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話が戻った

 見上げていたはずの鉄灰色の瞳は、いつの間にかすぐ鼻先に迫っていた。

 きつく絞られた眉根と潤んだ瞳の組み合わせはひどく扇情的で、小夜の思考力をいとも容易く低下させる。頭蓋の奥でどくどくと心音が高鳴り、足に踏ん張りが効かない。何より、捕われたままの右手が熱い。

 眼前の男は子供なのか、大人なのか、それとももっと別の何かなのか。年齢の線引きなど統治機構が利便性のためにカテゴライズしただけの名目にすぎないと分かっているのに、そんなことばかりが頭を巡る。


(いやいやだから名前も究極ただのカテゴライズだから呼ぶのなんて何でもないっていうか何で許可? 何で今更? さっきも入室前に呼んでたじゃんってあれは疑問形だからノーカンなのかな?)


「お、おおおす……」


 お好きにどうぞと言いたかったのに、案に反してまるで呂律が回らなかった。


「押す?」


 ルキアノスが不安そうに眉尻を下げる。その顔に、小夜の思考力は吹き飛んだ。


「いややっぱりダメ! 呼ばれたら困る! 何その顔! 何その破壊力!?」


 その悲鳴を追うように、ぐっとルキアノスの顔が頭上に迫る。いや違う。小夜の体がずずずっとずり下がったのだ。放っておいてくれればいいのに、ほぼ腰が砕けて尻餅をついた小夜を追ってルキアノスも屈みこむ。

 そして。


「…………顔?」


 ぱちくりと目をしばたたいて、そう聞いた。


「声じゃなくて?」


「可愛いか!」


 反射的に残された左手で顔を覆っていた。直視するには近すぎるし眩しすぎる。

 縋るように問う声が、あまりに無垢だから。

 こんな瞬間はやはり、子供に見える。だがそれもまた彼の魅力なのだと、小夜はもう今までで十二分に身に染みていた。


「……小夜」


「……ッ」


 囁くように呼びながら、残っていた左手もそっと奪われる。あまりの圧に、最早声すら出なかった。

 思えば今は深夜で、この距離である。声のボリュームとしてはルキアノスの方が正しい。それでも小夜は、無闇に囁いてはならないと訴えたかった。

 だというのにルキアノスは、同じ声量で重ねて問いかける。


「なぜ名前を呼んではならない?」


「そ! れは、だから、つまり……」


 ポンコツ度が上がるからです、とは言えない。言えばその先を絶対に問い詰められるから。

 だが嘘も駄目だ。なので小夜は最も重要で重症な答えを導き出した。


「ルキアノス様が可愛いので!」


「…………」


 注・主観であった。

 そしてこれもまた成功したとは言い難かった。


「……つまり、結局オレが子供ガキだと言いたいのか」


 話が戻った。だがある種の確信を得た小夜は頑として言い放つ。


「可愛いは今や全世界共通の誉め言葉です」


「それは結局外的要因だから、オレという個人の中身は」


「いやいやそれは拗らせすぎですって!」


 戻ったというか後退した。小夜は堪らず声を上げる。


「外的要因って遺伝子の話まで行くの!? 外見とか容姿がその人の人間性を決定づけるものではないっていう理論は分かるけど、外見もまたその人をその人たらしめる個性だし、努力の結果だし、初対面の印象の九割は外見だし!」


 他者に好印象を与える礼儀正しさも清潔さも、声だけでは推測しきれない。形から入ることを軽視する意見もあるかもしれないが、五月の新入社員などはほぼ外側しか整っていないと言っても過言ではない。そこから少しずつ、中身を伴わせていくのだ。

 そしてそれは、仕事以外でも言えるはずだ。


「大体恋は往々にして外見から入るって言うじゃないですか!」


「……恋?」


 問い返されて、一瞬時間が止まった。


「い! 一例です!」


 息を吹きかえした。

 冷や汗が倍量吹き出して血の気がざーっと引いた。


(バカ! わたしのバカ! 恋ってなんだ! 年甲斐もなく!)


 だが幸いなことに、ルキアノスは別のことに引っかかったらしい。不貞腐れたようにこう言った。


「オレは外見からは入らない」


 その極めて主観的な言い分に、小夜のジェットコースター並だった感情の起伏は、終点直前のように平坦になった。

 あるいはそれは大人げないただの嫉妬だったかもしれないが、とにかく自制はあまりなかった。


「いやいやファニはどう見ても可愛いでしょうに」


「何だと?」


「あれがもし私だったら、絶対好意を抱いたりはしませんからね」


 乙女ゲームでは主人公は社会人の設定だし、ファニのポジションに小夜が入ってもゲーム上の観点から見れば不自然ではあっても不可能ではないはずだ。

 だが泉の中から出てくる自分を考えてみると、ヴィジュアル的に思い浮かぶのはラブコメではなく井戸から這い出る一昔前のホラー映画だった。そんな女にヒロインが務まるはずもない。

 ファニだから、エヴィエニスもルキアノスも惚れたのだ。中身も大事だが、やはり外見もとても重要なのだ。


(……やばい、いじけそう)


 ルキアノスに劣等感を拗らせていると散々言ったものの、小夜もそれなりに拗らせていた。でなければ、重度の声ヲタにはなっていない。


「もし……小夜だったら……」


 頭上で、ルキアノスが最悪な部分を繰り返す。小夜は時間帯も忘れて「わーっ」と張り上げていた。


「その話はもういいです! 忘れてください! ヒロインに置き換えるなどおこがましいどころか恥ずか死ぬ!」


 恥ずかしさのあまり、拘束されていた両手を奪い返してルキアノスの口を塞ぐ。ヒロイン願望で愧死きしなど噴飯物だ。そんなの絶対嫌だ、と顔を上げて、


「……ル、ルキアノス様?」


「……ッ」


 影のなかでも分かるほど、ルキアノスの顔が赤かった。その視覚効果のせいか、唇に押し当てた掌までみるみる熱くなっている気がする。


(なんか、すごい貴重なものを見てしまった気がする……)


 赤面している理由はさっぱりだったが、小夜は目をキラキラさせてその稀少レアな表情を食い入るように見た。


(やばい、可愛いが爆発しそう)


 この時、随分以前から小夜の中で絶滅が危惧されていた客観的意見がついに枯れ、次に語彙が死んだ。代わりに心臓が壊れたようにときめき、口許が緩み、ついでになぜか涙腺も緩んだ。


(何だこれ)


 三十路にもなると、好きと認識しただけで泣くのか。涙脆くなるにはまだ少し早いんじゃないか。

 しかし泣いても更に困らせるだけなので、どうにか堪えた。そして必死に頭を働かせる。そして最終的に、ルキアノスが赤面しているのは自分の手のせいだという結論に至った。


「あっ、ご、ごめんなさい!」


 慌てて手を引っ込める。と同時に横に尻をずって、半ば呆然としているルキアノス包囲網からそーっと逃げる。


(言いたいことは言ったし、夜も遅いし、もう帰ろう)


 これ以上は危険だ。墓穴を掘る気しかしない。


「あの、では、これにて……」


 小声で、一応の断りを入れて立ち上がる。その手を、ガッと掴まれた。


「ッ」


 ビクッと振り返る。そこに、赤面していた可愛らしい少年はもういなかった。蝋燭の火が作る影のせいか、怖いほど精悍に見える。


「あの……ルキアノス様?」


「帰るなと言ったら、小夜は留まるか?」


「!」


 衝撃的な一言が来た。



頑固者どもめ……。

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