかった。
その頃の洋子は既婚者。異性と親しくするのは控えた方が良かった。
つまり、連絡先を交換しなかったのは、当時洋子が既婚者だったから。
離婚後であれば、話は別だ。
ということで、杉に無理やり電話帳登録された。
栫井と洋子は、元々、いろいろと相性が良かった。
洋子は、日頃は賢く動けるのに、いざと言うときさっぱりダメ。
栫井は、ピンチになっても、日頃と変わらずマイペース(傍からはそう見える)。
どう考えても、この2人がくっつくべきだろうと玲子は思っていた。
さらに、玲子と杉は、洋子の元旦那を好ましく思っていなかった。
洋子が結婚する前ではあるが、洋子の元旦那(当時は恋人)は、玲子が洋子の友達だと知った上で、声をかけてきたことがあったのだ。
玲子は、慣れていたので、余裕で捌くが、彼女が居てもそういうことをする人物ということで、当時は避けた。
玲子はこの時点で、どういう男か見抜いていた。
声をかけてきたこと自体は洋子には言わなかったが、玲子が、避けていることは洋子も知っていた。
言わなくても気付くはず。玲子はそう思ったし、杉をはじめとする、周囲の旧友たちもそう思っていた。
と言うのも、玲子が理由も無しに人を避けたりすることはないことは、良く知られていたからだ。
高校の頃、玲子が人気あったのは、見た目だけでは無く、性格の良さも、その理由だった。
何も悪くない相手を露骨に避けたりとかはしない子だった。
だから、玲子が避けるのには、相応の理由があることに洋子も気付くはず。そう思っていた。
ところが、洋子は早々に結婚してしまった。
玲子は、そんな男と仲良い振りもしたくはなかったので、洋子とも距離をとった。
そのため、一時、玲子と杉は洋子とは疎遠になっていた時期がある。
杉も、洋子は栫井と付き合っていたと思っていたので、短大に行って早々に、軽い男に乗り換えた洋子を快く思わなかった。
洋子の離婚前後から再び連絡を取り、むしろ、玲子の助言で離婚の意志が固まった。
玲子は別の友人が離婚で揉めたのを知っていたので、離婚問題に関して多少の知識があった。
それをきっかけに離婚問題を調べ、洋子に助言した。
洋子が不利な条件での離婚とならないよう、サポートしたのだ。
ところが洋子はサッパリで、夫に数々の過失があったのにも関わらず、証拠を全く残していないし、娘の親権以外はろくに要求もしなかった。
正直言って、洋子は甘かった。
※貧乏暮らしの理由の一つ
玲子のサポートがあっても十分生かせなかった。
サポートが無ければもっと酷いことになったかもしれない。
それを見て、玲子は、これは誰か支えられる男を捜さないとと思う。
信用できる男に支えて欲しいなんてことを考えても、普通はそんなやつ簡単には見つからないよ……となるところだが、洋子には丁度良い候補が居た。
離婚問題が片付いたとき、栫井の連絡先を教え、連絡をするよう助言した。
洋子と杉は、これで、うまく行くだろうと思っていた。
玲子はバーベキューで栫井と会ったとき、相変わらず、栫井が洋子のことを好きなことを知っていた。
この時点ですでに、もう5年も前のことだったが。
玲子は、栫井とは付き合いが長く(中学、高校が一緒)、比較的よく知っていたので、信用していた。
どう考えても、あんな信用ならない男より、洋子を幸せにしようと頑張るだろうと思っていた。
(実は、栫井は案外評価が高かった。付き合いたい相手としてではなく、誠実な人間という意味で)
洋子は前の結婚で失敗しているので、再婚には乗り気ではなかったが、玲子は友人として、洋子を放っておくのはどうかと思っていた。
洋子が栫井に未練があることも知っていたし、よりを戻そう、そう考えたのだ。
実際には、栫井と洋子は、付き合っても居なかったのだが。
だが、洋子は栫井に連絡を取ることを躊躇した。
その頃、洋子は、洋子が栫井を裏切ったと思っていたから。
これは順番が逆で、玲子と杉が、洋子が栫井と付き合っていると誤解していて、それを指摘された洋子が、付き合ってたなら自分が裏切ってしまったという罪の意識を持ってしまったのだ。
そして、栫井も、自分がメモに気付かなかったせいで疎遠になったと思っている。
そんな経緯があった。
些細なすれ違いなのだが、年を経るごとに、電話をかけるハードルが上がっていく。