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眠れなかった

 ルキアノスの言葉足らずな問いに、限界を迎えた小夜の頭の中で様々な意味が駆け巡った。


(『帰るな』って、なに? 明日のこと? まさか今じゃないよね?)


 小夜が帰らなければ、迷惑を蒙るのはセシリィとルキアノスのはずだ。それだけはしたくない。未練がないと言えば嘘にはなるが、そこは弁えている。

 何より、この世界に留まっても、ルキアノスとの年齢差が縮まることはない。ルキアノスが王族として立派に務めを果たすなら、早晩年の合う婚約者は現れる。若々しい二人が少しずつ愛を育んでいくさまを和やかな気持ちで見届けるなど、今の小夜には無理難題もいいところだ。


(大人大人って言いながら、そこまで大人にはなれない私……)


 自己嫌悪再びである。

 となると残るは今となるが、これはもっとあり得ないので考えないことにした。

 つまり、結論。


「まさか」


 疲れたように笑う。

 これ以上は、留まっても惨めになるだけだ。今でも、明日でも。


(ここで顔を真っ赤にして頷ければ、準ヒロインくらいにはなれたかもだけど)


 土台小夜には無理な話だったのだ。

 そもそも不向きという話もあるが、どんなに好きだと自覚しても、小夜はこの想いを知られる気はないし、報われたいとも思わない。年齢や立場や世界や引け目、理由は様々あるが、多分それらはこじつけだ。


(嫌な女)


 自分の可愛げのなさに、呆れてしまう。みっともない自己弁護を口にしなかったことだけが、せめてもの救いだろうか。


(後悔を残さないように、なんて)


 そもそも贅沢すぎる悩みだったのだ。十一歳も年下の少年に恋をした時点で、何もかも。

 返されるのは、嘆息か、冷笑か。そう、諦念ととに待つ。だがそのどちらもないうちに、掴まれていた手首がゆっくりと解放された。

 そして、ルキアノスが極悪に微笑んだ。




       ◆




『帰るなと言ったら、小夜は留まるか?』


 その問いは、ほとんど反射的であった。

 深く考えたわけではない。深く考えれば決して言えない言葉だからだ。

 だがまるで本心と違うというわけではない。ルキアノスは放ってしまった言葉の答えを、固唾を飲んで待った。

 果たしてもたらされたのは。


「まさか」


 ルキアノスにとって、予想外としか言いようのないものであった。

 だがそれ以上に、そう言った小夜の笑みに目を奪われた。

 諦めているような、そこはかない悲しみのような、それでいて、待っているような。

 本心などは分からないが、それが全てではないことは分かった。そして、その笑みが他者を惹き付けるとても美しいものであることを。


(なんなんだ、この女は……)


 少しも思い通りにいかない。一度も予想通りにならない。

 勿論、今までだとて思い通りにいったためしは少ない。それがルキアノスの劣等感の原因の一つでもあるからだ。それが異性相手であれば尚更である。ファニはエヴィエニス一直線だし、セシリィに至っては面倒臭いことこの上ない。

 だが手強さでいけば、小夜ほどの者もない。

 小夜はいつも想像外のことを放り込んでくる。妙な時に言葉の通り年上のように振る舞ったと思えば、まるで子供にしか見えない時もある。しかも大体不可解で危なっかしい。そのくせ毫も揺るがない。

 そう思っていたのに、今はこんな顔をする。


(……離してたまるか)


 そう、思ったことに驚いた。それから不思議と冷静さが戻ってくる。

 小夜は頑固だ。ふらふらして人に気を使って、弱そうに見えるくせに意見は変えない。だから今ここでどんなに追い詰めても、結果は変わらないだろう。

 小夜が帰ると言ったら帰るのだ。

 そうだ。止められないのなら。


(向こうから、そうなるように仕向けるだけだ)


 ごく自然に導き出された思考に、ルキアノスは口許が緩むのを抑えられなかった。

 それがどんな種類の感情に起因するのか、本人もよく自覚しないまま。




       ◆




 眠れなかった。

 与えられた客室に戻っても、ベッドに潜り込んで部屋の明かりが消えても、ルキアノスのあの意味深な笑みが脳内に張り付いてアドレナリンが止まらなかった。

 紳士というにはあまりに攻撃的で、ときめきよりも寒気を覚える程だった。


(いやそれでもときめいたけど!)


 だが何よりも恐ろしいのは、ルキアノスが素直に引き下がったことだ。


『分かった。……おやすみ』


 どこか満足そうに微笑み、甘くさえある声音でそう告げた。鳥肌が立った。色んな意味で。

 それらがずっと頭の中を巡り、気付けば朝になり、目の下には隈がご登場した。


(最悪……これがみんなに見せる最後の顔になるとは)


 今日は午前中にそれぞれの用事を済ませたら、午後にはクィントゥス侯爵邸に赴いて小夜を元の世界に戻す話を纏める予定だ。メラニアの体調が戻っていればセシリィと、そうでなければルキアノスに補助を頼むか、他の方法を取るか、数日待つか。

 どちらにしろ、この学校と寮での最後の顔が寝不足の隈顔であることは間違いない。


「早く寝ないからよ」


 朝食を共にしながら、セシリィが呆れたようにそう言った。昨夜の好意に感謝を述べることはやめておいた。


「ニコスさん、本当に……本当に申し訳ありません」


 小夜が起きた時には早速出かけようとしていたニコスには、真っ先に声を掛けた。前置きもなく深々と頭を下げると、当たり前だが困惑された。


「くれぐれも健康第一で」


「は、はぁ……?」


 力強く伝えた。傍で聞いていたエレニが苦笑し、アンナが真顔で二度頷いた。

 その後、授業に出るルキアノスを言葉少なに見送った。思案げな顔が妙に頭から離れない。

 セシリィは、予定では王城にも挨拶に上がらなければならないらしいが、それは明日以降でもできると言って、今日は小夜の挨拶回りに付き合ってくれることになった。

 まずはツァニスに治癒の礼を述べるため、改めて聖拝堂に出向いた。


「お二人とも元気になられて良かったです」


 神への祈りとともに、和む笑顔でそう言ってくれた。

 ツァニスの声と自浄作用に癒されつつ、次には王弟イリニスティスの宮へも足を運ぶ。

 突然の訪問の上、散々ご迷惑をお掛けしたことを、二人して謝罪した。ルキアノスから正式に謝罪があったから構わないとは言われたが、そこはそれ。勿論、一番実害を蒙ったであろう老執事セルジオへも同じだけ頭を下げた。


「こちらこそ、内輪揉めに巻き込んでしまってすまなかったね。これに懲りず、また来てくれると嬉しい」


 その言葉には、形式として以上にそれが叶うことを願う気持ちが現れていて、小夜は嬉しくなった。セシリィは帰り道、イリニスティスは王子たちよりも余程発言力があると話してくれた。

 ちなみに離宮ではファニも学校を休んで療養中だと聞いたが、エヴィエニスが頑として取り次がなかったので伝言を頼んだ。

 ちなみのちなみに、伝言を頼んだ相手は、


「お側にいなければならなかったのに……関わらなくて済んだ……!」


 使命感と本音の間で揺れるエフティーアであった。そう言えば今回見かけていないと思ったら、あの日は所用があって不在にしていたそうだ。


「僕が行けば良かった……」


 あと一、二日は寝台の上で療養が必要と言われているらしいレヴァンを見舞いに行くと、そんな風に嘆いていた。どうやら日に日に面倒臭さを増すエヴィエニスの世話は、現在進行形で押し付けあっているらしかった。


「まぁ、何かよく分からないけど、頑張って?」


 そして、何故か別れ際に励まされた。何を指すのか全く分からなかったが、とりあえず礼を言っておいた。

 他にも、寮生会にも顔を出したかったが、彼らはルキアノスと同じく授業中のはずなので、セシリィに伝言という形で頼んだ。上手い具合に伝えてくれるだろう。

 そんな具合に、午前中は着々と進んだ。

 問題は、午後である。


ルキアノス、頑張れ……。

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