23-18.洋子の自殺を阻止せよ(2)
”加齢臭と転移する竜”本編
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から「横浜編」を分離したものです。
話の並び順も、わかりやすいように入れ替えてあります。
異世界側の話も、多少入りますが、適当に読み飛ばしてください。
唯が、娘の居ないこの世界で、生き続けたくない。
もう生きることに疲れた。
”死のう”。洋子は、そう思う。
迷いは無かった。
早速、丈夫なロープを買ってきた。
幸い、天井にロープを掛ける場所もある。
天井の板を押すと、すぐ上に配管が通っているのだ。
椅子に乗って天板を押せば、すぐ届く。
これは、だいぶ前に修理の業者が来たときに見ていたので知っていた。
こんな構造なこともあって、家賃が安い。
貧乏暮らしのおかげで、首吊りには苦労せずに済むと思ったが、そうでも無かった。
ロープを結んで試しに首にかけると、困ったことに気付く。
足が床に着いてしまうのだ。
この部屋は天井が低い。
元々高くは無い天井なのに、配管を隠すために天井の板が追加してあるという二重底構造で、さらに低くなっていた。
この部屋が、広さの割に安い理由の一つだ。
女の二人暮らしでは、困るような低さでは無かったが、貧乏暮らしで、首を吊るにも十分な天井の高さが無かったと思うと悲しい。
天井が低くて余裕が無い。ロープの長さの調整に苦労した。
洋子が良く知る一般的な首つりロープとは、見た目が、だいぶ異なるものになった。
自分が死ぬためのロープを、工夫しながら作成する。
黙々と作業する。もう急ぐ必要も無い。そして、無駄に時間をかける必要も無い。
ただ、失敗しないように。それだけだった。
ようやく、準備ができた。
唯が最後に持っていたアクセサリを身に着ける。
最後に、これを持って逝きたい。
このアクセサリは、唯が亡くなるとき、お守りのように握っていたもの。
死んでも握っていたものだった。
握ったまま死後硬直していた。
病院に居た時は、ずっと握ったまま離さなかったのに、洋子と二人きりになったとき、唯が握りを緩めた。偶然かもしれない。けれど、きっと唯が洋子に持っていろと言ったのだと思った。
これを持っていると、唯が最後に何を思っていたのかが、わかるような気がした。
死にたくないという無念の気持ち。このお守りを握って、願ったのだと思う。
不思議なことに、ずいぶん古いものに見えたが、洋子には見覚えが無かった。
元夫が買い与えたものだろうか?
唯は父親をあまり慕ってはいなかった。
むこうの祖父母にでも貰ったものだろうか?
唯は、元旦那の父母は慕っていたので、その可能性はありそうだ。
もしかして、洋子が知らないだけで彼でも居たのか?
でも、こんな古ぼけたものを、プレゼントするだろうか?
可能性として高いのは、洋子が買い与えて、覚えていないだけ。
もう一度良く見るが、見覚えが無いので、やはり違和感を持つ。
唯が死んでも手離さないような大事なものなのに、洋子が見覚えないというのは、どういうことだろうか?
でも、これを持っていれば、唯に会えそうな気がした。
長い紐を通して、首にかける。
やり残したことは、それだけだった。
遺書など不要だろう。洋子が死ぬ理由は明白だ。
もう準備できた。
迷いもなく、決行する。
”お父さん、お母さん。ごめんなさい。
でも、私はもう生きていたくない”
椅子を蹴る。
”ドン” バキバキバキ
高さがないので、ほとんど落ちる余地がないのに、ドンという衝撃。
感覚的には、けっこうな高さから落ちた感じだった。
痛い。首がバキバキっと鳴った。
”苦しいんじゃなくて、痛いんだ”そう思った。
ちゃんと足が浮いている。
頑張ればつま先が床に触れるが、体重を支えることはできない。
高さが足りた。これで死ねる。
安心した。
どこで間違ったんだろう?
走馬灯のように思い出が走る。
”ほんとに見えるんだ” そう思った。
洋子の頭の中は、もう自分自身のことなんかどこかに行ってしまって、唯のことばかりだと思っていた。
洋子自身が、”早く子離れしないと”と思うほどに。
ところが、走馬灯のように流れる思い出は、洋子自身のことから始まった。
幼稚園の頃のお弁当。お弁当の歌と甘い卵焼き。
小学生は給食。はじめは嫌いなものが多かった。
習い事はピアノ。私はピアノは好きじゃなかった。
男の子みたいに、スイミングクラブの方が良かったな。
中学の時は、憧れの先輩がいた。サッカー部の。
強くはなかったみたいで、試合で勝った話はあまり聞かなかった。あんなに練習してたのに。
会話したこともほとんどない。
遠くから眺めてるだけ。少女の恋だった。
なのに、同級生の男の子は、子供っぽく見えた。子供同士だから、子どもっぽく見えたのかな?
勉強は、少しできる方だった。高校に行くまで勉強で困ったことは、あまり無かった。
高校で、だんだん勉強に飽きてきてた。
なんで、こんなことしてるんだろうって。
勉強が嫌いなんじゃ無い。勉強以外が無さ過ぎる。
私は勉強だけじゃ無く、高校ではもっといろんなことがしたかった。
中学で進路決めるとき、もう少し別の学校を選ぶこともできたと思う。
なのに、偏差値だけで決めてしまった。
あんな進学校に行ったのが間違いだったのかもしれない。
それに気付いたのは、高校に入ってからだった。
中学生の時の友達は、高校で既に彼氏も居て、楽しそうな子も多かった。
無理して勉強しないで行けるところに行けば、余裕を持って学校生活を送ることができたと思う。
私の学校は、皆大学に進学する前提だったから、周りは皆勉強ばかり。
そんな中、1人だけ緩く行こうと思っても無理がある。
行く高校を間違ったのかもしれない。
あの時期、もうちょっと、楽しんでおけば良かった。
少し仲の良い男の子が居て、少し買い物したりとか……そのくらいだった。
もっと仲良くしておけば良かった。
高校で自由にできなかったから、短大に行った。勉強以外のこともしたいと思って。
でも短大行ったのは失敗だった。結婚も。10年ともたず離婚した。
でも、その結果唯が生まれて、苦労したけど私は満足だった。
進学させてあげられなかったのが心残りだったけれど、唯が就職してもう安心だと思っていたのに……
どこで、間違ったのかな? あのとき大学に行けばどうなったかな?
栫井君を、裏切らずに済んだんだろうな。
他の人と結婚して幸せに暮らせたのかな?
でも、私は唯の居る人生を歩みたい。
だから、唯の居ない世界は捨てて唯のところに行く。
唯は怒るかもしれないな。嫌われたら嫌だな。
それでも会いたい。
わがままでごめんなさい。
私が死んでも、お父さんとお母さんしか困る人はいない。
”ごめんね。せっかく育ててくれたのに”
そうだ。昨日も来てくれたのに。
私は”大丈夫”って言ったのに。
私は嘘つきで、すぐに人を裏切ってしまう。
唯の代わりに、私を殺してくれたらよかったのに。
……唯を生かすためなら喜んで死ぬのに。
そうでなくても死を選ぶのだから。
唯が仕事から帰って来たところ。つい半月くらい前の姿が見えた。
そこで、思い出が止まった。
この後は、悲しい思い出しか無いから、要らない。
走馬灯が終わった。
もう痛くなくなった。苦しくもなくなった。
凄い耳鳴りが止んで、静かなときが訪れる。
死ぬって、こんな感じなのか。
安らかな気持ちになった。
いよいよ、唯のところに行く。
そう思うが、そのとたん、再び苦しくなる。
やっぱり苦しい。苦しいのに死なない。
早く死んでと願う。
無意識に唯の持っていたアクセサリを握り締める。
熱い。手のひらに熱を感じる。アクセサリが熱を持った。
次の瞬間、アクセサリの石は溶け、洋子の体の一部になる。
掌から、腕、肩、体全体に何かが伝わったのを感じた。
今、何かが起きた。
誰かが来てくれた。唯が見ているような気がした。
たぶん、私が死んで、唯が迎えに来たと思った。
”唯?”
唯が迎えに来てくれる。それを期待した。
ところが違った。
「お母さんに、この気持ちをお母さんに伝えて。
信じて、お母さん。このお守りは、私たちを守ってくれる」
唯が来たのではなく、唯がアクセサリに込めた伝言が聞こえた。
遅すぎる。洋子は今まさに息絶えようとしている。
このタイミングで、守ってくれるなどと聞いてもどうしようもない……
「ごめんね。唯、私にはできなかった……」
もう洋子は、自分が目を開けているのか、閉じているのかさえも、わからなかった。
目がチカチカする中、何かが見えてくる。
歩いている? 誰かが歩いている。誰だろう?
山奥に進んで、道に迷ったのかな?
倒木に座った。
森から出る気がないみたい。
何かをずっと見ている。思い出の品?
写真だ。写真を見てる。
その人物は、長い時間、写真を見ていた。
写真を見て驚く。洋子の写真だった。
”私だ。私の写真!”
これ、同級生の結婚式のとき撮った写真だったはず。
そして、写真を見ている人にも見おぼえが? この人、栫井君?
栫井君だ。どうして?
洋子が知っている姿よりだいぶ歳をとっているが、恐らく洋子と似たような歳、栫井の今の姿なのだろう。
栫井は、ずっと洋子の写真を見ている。
なんで、山奥で私の写真なんか。
私、裏切ったのに。
「頼ってくれれば」 栫井の声が聞こえた。
え? 栫井君?
「俺も、もうそっちに行きたい」
なんで? なんで栫井君が?
「でも、頼っても、唯は助からない。私は唯を助けたかったの」
洋子は必死に説明する。
『助けられるとしたらどうする?』
「無理、どうやって?」
『できるとしたら』
”できるとしたら?”
ここでやっと気付く。
洋子は知らぬ間に、誰かと話をしていた。
え? 私は死んで誰かと話してる?