11話 老婆の無念
「やはり、同じ女子としては羨ましいか?」
ラインハルトがゼノビアへ聞いた。
ゼノビアがあまりにもあからさまな質問に不機嫌になりながら答えた。
「そりゃあね。あたしだって女子としても戦士としてもあの方のお子は欲しいよ。」
そう言ってゼノビアは深く息を吐くと続けた。
「でもね、アタシだって可能性が無くはないよ。ベアトリス程の功績がポンポン建てられるわけじゃないけど、その内機会にさえ恵まれれば結果を出してみせる自信はある」
「そうよ、機会よ結果よ。それが全てよ」
後ろから聞こえたドス黒くシワガレた声に思わず二人は振り返った。
声の主はエカテリーナで体を震わせながら言った。
「あの大恩ある御方とは私が女子として一番長くお傍にいるのに、なぜどうしてなにがあああああああ」
全身を真っ白で足元、袖、襟元に黒い文字の様な刺繍の入ったローブを着た老婆エカテリーナが、銀色の髪を振り乱し、両指を深く頬に埋めながら鬼の様な顔になっている。
ラインハルトがおどおどしながら良かれと思って言った。
「落ち着けエカテリーナ、ボア族から見てしまうとお前の容姿は醜いがそれは今回の件とは関係ないし、歳がいっているから元々そういう可能性は低いと言うか」
火に油を注いでしかいないラインハルトの口を、慌ててゼノビアが塞いで余計なことを言うなと目で言った。
しかしエカテリーナは敏感にその言葉に反応した。
「そおうよ、歳も行き、醜くなってしまった。あの御方と出会った時はこうではなかった。不幸にして、この様な体になり醜くなった私を、それでもあの方は受け入れてくれた。だからこそ、お傍にいるだけで満足していたのに、していたのにいいいいいいああああアアああアアあぁぁぁぁ」
叫ぶエカテリーナにゼノビアが恐る恐る言った
「今は‥‥その御方の為に‥‥その‥‥敵兵を討ち取るのが最善ではないかなと‥‥思うのだが‥‥」
ゆっくりとこちらを見るエカテリーナに怯えるゼノビアが、敵兵の方へと続く開かれた本丸の門を指差した。
フラフラと門から出たエカテリーナが、未だ昏倒している者が多い貴族連盟の兵士たちを見ながら言った。
「そうだ、こいつらはみんな御方の敵。滅すべき存在。この世に無くていい生き物の集まり。」
震えながら両手を見たエカテリーナはもう一度敵兵の方を見ると最初は呟くように、後半は吠えるような大声で言った。
「なぜだ、力が溢れ出るようだ。これが御方を思う力かあああああ」
門の内側へと振り返ると大声で、怯える二人の戦士に向かって吠えた。
「これより私がよいと言うまでこの門から出ることを禁ずる」
怯えながらも二人の戦士が反論する。
「あ、アタシ達は大殿から敵を皆殺しにするよう言われてるんだ」
「そ、そうだ。早くしないと敵が目覚めてしまう。お前一人で全てやるのは無理だ」
エカテリーナは一瞬だけ元の穏やかな表情に戻ってニコリと二人に笑いかけると、再び鬼の様な形相になって言った。
「私が全体の指揮を任されておるのだ。異論が許されると思うな。」
体から紫と黒い霧の様なオーラを出しながら門を両手で閉じていくエカテリーナが、扉が閉まる寸前に悪魔のような老婆の笑顔で言った。
「それに、今から私があいつら全てを貰う」
本丸の扉を閉めるとエカテリーナは歩き出した。数歩ゆくと地面と足の距離が開いていき、歩数が二桁に達する頃には空中を立派に歩いていた。
「なんの縛りも無く何の妨げもない。これほど自由に魔法を使えるのはいつ以来か」
呟くように言うとエカテリーナはゆっくりと空中を昇っていき城内が一望できる高さまでやってきた。
眼下にある城の中では二人の戦士がしきりに指示を飛ばして兵を指揮しているのが見える。対象的に貴族連盟はほとんど動いていない。
一呼吸おくとエカテリーナはゆっくりと空中を昇っていき城内が全て見える位置で止まった。
自らの手を見てゆっくりとにぎり、また開いて言った。
「何が起こっているのかまったくわからんが、私がこの力を忌まわしいと思うのは今日で最後であることを願おう」
ゆっくりと手を天へと掲げるとエカテリーナは唱え始めた。
「うう、待てっ、やめろ!!」
破れるような頭の痛みに耐えながら貴族は半身を起こした。
先程あった、城から一斉に出てきたモンスターに襲われて死んだのは夢だったと気づくまで少しかかった。
周りを見回すと他の貴族たちや護衛の兵士たちが転がっている。貴族は真っ先にこの戦いでの自分たちの盟主の元へと、他の貴族たちの頭を蹴飛ばすのも構わず駆け寄った。
貴族は盟主を揺り動かして起こし、激怒された。
「やめろ、やめんか。お前のせいで悪夢を見たではないか」
言うが早いか盟主は、まるでこの世の全ては自分を中心にまわっていると言わんばかりに、貴族を殴りつけた。殴られた貴族は、あわよくばこれで自分の名を売り込めるか、と期待していただけに落胆しながら申し訳ありませんと謝った。
意識がはっきりし始めると盟主は他の貴族たちを叩き起こすと、自軍の指揮系統を回復するように貴族に指示を飛ばした。
やがて、あちらこちらで兵士たちが目覚め始めた。
ちょうどその時、一人の貴族が空高く上がっていく一人の老婆を目にした。
老婆は大きく息を吸うと詠唱をはじめた。
「白き城、 百門潜りて点綴せよ
香羅を捧げて真道を戻らん
楽対を望むは苦番の初まり
空より命じて血に買われ、向かうは氷上の熱き先 憑途の三十と八 九蓋幸」
貴族はそれを見ながら呆気にとられていたが、すぐに大手門の方を振り返った。
大手門の先の板橋は何かに引きちぎられたかのように無残に崩れている。
その橋の先にあるはずのものがなかった。
自分たちが先程ワインを楽しんでいた貴族連盟の本陣が、跡形もなく消えていた。そこには魔術師たちが控えているはずだった。それが居ないということは敵の魔術師の魔法を、妨害も迎撃もできないということである。
盟主や他の貴族たちも、魔術師たちは何をしておると吠えるが、本陣に目をやって最初の貴族と同じように理解した。
しかし、何も起こらない。
本丸を囲んだ兵士の一部が指揮系統を回復したのか、矢を老婆に向かって射掛けている。矢は勢いよく飛ぶが老婆までは届かず、地面へと返っていった。
貴族たちは口々に兵士を呼ぶが本丸を囲った前線と、自分たちのいる場所とでは距離があり指揮ができない。一部の兵士たちはさらに老婆に向かって矢を射ており、一部の兵士は何か起こる前にと、本丸への攻撃を再開している。貴族連盟の軍に混乱が広まっていた。
「擘天にありて中を睨み
箴言をもって新木を敷かめん
地に在りても闕下の威光に触れ慄く 火途の六〇と二 車駕双炎」
今度の詠唱の効果は早かった。最初は小さかった火の球がやがて炎をまして大きくなり、城以上の大きさになるまで膨れ上がっていく。
老婆はけたたましく笑いながら天を仰いでいた手を降ろすと、徐々に巨大な火球が地面へと近づいてきた。大気を燃やしているのか轟々と音を立ててゆっくりと落ちてくる巨大火球に貴族、兵士を問わず、一斉に逃げ出そうと戦線を放棄した。そして、貴族連盟の誰もが自分の足元にあるもののせいで全く動けないと、この時になって初めて気づいた。