23-24.洋子からの電話(5)
洋子はぼんやりと病院のベッドで過ごしつつ、状況の整理をしていた。
急にいろんなことがありすぎて、混乱していたのだ。
改めて考えてみると、おかしなことになっていることに気付く。
栫井が洋子を救うために、時を戻したというのに、
そのことを知るのは洋子の方で、洋子が栫井に石を届けて、過去の記憶を取り戻させなければならないのだ。
その為に栫井と会わなければならないが、今更連絡を取ったとして、栫井が良い返事をくれるとは限らない。
助けたがったのは、栫井の方なのに、連絡しても会ってくれるかわからない。
「はあ。助けてくれようとしたのに、会うのが難しいのよね」
『なんでじゃ? お父さんは、お主を助けたがっておるのじゃぞ』
「だって、そのことを覚えていないんでしょ?
今更連絡しても、会ってくれるかわからない」
『なんでじゃ?』
この声の主には不思議なことに思えた。
人間社会では、普通のことだ。
ずっと付き合いの無かった昔の知り合いからの、突然の連絡と言うのは、だいたい碌でも無いものが多い。
同窓会が有るから皆で会いましょうならともかく、二人で会いましょうは、警戒されて当然だ。
「だって、今までずっと連絡とってないのに、今になって突然連絡したら変でしょ」
人間は普通、こう考える。
ところが、相手が竜ではまったく理解が得られない。
『何が変なのじゃ?』
そう言われると、洋子は悩んでることがバカバカしくなってきた。
別の切り口から考えてみる。
「じゃあ、それはいいわ
それで、その石というのはどこにあるの?」
『妾が持って居る。手を出せ』
洋子が両手を出すと、突如、掌に何かの破片が現れた。1cmとか、そんな大きさのものだった。
『この石じゃ』
「石?」
洋子の目には、石には見えなかった。
この声の主の言う”石”、突如出てきたそれは、洋子の目には、骨のかけらにしか見えなかった。
『この石に触れさせるだけで良いのじゃ』
洋子はそっと握って、読もうとするが、何も読めなかった。
『お主には、読めんじゃろ。妾にも読めぬ』
「栫井君は、これを読めるの?」
『無論じゃ。そのための石じゃからな』
「触れるって、一瞬でもいいの?」
『わからぬが、恐らく』
確かに洋子が石の記憶を読んだ時も、ほんの少し触っただけで、中身が見えた。
唯の死と洋子の自殺を利用して、あんなに苦労してまで洋子にやらせたいこと……
それは、石を届けること。
届けるどころか、触れさせるだけで良いという。
あまりにも簡単過ぎて驚くほどだ。
でも、仕方がない。
それまで、この声の主と意思疎通できなかったのだから。
洋子の掌に石を置くことができるくらいなら、栫井が寝てる隙に手に乗せるくらいできそうなのにと思う。
もしかしたら、一度出した石はもう、この声の主が持つことはできないのだろうか。
「一度出した石は、もうあなたに返すことはできないの?」
『お主の、体が触れて居れば、いつでも妾が持つことができる』
話しができる相手の体を通してしか、石の出し入れができないようだ。
これで意味が分かった。
だとしたら、洋子が居るなら、石は自由に設置できる。罠のように石を仕掛けて、気付かれないように触れさせるという手もある。
一瞬触らせるだけなら、部屋のドアノブに仕掛けたって良さそうだ。
ただ、失敗したときは、石の回収が面倒なことになりそうだ。
それに、洋子は栫井に会いたいとも思っていた。
この声の主に、栫井について話を聞いた。
特に、”今回歩んだ人生”について。
今回の栫井の人生は、洋子のために費やしたものだとすると、あまりに寂しいものだった。
洋子を助けるために発生した人生だ。
現在の栫井は独り身。
ここ5年ほどの間に両親共に他界していた。兄弟は元から無し。
古くからの友人と連絡を取ることもあるが、会うのは稀だという。
もう、日頃から親しく接する人は居ないようだ。
女性関係についても聞いた。
この声の主は、聞くとペラペラよく話す。栫井の生活に限っては。
『いつも、変な板を見ておるぞ。
どういうわけか、お主と最後に会った時を最後に、
他の女には興味が無くなるようじゃ』
変な板と言うのは、スマホかタブレットのことのようだ。
栫井は、元々女性と接することは少なかったが、洋子と最後に会ったあとは、女性に興味は無かったのではないかと言う。
もちろん、男に興味があったわけでも無い。
「なんで、私と会ったときから、出会いを求めなくなったのだろう?」
『お前を妻と決めておるからに、決まっておろう』
それを聞くと、ぶわっと涙が出た。
唯が生きている未来には、栫井の仏壇があった。
確かに結婚する未来があるのだ。
今生で最後に話したとき、あのときはまだ、洋子は離婚していなかった。
あの頃、夫はすでに頼れる存在ではなかった。
それでも、唯のことを考えると簡単には離婚できなかった。
そんな微妙なタイミングだった。
あれより前に離婚していたら、栫井がそんな人生を送らずに済んだかもしれなかった。
何かが変わったのだろうか?
そのことを知っていれば、離婚に向けて積極的に動いたかもしれない。
20年は、人生において、相当長い年月だ。
栫井は、30のころに、洋子以外の女性を求めなくなって、洋子が自殺するのは50の年のこと。
それまでの間、何もしていない。生ける屍のように、ただ会社と家を往復する生活を送っていたという。
20年間もの間、ただ時が来るのを待っていた。
前回は、洋子が死んたことを知って、樹海に行った。
洋子はそう思っていた。
だが違った。栫井の娘の話では、樹海に行ってない。
だとしたら、洋子が見たあれはいつのことなのだろうか?
もっと前があるようだ。
会って話をしてみたいけど、そんな相手に、娘を助けてなんて、とても言えない。
洋子が裏切って他の男との間に産まれた娘だ。
でも、一方で栫井の行動を見ると、洋子だけを待ち続けているようにも見える。
話をした方が、栫井は喜ぶのではないか。
そうも思う。
二択だ。
こっそり石を仕掛けて触らせるか、会って話したうえで触らせるか。
時間をかけてじっくり考えてはみたけれど、洋子の気持ちは、はじめから決まっていた。
「私、話をしてみる。そして、石を渡す」
『それが良いじゃろうな』
「私だけを待ち続けてるみたい。そんなことあるのかな?」
『竜は伴侶を簡単に変えたりはせぬ故、その性質が出ておるのやも知れぬのう』
その言葉が、洋子の胸に刺さる。
この声の主の言う”竜”とは、どんな生き物なのだろう?
========
準備に時間をかける。
最初は病院を抜け出してとも思ったが、少々の時間は問題ではないらしい。
『どうせ、年単位で時間を戻すのじゃ、何日かなど、変わった内に入らぬ』
「うん。焦らずやる」
退院して何日かして、外出もできるようになるまで待つ。
もう、これ以上、親に心配をかけたくない。
一方で、メインの任務の方は、直接会って、骨のかけらを渡すだけ。
それで、唯が生きている歴史に移ることができるという。
もちろん、とてもおかしな話だとは思っていた。
話しだけなら、単なる妄想かもしれない。でも、単なる妄想だとしたら、骨は出せないと思う。
それに、この声は本当に聞こえているけど、話の内容が嘘である可能性もある。
でも、その嘘をつくメリットが無さそうなのだ。
そして、そもそも、この声の主が栫井に会いに来たシチュエーションと、栫井が戻った時代を考えると、この声の主が来た理由に納得できる。
『それがのう。妾は、お父さんが富士の樹海というところで絶望しているときに会いに来たのじゃ。
ところが、お父さんが樹海に行く前だったのじゃ。
お前を助ける話をしたら、さっさと行ってしまったのじゃ』
要するに、洋子が死んだ後を狙ってやって来て、洋子を救うことを条件に、その世界に行くことを要求しにきた。
だが、タイミングを間違って来てしまった。その結果、樹海には行かなかった。
「栫井君は、何処まで戻ったかわかる?」
『そりゃわかるわい。お前と同じ学校というのに居る時に戻って来おった。
毎日行くやつじゃ。あれは何をしておるのかの?
マンガのメモというのを酷く気にしておっての』
「あのメモ……栫井君……」
それを聞くと涙が溢れる。
洋子は栫井に酷いことをしてしまった。
洋子も、それを長年気にしていた。
栫井君は、アレを悔やんでいたのに、ベスという犬を使って自殺を止めようとした。
メモのことを悔やんでいたなら、メモを見て未来を変えるはずだ。
なのに、唯が生まれるのを待って、私の自殺を止めた。
※本当は、栫井は、メモを見たかったけど、失敗しただけです
洋子は、その真意を聞きたかった。
洋子の中で、栫井の存在が、どんどんと大きくなっていく。
もちろん、それによって、おっさんの死亡フラグがどんどんと堅固に固められていくのであった。




