26-16.歴史の再確認(4)
「魔法の匂いが、なんで加齢臭なのよ」 洋子が突っ込みを入れる。
「妾がそのようなこと知る訳無かろう。このたわけが! 人間がそう呼んで居ったのじゃ」
もちろん、ベスは逆切れする。
とは言え、人間がそう呼んでいるだけで、オーテル(ベスの中の人)は、その意味を知らない。
意味を人間に問われても”知るか”と思うのは当然なのかもしれない。
唯は、このとき、栫井がダメージを受けていることに気付く。
「お母さん、栫井さんが傷付くから」
「ジン君、大丈夫だから、魔法の匂いですって。加齢臭とは違うから、良い匂いだから」
洋子はフォローを入れたつもりだが、栫井には余計刺さる。
”良い匂い” ぐふっ、俺は良い匂いの出るおっさんなのだ。
俺は、”クサイ”と言われると傷付くけど、良い匂いと言われても、ちょっと嫌な感じがしてしまうのだ……
だが、何か、心の奥底に引っかかるものが……
不思議なことに、”加齢臭”の言葉を聞いたら、なんだか俺には娘が居たような気がしてきた。
俺は、娘から、”お父さん、臭い”と言われるのを、凄く恐れていた……ような気がする。
いざ言われると、娘のような実感が出てきた。
なんか、人間味を感じると言うか、いや、オーテルは人間じゃないが。
しかも、俺より遥かに年上だと思うのだが。
オーテルだけでなく、唯ちゃんも。
そうか、些細なことでも、実感は湧くものなのだ。
切っ掛けは些細なことなのかもしれない。俺は、ひざまくらをしてもらうと、妻のような気がする。
こう言う些細なことをいくつか体験すれば、今の小泉さん(洋子)と、俺の妻の洋子さんが、俺にとって完全に重なるかもしれない。
少しだけ希望が出てきた……と思ってたけど、なぜか、小泉さんとベスが戦ってた。
「妾が知るか!! 匂いのことを言ったのは洋子、おまえじゃ、このたわけが! 魔法の力には匂いがあるのじゃ」
「だったら、そう言えば良いでしょ」
「たわけじゃ!たわけ」
「なんで、あんたは、こういうときだけ喋るのよ!」
…………
…………
なんか、子どもの喧嘩みたいになっていた。
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手と手を重ねる。これで、力を供給しつつ同じ記憶を共有できる。
まずは、小泉さん(洋子)の知っている、成功パターンを聞いておく。
とは言っても、途中までは今回と一緒だ。
俺はマンガのメモを読み損ねて、高校卒業後、小泉さん(洋子)に一切連絡を取らない。
小泉さん(洋子)は、俺から連絡が無いので、諦める……
くそっ、マンガのメモの失敗は、何度見ても後悔する。
俺はこのイベントを何とかしたいが、俺が人間だったときから、毎回必ず見逃しているのだ。
そして、短大に入って、それほど経たないうちに、小泉さん(洋子)は、元旦那の穂園さんと付き合い始める。
短大は、小泉さん(洋子)が思ってたのと、ぜんぜん違って、あんまり学校と言う感じではなかったようだ。
”勉強してる暇が無い”
学校が悪いのではなく、友達が悪かった?
俺は、高校卒業から7年くらい後のバーベキューで、未練があることを話してしまった……たぶん。
その時点でまだ、小泉さん(洋子)に、未練たっぷりなことを、今井さんと杉に話してしまったのだと思う。
マンガのメモのことを後悔していることも。
俺は、熱中症と、塩不足による脱水症状で、酷い状態だった。
あのとき何があったかよく覚えていない。
俺は、わざわざバーベキューに行って、醜態を晒したことを後悔した。
でも、そのとき話したことが引き金になって、後に今井さんが動くから無駄では無い。
小泉さん(洋子)に、その話が伝わるのは、だいぶ後のことだった。
実は、小泉さん(洋子)と穂園さんが、付き合い始めてから、今井さんと杉は、小泉さん(洋子)とは絶縁状態になっていた。
俺も小泉さん(洋子)も知らなかったが、俺と小泉さん(洋子)は、高校のとき付き合っていた……と今井さんと杉は思っていた。
だから、小泉さん(洋子)は、俺を裏切ったせいで嫌われた、と思っていたようだ。
そこで、洋子が話を挟む。
「その頃既に離婚を考えてたの。子供ができなくて、検査したら、不妊症がわかって」
俺にも同じ内容が読めているのが前提の会話だ。
小泉さん(洋子)と俺は、同じものが読めているようだ。
そう。この頃に小泉さん(洋子)は、診察を受けて不妊を知っている。
俺の本物の人生……俺が人間だった頃の人生で、洋子さんと結婚できたのは、洋子さんの不妊が判明したからだった。
穂園さんは、あの時も浮気して、離婚した。子供が居なかったから。
でも、前回は唯ちゃんが生まれた。
だから、不妊の診断は誤りだったことになった。小泉さん(洋子)の心の中では。
実際は、小泉さん(洋子)は、不妊なのに、唯ちゃんが生まれた。
「唯が生まれたから、そのときは離婚しなかった。離婚は、ダイ君の結婚式の後」
そして、30のとき、高校の同級生の結婚式の二次会で、小泉さん(洋子)と話をする。
「あのとき、ごめんね。唯が熱出して、すぐ帰らなくちゃいけなくて」
「ああ、わかってるから」
はじめに軽く話して、”またあとで”と言い残して、小泉さん(洋子)は帰ってしまった。
あの事件があったから、俺は後悔の念を溜めまくる。
その後、すぐに小泉さん(洋子)は、離婚しているのだが、俺はずっと、それを知らずに過ごす。
前々回と同じタイミングだ。
俺には、前々回のリアルな記憶は無いが、年表的な記憶はある。ベスと会った頃から、すこしずつ思い出した。
やり直しても、やっぱり、唯ちゃんが生まれる時期は変わらず、小泉さん(洋子)は、穂園さんと結婚している。
離婚の時期も変わらないようだ。
俺が洋子さんと結婚できたのは、洋子さんの不妊が判明したからだ。
だから、唯ちゃんが生まれると、そのタイミングでは離婚しない。
夫婦仲は冷めても、小泉さん(洋子)は、唯ちゃんのことを考えて、離婚をしない。
そこに、今井さんからの電話で、いろいろ相談して離婚を決めた。
これが、ちょうど、ダイ君の結婚式のあたりなのだが、離婚に不利になるので、離婚前に俺と連絡を取らないように今井さんに言われている。
ところが、離婚後にも、連絡が無かった。既に何か細工が存在するのだと思う。
ベスを飼うまで、歴史を変えられないから。
ベスは生後間もない子犬で、たいした距離移動できない。
それより前に引っ越されると、ベスと唯ちゃんが接触できない。
「うまく行ったときは、親と同居してて、でも、横浜の実家じゃ無くて、祖母の家を建て直したみたい」
唯ちゃんの送迎を、小泉さん(洋子)さんの、お父さんお母さんがやっているのが見える。
ベスも居る。
「なるほど。お父さんお母さんと、同居する必要があったのか」
「でも、無理だったのよ。あの頃は、お父さんもお母さんも働いてるでしょ」
確かに、離婚後一時期実家に帰って、同居は無理だと思っているようだ。
だが、そのとき、うまく行くと、そのまま横浜で同居になるので、ベスと会えなくなる。
だから、このときは同居がうまく行かない、そのままの歴史である必要が有る。
変えられるのは、ベスと合流した後だ。
「ベスは何を教えてくれた?」
「不景気が来るって。それだけでも聞けたから助かった。
地震のことも聞いてたけど、何もできなくて」
今回は、ベスが居たから、リーマンショックに備えることはできた。
その前は、たぶんそこで失敗してるのだろう。
だから、それを避けるために俺はオーテルに不景気のことを話すように指示した。
ただ、地震は、起こる日だけを伝えても意味無さそうだ。
「ペットポトルに水溜めて、ライトも買って。それより、当日帰るのが大変なんだよな……」
「そうね、私も帰るのが大変だったけれど、唯は中学生だったから、すぐ帰れなくても問題無くて良かった」
地震か、俺も先に知りたかった。
…………
あのとき俺は、ブレードサーバーの修理で、倒れてくる棚を押さえたら、仕切りが抜けて倒れてきて、しかも、助けを待ってたら尿意が凄くてトイレに行きたくて無理やり脱出したのだ。
壁に付いた傷で、どれだけ揺れが酷かったかと話題になっていたが、たぶん、あれは俺が脱出するときに付けた傷だと思う。
俺は、あのとき、自分は、ただの人間だと思っていた。
だから、あのときは運良く脱出できたと思っていた。
だが、たぶんアレ、人間が挟まったら脱出不能なやつだった気がするのだ。
人間ピンチになると、凄い力を発揮すると思ったけど、フレーム曲がって使えなくなった。
俺はあの時、押したら簡単に曲がったので、フレームって案外柔らかいものだと思ったのだ。
最近気付いた。俺は、10円玉素手で曲げられるのだ。人間の時の俺は、そんなに力は強くなかった。
たぶんあのときから、力が強かったのだと思う。
脱出に手間取ってる間に、ケータイは混雑で使えなくなるし、電車は止まってるしで、凄く困ったことに。
長距離歩くのに、飲み物がどこにも売って無くて困ったのだ。
知ってたら有給とってた。
…………
「地震は、俺も聞いておきたかった」
「ベスが居ないから、ジン君は知らないのよね」
その後、小泉さん(洋子)は会社内で、仕事の内容を変えてもらおうとしている。
それまでやっていた小泉さん(洋子)の仕事は5時上がりのやつで、残業が無い。
「地震が、唯が中学生の時でしょ。
唯が高校生になったから、残業有りの仕事に変えてもらおうと思って。
それまで飲み会とかも断ってたの。
高校生になって、お金もかかるし。
だから、もう、子どもも高校生だから、仕事に支障はないし、
飲み会にも出られるって思って出たの。そうしたら、家に帰れなくなって」
そして、俺に電話が来た。
それが、今回で、うまく行けば、俺とはその時会わず、50の同窓会で会うことになるはずだった。
50の同窓会で小泉さん(洋子)は、俺の部屋に来るのか!!いきなり!!
……が、変だ。部屋に荷物が無い。
なんだ? 俺の部屋に荷物が無い。
その部屋を見て、小泉さん(洋子)が、失踪を止めようと頑張るのか……
荷物全部処分しないといけないのか!!!
ハードル高ぇ。
そして、ヤドカリ。やっぱ、ヤドカリはコイツだったか。
俺はヤドカリの仲間より、カニの仲間の方が好きではあるが、タラバガニは嫌いなわけでは無い。
※22-25.足長おじさんを捕獲せよ(18) スーパーヤドカリ大戦(1)参照
確かに、小泉さん(洋子)は、凄く楽しそうだ。酔っ払ってクダ巻いてるところが、良く似合っている。
今の小泉さん(洋子)は、猫かぶった状態で、偽物なのかもしれないな……と思った。
なるほど。俺は小泉さん(洋子)の本性を見て、満足するなり、幻滅するなり、気持ちの整理がつく。
そうだな。本性隠した相手を妻と思うのは無理がある。
本性を見てやろう……そう思うと、何も見えなくなる。
「あれ? 見えなくなった」
「え? 見えてるよ。ジン君が行っちゃったから?」
ん? 俺は俺の死後の部分は見えないのか。
「何が見えてる?」
「唯が、もう30くらいで、私も老けてて、だから唯が助かったと思ったら、ジン君の仏壇がうちに有って……」
唯ちゃんが30歳。いきなり時代が飛んだ。
仏壇……やっぱり、俺は死んでるのか……失踪でも死亡扱いにはなるけれど、仏壇が有るなら死んでそうだよな……
でも、結婚したのかな?
俺が死んでも、小泉さん(洋子)は、悲しまなかった。
もしかしたら、小泉さん(洋子)を悲しませずに去る方法があるのだろうか?
「まあ、だいたいわかった。細かく見なくても、今の情報から対策できると思うけど。
それでも見る?」
「わかってる。次はうまくやりたいから」 洋子ははっきりと答える。
念のため確認するが無駄だった。
俺も見なくちゃならないのか……
前回の記憶を読んで、今回との差分を調べる。
俺は年表的な記憶は持っている。石を読むと、リアルな映像付きで読める。
嫌なことがあると、その気持ちも含めて読める。
石の記憶の中で、死にたくなると、たぶん死にたい気持ちが蘇る。
何と言うか、極めて大きなストレスを受ける。
次にうまく行くかは、わからないのだが、成功は約束されている気もする。
成功した未来が見えた。今の俺たちにとっては、未来の話だけれど、石は未来から持って来たもので、過去に起きたことが入っている。
だから、読まなくても成功する気もするのだが、読む結果にしかならないので、成功するのかもしれない。