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世界の全て

 セシリィからの問いかけに、小夜は軽く思考が停止した。そして。


「……え!?」


 ひび割れたような声でそれだけを言うのが精一杯であった。かぁっと熱が首もとからせり上がり、瞬時に顔が真っ赤になる。


「なんっ、何で突然ルキアノス様なの?」


 どうにか語尾だけは落ち着けさせたが、セシリィの目はどうにもお見通しと言っているようにしか見えない。


(話したけど……怒らせたとは話したけど!)


 ルキアノスと良く分からない一悶着があったのはクレオンが来る前で、セシリィはまだ起きる前だったはずだ。気付かれる暇などなかったと思うのだが。


「気付かれていないとでも思ったの? 甘いわねぇ」


「思ったっていうか、起きてない……」


「全然目を合わせようとしないし、声を聞いても反応はぎこちないし、妙に距離も取るし」


「…………」


 確かにイリニスティスの離宮に向かう前段階は、大分ぎこちなかった自覚はある。だがそれは前からだと言おうとして、その時にはまだセシリィは見付かっていなかったと思い出す。危うく墓穴を掘る所であった。

 だがセシリィ相手に誤魔化せる小夜でもない。早々に観念すると、改めて自分の世界のゲームと声について話したことと、それに発する諸問題をいまだに引きずっていることを白状した。

 その結果、返された言葉が。


「代替品、ね」


 改めて、セシリィが呟く。そして嘆息が続いた。


「ものの見事に禁句を踏み抜いたわね」


「やっぱりそう思う……?」


「長子相続の社会では致し方のないことだけれど、男児というのはいつだって家督を相続することに最も重きを置いているのよ。次男は長男に何かあった時のための予備。そうでなければ、潜在的な敵。意識的にでも無意識的にでもそう思っている者は大勢いるはずよ」


「うーん……」


 勿論、セシリィの説明にいささかの誇張があることは小夜にも分かっている。実際には兄弟で仲良く一族を盛り立てていく者たちもいるだろうし、下剋上など他人事という家もあるだろう。

 だがそれでも、家の名を継ぐことの重要性が曖昧になってきている現代日本で、しかも女である小夜には、その重みが上手く実感できない。


「特にルキアノス様は……エヴィエニス様が優秀で努力家だったから、余計に比べられたのよ。斯く言うわたくしも、そんな風に見ていた時期があったわ」


「劣等感が強いのは、やっぱりそのせい?」


「そうねぇ。でも中々に拗らせてるのは、兄弟のことを嫌いになれないからじゃないかしら」


「拗らせてるんだ……」


 確かに、劣等感が強ければその分の反発がありそうだが、ルキアノスにそんな傾向は見られない。時折屈託なく笑うから、無理矢理我慢しているというわけでもないのかと、思っていたのだが。


「嫌いになれないなんて、ルキアノス様らしいね」


「そう?」


「多面的で客観的な物の見方を知ってるってことでしょ? だから、非のない相手を嫌いになれない。それって、自分の中の公明さに従っているってことでしょ? 私はそういうの……たまに出来ない」


 自分に不利益をもたらす奴は嫌い。相性が悪い相手も嫌い。でもそれは自分を中心にした至って一面的で利己的な考え方だ。その視野の狭さに時々どうしようもなく嫌気がさして、自分の小ささに辟易する時がある。


「女々しいだけだと思うけれど」


「それを言ったらおしまい……」


 頬杖をついて、セシリィがばっさりと切り捨てる。相変わらず、エヴィエニス以外は容赦がない。

 だがその端麗な横顔が、一拍ののちにふっと翳る。


「わたくしはいつだって自分の公明さに従っていたわ。それが少し……客観的でなかっただけで」


 自嘲気味な笑みが紅唇に浮かぶ。それがファニとのことを言っているのだとは、すぐに分かった。セシリィは追い詰められても、トリコの中に入っていた時でさえ、自分の中の正しさには迷っていなかった。それでも、後悔はあった。


(美人のくせに可愛いなんて、贅沢なやっちゃ)


 外見が鳥だろうと美人だろうと出てくる感想は同じようで、小夜は自然とその濃い栗色の髪を撫でていた。トリコの翼にしたように、よしよしと。


「……小夜。わたくしはもう鳥ではなくてよ?」


 拗ねたような目で見られた。頬が赤い。


「髪触られるの、嫌いだった?」


 答えは分かっていて聞いた。セシリィは相手が誰であろうと嫌なことを甘受できる性格ではないのだ。振り払われていない時点で、答えは出たようなものだ。


「……小夜だけよ」


「侍女にも触らせてるくせに」


 にひひ、と笑いながら嫉妬深いことを言ってみた。飛び蹴りの代わりに頭をぱこーんと叩かれた。




       ◆




「今夜はわたくし一人で寝るから、小夜も客室に戻るのよ」


 夜も更けた頃、セシリィはそう言って小夜を部屋からぽぽーいと放逐した。

 魔法で勝手に灯りが点る廊下で一人、ぽつねんと夜目にも見事な扉の、花の産毛を表現しようとした装飾を五分ほど眺める。


(無心……とは程遠いわ)


 セシリィが勇気をくれたのだとは、分かっている。

 扉越しにも、エレニとアンナが主人を出迎える声が聞こえたし、月が白く輝き始めたような刻限にまた外出する用事などそうないだろう。

 彼女は不器用で強情で意地っ張りではあるが、鈍感ではない。そして優しいのだ。


(仕方ない。行くか)


 廊下の灯りが消えてしまう前に、どうにか動き出す。これがRPGで見るような長い廊下だったら、一歩踏み出すごとに灯りが点々と灯って、幻想的で臨場感があっただろうになどと考える。

 そして何より、心の準備の時間も。

 だがここは、表向きは貴賤の別なく学生たちが暮らす寮に過ぎない。部屋は沢山あるとはいっても、隣の隣程度だ。つまりすぐ着く。

 まず一枚目の扉は、護衛などが控える小私室。常には近侍のヨルゴスが控え、たまに仕事に疲れたニコスが長椅子に倒れ込んでいる。その先がルキアノスの書斎だから、まずこの扉は大丈夫。

 と思っていたら突然開いた。


「っ!?」


「…………」


 ヨルゴスが、ぎょっと固まった小夜をいつもの真顔で見下ろしていた。


(沈黙が恥ずかしい……!)


 だがいつまでも固まっているわけにもいかない。小夜は覚悟を決めて口を開いた。


「あの、ヨルゴスさん! 少しだけ交替してくれませんか?」


「……?」


「私、ルキアノス様にお話ししたいことがあるんです。だからその間、ヨルゴスさんはセシリィの方をお願いできませんか?」


「…………」


 それは、深い意味のあるお願いではなかった。学校内は魔法使用への制限がある上、第二王子の特別学寮だ。セシリィに今さら護衛など妙な話だと分かっている。

 それでも、ヨルゴスは十分に考えた上で場所を譲ってくれた。無言で部屋の中と外を入れ替わる。


「ありがとうございます」


 深く一礼すると、ヨルゴスもまた角張った礼を返してくれた。それから静かに扉を閉める。

 部屋には、他に誰もいなかった。ニコスの業務状態は不明だが、エレニとアンナは別室か、既に自室に下がったのだろう。

 つまり、この先にいるのは恐らくルキアノスのみ。


(決戦の時が早い)


 小夜は自分に活を入れた。

 趣味に没頭しては夜更かしを繰り返してきた三十路の独身女にとって、夜は得意分野だ。恐らく、照明の文化が現代日本よりも発達していないこの世界の住人たちよりは。


(今こそ夜更かしで磨きをかけたドーパミンの力を借りて、立ち上がるのだ!)


 背後に一万ぐらいのNPCの軍勢を抱えている気分であった。

 だが十回以上深呼吸を繰り返してから叩扉して、


「ヨルゴスか?」


 ルキアノスがそう声を返した瞬間、小夜を奮い起てていた一万の軍勢の鯨波げいはは霧消した。

 逃げたい、と真っ先に思う。

 だが同時に、今を逃したらもう二度と機会はやってこないとも分かっていた。

 意を決して息を吸い、取手に手をかける。その時、


「……小夜か?」


 窺うようながらも小さな確信を混ぜて、その声が囁いた。

 その吐息のように短い一言で、小夜は嬉しいような、泣きたくなるような気持ちになった。

 そっと扉を押し開けて、体を滑り込ませる。それから、書斎の椅子に座ってずっと羽ペンを動かし続けている少年に向かって呼び掛けた。


「それも、魔法ですか?」


「――勘だ」


 言ってから、カリカリと羊皮紙の毛羽を削っていた音が止んだ。


「……いや、嘘をついた」


 少し照れたような、まごたいた声音。それからやっと、少年は顔をあげた。


「期待が、あった」


 机上の燭台で揺れる炎に、白い頬と、鉄灰色の瞳が浮かび上がる。掠れるように消える語尾と自分の心音だけが、世界の全てのように思えた。


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