23-17.洋子の自殺を阻止せよ(1)
俺は小泉さんと話ができて嬉しかった。
そして、いろいろ諦めがついた。
この子は俺にとって特別だった。はっきりと実感することができた。
そして、小泉さん(洋子)は、”またあとで”と言った。
でも、それが最後の言葉だった。
”またあとで”
それは、すぐに次の機会が来るような意味でもあるけど、お断り的な意味もある。
後者だったのだろう。
俺の心は、小泉さん(洋子)に囚われた。そして、その”またあとで”の機会は訪れなかった。
その言葉は俺の心に深く突き刺さり、呪いとなって、俺は前に進めなくなった。
たぶん、俺の心はこの時、半分死んだのだ。
俺はもう、積極的に、女性との出会いを求めたりはしないことにした。
俺はもう何も求めない。俺の精神は、既に半分死んでいる。
生ける屍。ゾンビみたいなものだ。
俺は、これから死ぬまでずっと人生消化試合。
俺は子も持たず、何も残さず、このまま年をとり、いずれこの世から消える。
”こんな無駄な人生送ってるやつは、俺しかいない”……なんて思うほど、自分が人と比べて特別不幸だなどとは、全く思わないが。
まあ、こんな無駄な生き方するやつは、そんなに多くない……と言える程度には、少ないのではないかと思っていた。
ところが、その程度のレベルでも、十分すぎるほど自意識過剰だった。
俺の”お仲間”は、予想外にたくさん居た。
お仲間の存在を認識できるようになるには、技術の進歩が必要だった。
ネットを多くの人が気軽に使い、雑談をネット上でできるようになるまで待つ必要があった。
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俺がはじめてパソコンを使ったときはまだ、データの記録装置がカセットテープだった。
金持ちは既にディスクを使っていた。
でも、どちらにしろ、この当時は、パソコンを使って誰かと文章のやり取りをしたりはしなかった。
当時のPCは日本語表示が難しいような機種が多かった。
俺が大学生の頃には、パソコン通信とか言って、掲示板で人とやり取りできるようになっていた。
通信にはアナログの音声回線を使ってデータを送っていた。カセットテープと同じだ。
既に電話と言う音声通信網のインフラがあるから、それを使って通信した。
でも、この時代、雑談は難しい。
その当時PCで通信するのは、かなりのレベルのマニアたちだけだった。
PC自体を趣味にしている人が多かったので、掲示板でもPC関連の話題が多く、雑談する人は少なかった。
通信費は高額だった。
金かけて必要な情報を拾いに来る場所なので、雑談は悪という世界だ。
雑談すると苦情が出る。そんな時代だった。
ADSL解禁が2000年頃で、ブロードバンドの時代は、ほぼ21世紀と共にやってきた。
21世紀は2001年からだが、感覚としては、ほぼ同時だ。
まともな32ビットOSのwindows2000が出たのも2000年。
それまでは、DOSにGUI被せたようなやつからの進化版だったものが、やっとNTベースの物に進化した。
DOSはdisk operating system。ファイルシステムの提供が主な役割。仮想記憶とかも無い。
メモ帳すら無い。OSを買ってきても、基本何もできないというものだった。
OSが直接サポートしているのはキーボードと文字表示だけで、最小構成にグラフィックは含まれない。
実際にはグラフィック表示機能を持った機種が多かったが、グラフィックの為だけに高コストな高解像は求められなかった。
これは、使っている文字の問題が大きい。日本語を実用的に表示するためには高解像が必要だった。
故に、初期のPCでは日本のものが高解像な時代が長く続いた。
8ビットで足りてしまう文字数しかないASCLL文字を表示するには縦解像度は、横方向の解像度だけ上げるだけで問題無く、テレビの流用で問題無かった。
水平周波数15kHz。これは、既存のものが流用できる。
日本語は縦8ドットでは足りない。そのため、初期から日本のPCは縦解像度が2倍あって、高解像だった。縦解像度が変わると言うのは、水平周波数が変わることを意味する。
高解像の高価な専用モニターが必要になる。
ただし、文字表示程度はある程度問題なくできる程度の性能があった。
足りないのは通信環境の方だった。
DOSは、それ単体では、ほとんど何も出来なかった。
DOS標準のエディターはedlinという1行単位でしか編集できないというキチガイ仕様だった。
Windowsはその上に乗っけたGUIとしてはじまった。
当時は既に海外ではVGA(640×480)が主流だったので、日本で標準の640×400の方が低解像だった。
640×400を実現した時期は早かったが、その後、一切進化しなかった。
まあ、競争相手がいないから、進化の必要が無かった。
Windows3.1の頃は、64KB制限がけっこうあり、Windows95/98あたりでも、その制限が、ところどころ残っていた。
NTは仮想記憶やメモリ保護くらいの最低限の機能がついたOSから発展したもので、元は16ビットCPU用だが、NT3.0の頃には16ビットを意識する機会は無かった。ところが、USB対応が遅れた。
Windows2000になって、まともな32ビットベースのOSになった。
2000の次のXPが長く使用されたOSだと思う。XPは2000からさほど進化せず、安定していた。
Windowsは進化によるメリットより移行コストの方が大きく、新バージョンへの移行が進まず、マイクロソフトは10への無償アップデートを実施した。
vista、7、8をスキップして、XPから10へジャンプした人も多いだろう。
Windows2000の頃になると、ADSLの解禁でネットが発達して普及率も上がってきた。
これでようやく下地ができた。
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ただの愚痴やら不平不満を人にぶつけ合うような、荒れた掲示板に、誰もがアクセス可能になった。
そして、それまでは、外に出てこなかったような、いろいろなモノが見えてくるようになった。
そして、本人たちの努力だけでは、格差を埋めることができないことが見えてきたのもこの頃だった。
人と面と向かって話せないようなことでも、匿名で掲示板に書くことはできる。
類友現象で濃縮されていく。
日本全国から似たような境遇の人が集まり、まるで日本中がそんな奴らで溢れているかのように見えるという不思議な状況になる。
そこで得られる情報は、案外重要なものもある。
創設者自身が言ってる通り、大半は便所のラクガキ、チラシの裏レベルの内容だ。
ゴミ溜めみたいな場所だが、重要なことは案外そんなところに転がっている。
それを見つけることができるかは、読む人次第。
同じ文章を読んでも、人によって得られる情報が異なる。
俺は、そんなところにも、”これ書いてる人、相当賢いな”と思うような書き込みをたくさん見かけた。
実は、宝石というのは、案外ゴミに埋もれて、ゴミのふりをしているのかもしれないと思った。
べつに、狙ったわけでも、誰かと示し合わせたわけでもないが、俺の世代には、人生消化試合な仲間がかなり多いことがわかった。
当時はまだ、こういう半死人状態で生き続けるような生き方に、名前は付けられていなかったが、後に、”サイレントテロ”と呼ばれるようになった。
敢えて、表立った抵抗をせず、社会に復讐してやろうという生き方だ。
この時期既に、今すぐにでも、(就職)氷河期世代を対象とした大規模救済策を打たないと、近い将来社会保障費が凄いことになるという指摘はたくさんあった。
俺はこの時、そろそろ対策するのではないかと思っていた。
理由は人道的観点ではなく、将来の社会保障対策だ。
放置すればどうなるかは簡単に想像がつく。だから救済に動くはずだと思った。
放置しても差は埋まらない。努力で乗り越えられる範囲には限度がある。
結局、同世代内でのポジション取りにしかならないことが多い。
皆が努力すると、努力した人も、努力に見合う結果を得られなくなる。
だから、数年上の世代と差が少なくなるような救済策をとる必要があった。
時間と共に、加速度的に救済が困難になる。
救済措置が全く無かったわけでは無い。例えば派遣の拡大だ。
それまでは、非正規≒アルバイトだったものが、そうでもなくなった。
格差の縮小のためには、プラスになっていない。
30歳の人を救済するのと、40歳の人を救済するのとでは、かかる費用と効果に大差がある。
氷河期先頭集団が30歳の時だったら年間1000億円でもある程度の効果が期待できても、40際の頃には1兆円でも、大した効果は期待できなくなる。つまり、事実上、救済方法が無くなる。
人は1年経つと1歳年を取る。誰もが知っている事実だ。
そして、人間には寿命があり劣化する。
体力が落ちた後も尚生き続ける期間がある。
それは、誰でも知っている事実だ。
このまま行くとどうなるかなんて、誰にでも想像できることで、皆知ってることだと思うが、わかっているのに、そのまま放置された。
時限爆弾。破裂することが約束された爆弾を、設置して放置した。
これで、このまま放置して20年後、30年後に”なんで今まで対策しなかったんだ!!”とか言い出す大人(当時すでに大人だった人(氷河期先頭集団より、ある程度上の人))が居たら大笑いだ。
そんなのは、あの頃(2002年時点)既にわかっていて、指摘されていたことだ。
それを20年、30年後に騒ぐ奴は相当なバカだ。
騒ぐ前に、自分がいかにバカかをよく理解した上で騒いでほしい。
やるべきときに、やるべき対策を怠ったのだ。
氷河期世代は良い職に就けなかった。
今もたいして社会に貢献せず、近い将来社会保障を受ける側に回る。
社会の負債。
”サイレントテロ”と言うのは、社会にとっての不良債権として、何も生産せず延々長生きして、世の中に仕返ししてやろうという行動だ。
ガンジーと似ているかな。
直接犯罪を犯したりせずに、合法的に社会に仕返しをする。
ガンジーは無抵抗だったわけではない。あれは平和主義とは違う。
対抗手段として、暴力を使わず、その他の方法で徹底抗戦しただけだ。
”サイレントテロ”と同じく、後になって名前の付く現象と言うのはたくさんある。
俺の経験した、あの急激な不況突入は後に”バブル崩壊”と呼ばれるようになった。
不動産バブル崩壊が引き金となって起きたためだ。
そして、俺の経験したあの就職難は、”氷河期”と呼ばれるようになった。
就職氷河期のことだ。そして、そのさなかに就職活動を迎える年に生まれた人たちを”氷河期世代”と呼ぶ。
俺の年は、氷河期先頭集団。
第二次ベビーブーム世代と、氷河期初期が重なって、労働人口が一気に増える時期に就職難が重なった。
最悪のタイミングだ。
結果、大量の無職、フリーターというワープアを生み出す結果となった。
ワープアも、新しくできた言葉だ。ワーキングプア。働いても貧しい人。
元から存在していたはずだが、俺たちの世代では、その比率も人数も非常に多くなった。
この世代は同じ学年の人数が多いので競争が過酷だった。
大学にしても、人数が多いので、枠が足りず、落ちる人数が増える。
なので偏差値が上がって、特に当時下位の大学受験の難易度が極端に高くなった。
そして、就職の時期には仕事が無い。人材に需要が無い。
俺たちは、教育インフラが人口増に追い付かないという、本人には非の無い理由で、熾烈な競争に追い込まれ、いざ社会に出る時期には、社会から、まともな労働力として必要とされなかった。
あの時代まだ、正社員とアルバイトの2択だった。
細かく言えば派遣や契約社員、期間工もあるが、ボリュームゾーンは正社員とアルバイトの二択。
後に景気が一時的に回復することもあったが、その時期の新卒の就職が良くなるだけで、俺たちの世代は放置された。
その結果、良い職に就けないので金がない。金がないから結婚できない。
不景気は本人の努力とは関係なく訪れたもので、そんなもののせいで酷い目にあう。
そして、それは救済されることなく、ずっと継続する。
努力と経験があっても結果に反映されることは無い。
その後の景気の良い時に入った、若い正社員に顎で使われたりする。
そんな報われない経験を繰り返すと、人生消化試合をはじめる人が増える。
俺は、社会に仕返ししたかったわけじゃない。
俺は幸せになりたかった。
誰かを幸せにしてあげたかった。そして、俺も幸せになりたかった。
でも、もう諦めた。
俺は長く生きて、社会の重荷になって社会に報復してやろうとは思わない。
俺はただ、さっさと消えてしまいたい……
”俺は俺を消し去る能力が欲しい”。そう思う。
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遂に、この世界にベスがやってきた。
それは、栫井の心が折れた後のことだった。
栫井と洋子が最後に話をした2年後。
この頃、栫井はすっかり、人生消化試合に入っていた。
オーテルは、異世界の存在であり、基本、この世界の者と意思疎通することができなかった。
洋子が死ねば、栫井が絶望し、話せるようになるが、それは栫井が50歳になる頃で、だいぶ後のことだ。
そこで、この世界の者と意思疎通するために送り込まれるのが、ベスと呼ばれる生き物だった。
”一番大きな竜”をあの世界に連れてくるために送り込まれる最終兵器。
オーテルの母が最後に作ったダミー。
あの世界で最後に作られたダミーかもしれない。
全てのダミーは、一番大きな竜を捕獲するために作られた。
ベスは、”一番大きな竜”から見ると、一番最初に接触するダミーでもある。
この最後のダミーは、”一番大きな竜”が死んだ後に作られた。
”一番大きな竜”を捕獲するために。
”一番大きな竜”は、異世界出身の竜なので、”一番大きな竜”が死ぬべき世界に連れてくる必要がある。
”一番大きな竜”は、人間の女を愛でる習性があるため、過去に作られたダミーは、全て人間の女を模したものだった。
ところが、このダミーは四本足の獣だった。
”一番大きな竜”が愛でている人間の女のところに入り込んで、”一番大きな竜”をこの世界に呼ぶためだ。
実際にはこの時点では名は無く、後にベスと呼ばれるようになる。
オーテルは、てっきり自分が来る時代にベスが居るものと思っていたが、来たときには既にベスは死んでいた。
そのため、オーテルにとっては、ベスに会うのは、これが初回だった。
父が時を超えたおかげで、会うことができた。
ベスの見た目は、人にグライアスと呼ばれた竜に似ていた。
オーテルと言うのは、父がそう呼んでいただけで、父がオーテルと呼ぶ竜は、人間からはグライアスと呼ばれていた。
その竜とよく似ていた。
ただしサイズが小さく。寿命は人間よりもずっと短い。
竜から見ると、とても短い時間だ。
ベスが死ぬ前に、全てを済ませなければならない。
………………
………………
栫井が洋子と最後に話をしてから、20年近くの時が流れていた。
そんなある日、栫井の運命を左右する、大きな事件が起こる。
洋子のスマホに電話がかかってきた。
病院からだった。唯が倒れたという。容体が良くないことはわかった。
すぐに病院に向かう。
到着したとき、職員の態度でなんとなくわかる。
手術室は既に片付けに入っている。
「そんな」
洋子は、病院から連絡を受けて、すぐに駆け付けたが、既に唯の体は冷たくなっていた。
「なんで、なんで唯が」
頑張って生きてきて、その結果がこれ……
洋子にとって、一番の生き甲斐だった娘が亡くなった。
あまりにも急な死を受け入れることができなかった。
そこからはあまり覚えていない。
葬式はやったはずだがよく覚えていない。
淡々とこなしていたらしい。
何日かして思う。洋子には、生きてる理由が見当たらないのだ。
娘が幼稚園の頃、離婚してから、女手一つで育ててきた。
そのために、どれだけ苦労したか。
なんとか就職して、これから孫でも見られる日が来ると思っていたのに、孫どころか娘が死んだ。
もう、洋子には生きる希望が残っていなかった。
”今まで娘のためと思って辛いときも頑張ってきた。
もう生きる気力がない。こんな世界に居たくない”
死のう。そう思う。