26-13.歴史の再確認(1)
日曜日、今日もまた小泉さん(洋子)の家に行く。
俺は、”今回で時間を戻すのは最後にする”つもりだった。
時間を戻すこと自体で受けるダメージがどのくらい大きいのかは、わからないが、
俺の行動は、負のエネルギーの蓄積によるものだ。
溜め込んだ力が大きいほど、その時発揮される力も大きくなる。
そうでもしないと、時間を戻したりはできないのだろう。
そうでなければ、高校卒業してから、数十年もの間、待つ必要は無いだろうから。
だから、必然的に、充実とは、まったくかけ離れた人生を送ることになる。
正直なところ、温い生き地獄だ。
俺は生きていたいと思わないのに心臓は止まらない。
そう思って、日々を過ごす。
そんな人生を何度も送って来た。正直、俺の精神は既に相当疲弊している。
またやりなおせば、同じように、俺は、俺の心臓が止まる日を待ち続ける人生を送ることになる。
俺は、あのまま”人間として”死にたかった。
だが、俺は、妻との約束を果たさないままで死ぬことができなかった。
”神様”とか言っているが、実際は、”地縛霊”とかそう言うのに近いと思うのだ。
そう言えば、地縛霊の猫が居た気がするがあれはなんだろう?
※思い浮かべたのは、妖怪ウォッチのジバ猫ですが、このとき2013年春で、
妖怪ウォッチ発売より微妙に前なので、リアルには知らないはずです。
石の記憶が読めたのかもしれません。
駅に着くと、唯ちゃんの気配がある。
そして、唯ちゃんも気付いてる。
これが不思議なところだ。
この気配が分かるやつも、一応魔法の一種だ。
あっちの世界では、少々の得手不得手はあっても、誰でも使える、基本的なものだ。
だが、こっちの世界では、俺と唯ちゃんだけが使える。
おそらく、唯ちゃんは俺の娘なのだ。
ただ、困った……残念なことに、俺には全く身に覚えが無い。
唯ちゃんが生まれた前後、小泉さんは人妻だった。
俺も小泉さんも、不貞を働くようなことはしていないと思う。
接触せずとも、子を持つ方法が有るのか?
あるのかもしれないが、それはそれで寂しい気がする。
仕方が無い。俺のベースは、ただの人間だ。
子作りと言うのは、極めて重要なイベントなのだ。
人間には性別があって、男女1組で子孫を残す。
有性生殖、性別の存在と言うのは、凄いことだ。
はじめに生まれた生き物は、性別なんて無く自分のコピーを作るだけだった。
どこかの時点で、有性生殖の能力を獲得した。
動物の品種改良なんかを見ているとわかるが、有性生殖によって、数世代程度でも大きく性質が変化する。
種としての可能性、多様性を確保するのに役立っている。
一方で、個人的な観点だと、相手を選んで子孫を残すことができる。
鳥でも動物でも、相手を選ぶと言う行為に、大きなリソースを注ぎ込んでいる。
人間も非常に大きなリソースを消費することが多い。
そのリソースが大きすぎて、未婚で過ごす比率が非常に高まっているくらい。
本末転倒だ。
それに、種として、どれだけの価値があるかは、別として、個人が感じるイベントとしての大きさは、とても大きい。
少なくとも、俺にとっては、相手は誰でも良くて、誰といつ子作りしたかなんて、些細なことだから覚えてないとか、そんな軽いものでは無い。
人生の一大イベントの1つだ。
そこが、すっ飛ばされて、子どもがいると言うのは、不自然だ。
選んだ相手との間に、子供が居るのは歓迎なのだが、間がすっ飛んでいると、なかなか心の準備ができないと言うか、しっくりこない。
俺は今でも、心は人間のつもりでいる。
俺は人間として、あのまま、普通に死にたかったのに、死神に唆されて、うっかり神様になってしまったダメ人間だ。
神様と言うのは、もっと偉い人がやるものだと思っていた。
まともに人間として死ぬことに失敗すると、神様になってしまうのだ。
俺はそもそも、唯ちゃんが生まれる前後に、小泉さんと接触していない。
どうして生まれた子なのかが、よくわからないので、納得できていない。
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駅への到着時間を伝えたわけでも無いのに、唯ちゃんが改札に向かってくるのがわかる。
気付いているから近付いてくるわけで、気配察知は使えている。能力は遺伝しているようだ。
でも、なんか、見える前に気配で気付いて相手が反応してくれると言う状況は、俺にとっては日常的なものだった気がして、懐かしくも感じる。
こんなふうに、女達が……おんな……たち?
俺は女たちと、いつも一緒に居た気がする。なんだろう?
まあ、思い出せない異世界のことは、ともかくとして、お互い気配が分かるので、あっさり会える。
感知できる範囲が、そんなに広くは無いが、その範囲内なら、スマホなんか目じゃない程便利だ。
試しに、わざと店を迂回して来たのだが、唯ちゃんは、寄って来た。
唯ちゃんも、もうこの能力を自覚しているだろう。むしろ、隠す気も無いようだ。
「唯ちゃん、もう家の場所わかってるから(迎えに来てくれなくても)、いいのに」
「ベスの散歩もあるので。でも、毎日すみません。母が聞かなくて」
「お母さん大丈夫? 力、使っちゃったんだよね?」
「はい。すみません、せっかく昨日来てもらったのに」
つまり、読んでしまったようだ。
ひょっとして、小泉さんは、今の俺より詳しいんじゃないだろうか。
これに関しては、唯ちゃんが悪いわけじゃ無い。
今日、読めるだけ読んでおかないと、また小泉さん(洋子)は、力を使って石を読んでしまう。
そこに、オーテルが割り込む。
『お父さん。私は、今日はシュークリームが良いです』
俺が真面目に悩んでるときに、コイツは食い物のことばかり!!
『人間の食べ物は、体に悪いんだぞ。それに昨日も食べただろ』
そう言いつつ考える。
人間が食べるもので、犬に悪いもの。
犬は元は肉食動物だ。植物性のものは消化できないものがあるのと、何より塩だ。
犬はある程度雑食に近い肉食。人間は完全な雑食。
砂糖や小麦粉、油脂に関しては、問題無い。
人間の食べ物を与えて困るのは、何と言っても塩分だ。
人間は、全身から塩を噴出すると言う珍しい特性を持っている。
ほとんどの動物は、そんな特性無い。
なので、人間に合わせた味付けだと、塩分は摂り過ぎになってしまうかもしれない。
人間の体液は1%の塩水に近い浸透圧を持っている。犬も大差無いだろう。
哺乳類や鳥類は似たような数字だと思う。
なので、肉を食えば、塩も摂ることにはなるのだが、肉食獣は、血を吸うわけでは無い。
塩分は肉には少なく、血の中に多いという特徴がある。
なので、肉食獣は、肉を食べても1%の塩分を摂っているわけでは無い。
塩分の少ない部分を食べている。
それでも、足りてるわけで、人間みたいに塩分大量補給する必要は無い。
人間は、凄い勢いで塩分を排出してしまうので、好みの味付け自体が、かなり濃い。
人間が好む味付けは、だいたい体液の浸透圧に近い。
ラーメンのスープの塩分も、炭酸飲料の砂糖も、浸透圧的にはかなり近い。
だから、人間合わせた塩味は、犬には強すぎる。
味的な、好みには近いかもしれないが、消費量に大差がある。
でも、甘いものなら、消化できないことは無いと思う。
血糖値が上がるから一度に大量に与えると良くないが、塩分と比べれば、大きな問題では無いような気もする。
問題は、ベスは早食いなのだ。血糖値が一気に上がりそうだ。
人間だったら、自然状態でも、果実の食い溜めするだろう。
それと比べると、肉食獣は、血糖値の急上昇には耐性が無いかもしれない。
もっと緩やかに消化されるものが良い。
ベス用のおやつは、別に買っておいた方が良いのかもしれない。
まあ、今となっては、時間を戻す可能性が高いので、ベスの寿命を気にする必要は、無いと言えば無いのだが。
むしろ、好きなものを、与えた方が良いのかもしれない。
ベスに合わせるのは難しそうなので、唯ちゃんに訊いてみる。
「唯ちゃん、何か食べたいものある?」
「いえ、私は何でも……栫井さんの好物って何ですか?」
「え? 俺の好きなもの?」
俺が聞かれた。俺は、そんなに甘いものは食べない。
俺の妻の洋子さんは、謎の具の入った、謎のタイ焼きを買ってくることが多かった。
変な具の入ったやつを俺に食わせるために。高菜とか入ってて、くそ不味い。
変な具が入ってるくらいなら、具無しの方が……
そういや、ノーマルカステラは好きだな。自分のことなのに、久しぶりに思い出した気がする。
「甘いものだと、カステラなんだけど……」
「じゃあ、カステラで」
「俺が好きなやつは、ベタっとしてて重いやつで、しかも、たくさん食べちゃうから、カロリーが」
「ああー」
※バサバサのやつと、ベタっとしたやつで重量当たりのカロリーに大差は無いです。
でも、体積当たりのカロリーはちょっと違います
カステラは、安いやつはバサバサしてるが、髙いやつはべたっとしている。
切った断面を横から見ると、”下の方に蜜が溜まってます”みたいな、重力で糖分が移動しそうなやつが好きなのだ。
だが、大量に食べてしまうので良くない。
結局、ベスを連れたまま、店に入らず買えるので、チェーンの洋菓子屋でシュークリームを買った。
『私も、2つ食べたいです。生クリームと、カスタードクリーム』
『食べ過ぎだ。1個にしろ。あと、歯磨け』
『私は2種類食べたいです。それに、歯を磨くのは苦手です』
※ベス用には、生クリームと、カスタードクリームが半々のやつを買いました
…………
”はどーけん” あの声が、脳内再生された。
「唯ちゃん、格闘ゲーム好きなのか」
唯がまた、カメハメ波を真似たポーズをとったのだ。
だが、その動きは波動拳に似ていた(腕を回しながら撃つと波動拳に見える)。
「え? 格闘ゲーム?」
「波動拳じゃ無いの?」
「違います! カメハメ波!」
そうか。ストリートファイター2は、唯ちゃんが生まれる前だから知らないか……
いや、ドラゴンボールは、ドラクエ1より古いから、もっと古いと言えば古い。
最近もリメイクだか続編だかやってたか?
なんでカメハメ波かと言うと、俺がはじめに神様として現れた時の姿を、小泉さんも、神龍と呼んでいるらしいのだ。
「え? ああ、小泉さんも、神龍って呼んでるのか」
「も?」
「俺も、竜の神様になるって聞いたから、神龍みたいだなって思ってたんだよ」
さすが俺の元妻。
俺は、妻と死別しているのだ……死んだのは俺の方なのだが。
さすがに昨日、あれだけはっきり言われて、俺の気持ちも変わった。
そして、俺の気持ちが変わると、石から読める情報も変わる。
俺は、幸せに暮らしてい頃のことが知りたかったが、残念ながら、俺が健康診断に引っかかって再検査になったあたりからのことばかり思い出す。
この体も、あと6年か7年したら、癌になるのだろうか?
俺が、癌で、もうすぐ死ぬことを悟ったとき、洋子さんに謝ったんだけど、許してもらえなかった。
そのとき、オーテルがやって来た。
俺は、そのときオーテルの名前も知らなかったし、死神だと思っていた。
俺に会いに来たとは言ってた気がするが、俺を父親だと言っていたかは、わからない。
俺は、死神だと思っていたので、願い事の対価は寿命だと思っていた。
すると、寿命と引き換えに、子供を残す方法があると言った。
俺はそう聞いた記憶がある。
『寿命と引き換えに、教えてくれたんじゃなかったか?』
『私は、洋子が子供の頃まで時間を戻せば、子は持てると言ったのです。
私は、お父さんの言う死神とは違うものでした』
不思議なことに、オーテルは、その時のことをあまり、はっきり覚えていないのだと言う。
俺の記憶とも、食い違いがある。
※オーテルが来るのは、洋子が死んで栫井が絶望したときなので、
神龍が出る前には来ていません。
オーテル自身も、栫井が死神と呼んでいる存在では無いと言っています。
なので、その場面を直接知っているわけでは無く、石の記憶等で得た知識です。
俺はそもそも、はっきり覚えているわけでは無い。
石から読めた程度で、当時の記憶を持ち続けていたわけでは無い。
俺は、”俺の寿命と引き換えだったら、かまわない”と思った記憶がある。
まあ、あのときの俺には、交換するような寿命が残ってなかったけど。
あのとき確か、余命1年て言われてから1年以上経っていた。
半年と言われてから半年以上だったかもしれない。
宣告されたよりは、長く生きたのだ。
もっと前は5年後の生存率が何パーセントとかだったのに、転移が見つかって、余命いくつに変わった。
短期間に診断が変わったので、”5年後には死んでるかもしれないな”から、
いきなり”早くやることやっとかないと、入院で自由に動けない”に切り替わった。
余命1年とかになると、俺にとっては、あとどれだけ生きるかよりも、入院までにどのくらい期間があるかの方が重要だった。
たまに一時帰宅があるにしても、基本的には片道切符。入院して、帰るときには俺は死んでいる。
動けるのは入院までの期間。
それにしても、なぜオーテルと話が食い違うのか。
骨が記憶装置として使えるようになったのは、俺の死後で、人間だった頃の記憶は、あまりはっきりと残せないのかもしれない。
『俺は小泉さんが”子を産めるように”って、お願いしたんじゃなかったか?』
『はい。でも、お父さんの願いは、そうではありませんでした』
オーテルは、俺が人間だったときの望みは、”洋子さんが子を持てるようにすること”では無かったと言っている。
俺は、何を望んでいたのだろう?
そもそも、それが重要な問題なのだろうか?
俺が望んだ子供は既に存在している。俺は安心して、オーテルの世界に行ける。
唯ちゃんを見ると、目が合った。
苦笑いする。
唯ちゃんには、この話が聞こえているのではないかと思う。
俺が、オーテルと話している間は、話しかけてこないのだ。