喋らないキャラはキャラじゃない
目と耳のオアシスであるルキアノス第二王子が壁際に自主撤退したことで、小夜のモチベーションは1にまで激減していた。0にならなかったのはひとえに、ルキアノスがまだ同室にいることと、目の前の見目麗しい方々もまた至上の美声を持っているという事実だった。
が、問題は。
「だ、大丈夫ですか? セシリィ様」
床に這いつくばって自身の痛恨の失態を悔やむ小夜に、優しく言葉をかける者があった。はて、と小夜が普通の人並みの反応を返す。
なぜなら、その声は女性のものだったからだ。
(ていうと、なんか男が好きすぎてアホになる発情女みたいだな)
自分で自分に突っ込みつつ、顔を上げる。案の定、そこにあったのは彼らとともに部屋にやってきた唯一の女性だった。但し、知らない顔である。
(ゲーム関係の人……じゃないのかな。でも、使用人さんとかそんな感じでもないんだけど)
「ファニ。あまり近寄ると危険だ」
「私は危険な特定動物か」
エヴィエニスの制止の声に、思わず一言余計が発動してしまった。
「え?」
「あ」
ぱちくり、と戸惑う少女と目が合う。
(宇宙がある)
と思った。それくらい、少女の瞳は美しい紺色だった。
不思議なのはその中に、まるで一級品のラピスラズリのように、金の粒が散っているように見えることだった。それが余計に星空を思わせて、見る者の視線を奪う。
(こんなに印象的な子、ゲームに出てたら忘れないけど)
特別美人というよりも、愛嬌のある可愛らしさだった。年の頃はセシリィよりも一つ二つ下だろうか。セミロングの黒髪は若々しく輝き、白い肌に浮かぶ薄桃色の頬にはいかにも溌溂が詰まっている感じがする。
(ま、眩しい。三十路の腐女子は、リアル中学生とかとお近づきになんかならないから)
またもや老いを感じてしまった。辛い。
だがそんな安っぽい悲哀は、背後からぼそりと聞こえた掠れ声にさっさと引っ込んだ。
「どんなに嫌いでも取って食べたりはしないわよ」
椅子の背に留まったまま、小夜を助け起こそうとする少女を睨んだままのトリコだった。それだけで、少女の立ち位置を理解した。
(なるほど、この子がヒロインってことかぁ)
ゲームの中で、最も登場するのに最も存在の薄いキャラ。
意図的な没個性は誰がプレイしても共感が得られるようにかもしれないが、そもそも小夜にとっては、喋らないキャラはキャラではなかった。
それはともかくとして。
「突然変な動きしたからびっくりしたよね。心配してくれてありがとう」
「え? あ、いえ」
支えようとしていた少女の手に手を重ねて、やんわりと断って椅子に戻る。ゲームの通りの展開であれば、王太子一同はセシリィが彼女に近付くだけでも嫌がるだろう。
ファニと呼ばれた少女は、驚いたように手を引っ込めると、困惑したように首を横に振った。
(しまった。セシリィだとこんな風にはしないのか)
素の自分でやってしまった。他人として振る舞うというのは難しい。
「変な動きって自覚あったんだ」
レヴァンが、茶目っ気のある笑い声で茶化す。
発作的な動きをからかわれる恥ずかしさはけれど、耳が勝手に聴き比べをしてしまう今の小夜の前ではそれさえもまたご褒美だった。
(ルキア様と響きが似ているけど、レヴァンの方が少し艶っぽいんだよなぁ)
うきうき。もっと喋ってくれ、と心の中で全員にエールを送る。
その祈りが届いたわけでもないが、ようやっと四人は目の前のソファに腰を落ち着け、対話が始まる様子を見せた。
(てか、ここまで貴人を立たせ通しってのはさすがに失礼だったか)
気遣いが苦手な新人営業が、最初の来客対応でやらかしたことを思い出す。「これからですよね」と笑って受け流してくれたメーカーさんの大らかさには本当に救われた。
(あ、でも今は私も貴人か)
じゃあいいか、というわけでもないが、小夜は頭を切り替えた。
「ふん」
と背後から実に忌々しそうな声が聞こえる。
その理由は、目の前の二人掛けに仲良く並んだ男女だろう。エヴィエニスはファニを守るように腕を隣に伸ばし、ファニはそれが恥ずかしいように僅かに顔を俯けている。
二人とも造作が整っている分、それはとても絵になった。その両脇を固めるようにエフティーアが立ち、レヴァンは空いていた一人掛けの椅子に勝手に腰かけている。
小夜の心の救世主ルキアノスはその向こうの壁際に立ったままだが、実質五対二という絵面は地味にえぐい。
(そりゃトリコも嫌がるわ)
と三十路女も思いながら、話し合いは始まった。
「侍女としての立場を受け入れると聞いたが」
切り出したのは、主人公声のエヴィエニスだった。声のせいだけでもなく、その雰囲気には人の上に立つことに慣れた風格がある。
「その通りです、わ」
小夜は、トリコの口調を(これでも)真似して笑みを返した。
「それは俺の下について、常に俺の意見に従うという意思表示ととって構わないのか?」
それは、想像したような嫌悪や威圧までは感じられない、紳士な問いかけだった。セシリィが有力貴族であるというだけでなく、十六歳の元婚約者を少しだけだが気遣おうという意思が感じられる。
と、小夜は思ったのだが。
「そんなわけないでしょ」
背後のトリコが、にべもなく否定した。
今までの一連のやり取りで、トリコの人語は小夜にしか聞こえていないようだとは分かるが、取りつく島もない。
(そりゃ決別するわ)
謹慎前のやり取りが目に浮かぶようだ。自陣営ながら擁護の言葉もない。
ひょいっと両手で持ち上げると、お決まりの膝の上に乗せる。クェ、と抗議されたが、背中を撫でて黙ってもらう。
そしてついに本題を切り出した。
「そのことなのですが、叶うなら一つ、希望を申し上げてもよろしいでしょうか」
お客様のクレーム対応(原因は勿論一人しかいない)に当たるように丁寧に、小夜は申し訳なさそうな顔を作った。
心の中では「ついに来たぁぁぁ!」と叫びながら、壁際に下がってしまったルキアノスをチラチラと見てしまわないように自分を律する。
表面上はあくまでも、論理的に冷静に、消去法で次善策を取ったと思われなくてはならない。
(ここぞとばかりに社会人スキルを発動するのだ!)
ルキアノスが一言でも喋ってしまえば、ほぼ任務遂行不可能な案件であったが、幸いにして(本能では不幸にして)今は沈黙している。
今のうちに畳み掛ける必要があった。
「……駆引きもとんち問答もするつもりはないぞ」
警戒したエヴィエニスが声を低くする。凄む声もいい。その横で、ファニが怯えたような困惑したような眼差しを向けている。
傍らのエフティーアも厳しい顔をしているが、レヴァンだけは開場を前にする子供のように楽しそうだ。
「勿論です」
と、小夜は内心チワワ並みに震えながら、頷いた。
「これは私見なのですが、もし誰かに付き従うとなった場合、感情論で言えば、贖罪の意味も兼ねてファニ様ではないかと思うのです」
ちらりと、件の少女を見やる。びくり、と肩が上がったが、それがセシリィの元々の性格のせいなのか、やらかした何がしかのせいなのかは判別できなかった。
牽制するように、エヴィエニスが視線を割り込ませる。
「ファニに近付けさせるわけがないだろう」
警戒心が数値で見えそうなお顔だった。
自分の婚約者が突然他の女にこうなれば、セシリィの心中も押して知るべしである。
「勿論、それは重々承知しています。そうなると次は王太子殿下でしょうが、婚約破棄した相手を側仕えにするのは、さすがに王族と言えど外聞がお悪いですよね?」
「…………」
「へぇ。今までとはまた違う種類の嫌味だ。なんだかその顔、そそられるなぁ」
ムスッと黙ったエヴィエニスに代わり、レヴァンが何故か嬉しそうに茶々をいれてきた。語尾が色っぽくて良い。
が、話が逸れるので無視した。
「となると、残るのは第二王子殿下か第三王子殿下ですが、確か第三王子殿下はまだお小さくて、私をつけるには不安があるでしょう。かといって、身内からあまりに離しても、横の繋がりが怖い」
こういった話は、先日侯爵家で二人が帰ったあとでトリコと情報を擦り合わせて共通認識としておいた。大雑把なゲームの記憶と、大体合っているだろうと確認も取れている。
第三王子は確か御年十一歳。下手な人間を側に置いて、危険思考を植え付けられたくはないだろう。
そしてセシリィの父である侯爵には動かせる貴族が多く、その子息がこの学校にも少なからず在籍しているということも確認済みだ。派閥争いや権力闘争などいまいち実感が湧かないが、権力者といえば暗殺と間諜は鉄板だろう。
「そこまで分かっていて、ここに来たのか」
「分かっていたというと語弊があります。ただ私は、これから課される処遇を自分なりにきちんと理解しているということを、先に知っておいて頂きたかったのです。その上で私の考えが的外れでないと思っていただけるのなら、私が少しでも改心していると捉えていただき、是非、ル、ルル」
「え、壊れたの?」
「ルキアノス様付きの侍女として頂きたいと、そう申し上げたかったのです」
椅子に座ったまま、上半身だけで身を折る。胸に圧迫される形になったトリコがグェーグェーと抗議したが、それどころではなかった。
(あ、あっぶなー! 化けの皮が剥がれるところだった!)
心臓がバクバク言っている。ルキアノスが関わるだけでポンコツぶりに拍車がかかるらしいと、自分でもしょうもない新発見をしてしまった。
しかし今の問題はエヴィエニスの方だ。
言葉の選び方を間違えれば、危うく「お前の魂胆などお見通しだぁーハッハ!」となるところだったが、どうにか最後までへりくだったつもりだ。演りきった自分を誉めてやりたい。
「よくもまぁあそこまで口が回ったわね」
お腹の下で、トリコがふて腐れたように文句を言う。
だがその声からは、最初にエヴィエニスを見たときのような強い動揺は感じなかった。
大いに呆れられてはいたが。