僕がやった
「僕がやったんだ。僕ひとりで」
声変わり前のような澄んだアルトの声で、トゥレラはもう一度そう言った。
「何の罪になるの? できれば、家とかは無関係がいいんだけど……」
机の上を簡単に片付けて、トゥレラがセシリィの前にやってくる。アグノスとクリスティネの間に入ったトゥレラは、十六歳ながらまだ成長期が来ていないのか、セシリィよりも背が低い。いつもの眠たげな瞳で見上げる格好を取った。
(か、可愛い! このザ・少年という感じの高めの可愛らしい声! もう二、三日で野太い声に声変わりしてしまうかもしれないこの希少な感じがまた堪らない!)
小夜は手近な椅子にしなだれかかっていた。どんどんと座面を拳で叩く。
「……小夜、うるさい」
「す、すいません……っ」
入り口付近で壁に寄りかかっていたルキアノスに静かに怒られた。赤面で恥じ入る。これでも、小夜としては必死で我慢した方なのだ。何せ最初に訪れた時、トゥレラは眠っていてその声を聞くことが出来なかった。今が初対面ならぬ初聞きなのである。
(ほとんど少年役でしかお耳にかかれない声優さんのまさにドストライクな少年なのに!)
興奮するなという方が酷である。
しかし場合が場合である。怒られてばかりの最年長者であるが、ある程度のTPOは弁えているつもりである。
頑張ってしゃっきりした。
「どんな罪かを答えるには、まず動機を聞かせてもらう必要があると思うのだけど」
「トゥレラは私利私欲のためにそんなことをしたりはしない!」
穏やかに問い返したセシリィに、衝撃から回復したらしいアグノスが勇んで口を挟む。トゥレラを半ば背に隠したのが印象的であった。
「アグノス……。それを今から聞くのよ」
「あ、あぁ、すまない」
セシリィが優しく諭すと、それで納得できたのかアグノスが一歩下がる。代わりに、クリスティネがトゥレラの肩にそっと触れた。
「一人目のマティルダ・カルスは、道ならぬ恋に悩んでいたの」
「クリス」
「いいの。相談を受けたのは私が先だし、あなた、説明は苦手でしょ?」
先に喋りだしたクリスティネへのトゥレラの制止がどんな意味を持つのか、恐らくその場の全員が理解していただろう。だがクリスティネは構わず続けた。
「彼女が私の所に相談に来た時は、既に駆け落ち寸前だったわ。相手は香料商である父親の工房で働く職人で、親方の紹介状を貰って、二人で新しい町に行こうと考えるまでに追い詰められてたの」
マティルダはキピオス伯爵家の長男と婚約していたが、日に日に仲が悪くなっていった。というよりも、一方的に見下されていたと言った方が正しい。職人とは恋仲というよりも幼馴染みといった方が正しいが、婚約者とのことを相談するにつれ、二人の仲は深まっていったという。それでも、二人は互いに互いの立場を理解していた。
婚約者に暴力を振るわれるようになるまでは。
「この話をここでしていた時、耳の良いトゥレラだけには聞こえていたの。向かう先の候補としてピアレスの名が挙がって、そこならコニアテス家の支店があって、馬車も定期的に出ているって」
「そこに、俺も加わって話を纏めた。香料商は稼ぎがいいのでね。母親と内密に相談して旅程を決め、新しい町での身の振り方を決め、報酬を決めた」
「フラル……」
クリスティネの話の続きを引き取って、フラルギロスが自席からそう纏めた。
「彼女の父親には黙っている必要があったから、学校も退学には出来なかった。最初は病気がちになって、そのうちに長期休暇という形にしようと思っていたが、調べてみると先に行方不明になったらしき人物がいた」
「フィオンね」
ラウラが男装していたフィオンは、転校してきたばかりという設定で校内を調べていた。図書室や聖拝堂などで目撃情報もあったが、在籍に関しては調べられなかったはずだ。勿論友人もいない。本気で調べる者はいなかった。
セシリィの答えに、フラルギロスも「そうだ」と続ける。
「だから、彼女も行方不明ということにした。学校は自治組織で、街の警吏も城の衛兵も嫌がって押し付け合うから、都合も良かった」
マティルダは新しい町に行って、恋人と二人、苦労しながらも幸せにやっていると連絡があった。母親も、時間をかけて父親を説得すると言っていた。伯爵家も、すぐに新しい金持ちの娘を見付ける。多少の問題はあっても、解決できないものではなかった。
「こんなことは勿論一度きりにするつもりだったわ。でも二ヶ月近く経った頃、マティルダの友人であるレナータもまた相談に訪れたの」
レナータもまたガタキ伯爵家と婚約していたが、それは伯爵家の借金と引き替えのようなものだった。伯爵家では金のために貴族の中に紛れ込んだ卑しい雑種と罵られ、とても婚約者に対する扱いではなかったそうだ。だが父親は既に伯爵家の借金のほとんどを支払い済みで、婚約解消はどんなことがあっても叶いそうになかった。
「レナータには、叶えたい夢があったの。彩色の写本画家よ。彼女の絵は美しい。だから手伝うことにしたの」
三人目の行方不明事件だ。学校には不穏な空気が流れたが、それでも上手くいった。母親には事情をきちんと説明したし、店の馬車が戻る時に手紙を持たせることも伝えてあった。
「だがその一週間後に、セシリィが行方不明になった」
「驚いたね、あの時は心底。連続失踪事件など、本当は存在しないはずなのに」
ルキアノスの言葉に、クリスティネは痛ましげに小麦色の美貌を歪め、フラルギロスは淡白な表情で肩を竦めた。
母親へはその時点で一度連絡を取っているが、まだ娘からの手紙はなく、気が気でなかったという。そうこうするうちにセシリィ捜索のために城の衛兵が本腰を入れ始め、侯爵家も動き出した。容易にはコンスタン家に接触することも出来なくなり、手紙は届いても渡しに行けなくなった。
そこに、ラリアーが現れたのだ。母親の不安ははち切れる寸前だったろう。一刻も早く、娘からの手紙を渡す必要がある。
「ともかく、これが今回の事件の全貌でいいだろう。トゥレラに動機と言えるものはない」
「……そう。トゥレラも、それで合っているらしか?」
クリスティネとフラルギロスの説明を十分に噛み砕いてから、セシリィが目の前で所在なく佇立したままのトゥレラに呼びかける。
トゥレラは眠たげな灰色の瞳を幾度か瞬いてから、ゆっくりとセシリィを見上げた。
そしてこう言った。
「違う。まるで合ってない」
淡々と首を横に振るトゥレラに、二人が慌てて声を上げた。
「トゥレラ!」
「何てこと言うの。合ってるでしょ?」
「違うよ。僕が相談に割り込んだんだ。……お金が、欲しくて」
否定するフラルギロスとクリスティネにもう一度首を振って、トゥレラはそう言った。あぁと二人は吐息を漏らし、セシリィは目を見開いた。
「お金? でも、コニアテスの家は王都でも有数の商家のはずよ」
「小遣いが欲しかったのか? 分かる、分かるぞ!」
「お前と一緒にするな」
横から口を挟んだクレオンは、半眼のルキアノスに軽く一蹴された。
(クレオンにお金を持たせると何だか怖そう)
そのやり取りを見ていた小夜は、相変わらずどうでもいいことを考えた。資金力のある自由人は手に負えない。多分一番被害を被っているのは父のクィントゥス侯爵だろうが。だが声に出すとまたセシリィに怒られるので、心の中だけに留めておく。
「薬代よ。お母様の」
そうして、観念したようにそう付け加えたのは、クリスティネであった。だがセシリィは困惑したように首を傾げる。
「母親の? だったら余計」
「トゥレラは連れ子なの。お母様は後妻で、上二人の兄からは快く思われていないらしいの。財産目当てだと」
元来気の強い女性ではなく、今の夫に見初められて結婚したものの夫は忙しく留守がちで、女性は徐々に塞ぎがちになっていった。病気のことも、ただの気の病と言われ、医者を呼ぶことは止められていた。医者が何度も屋敷に出入りするのは外聞が悪いからだという。
医者を呼べないならせめて薬だけでもと頼んだが、それもまた断られたという。トゥレラ一人で医者を呼ぶにも母を連れていくにも難しいし、人付き合いがそもそも苦手なトゥレラは、兄たちも苦手だし、父とも二人きりで話したことすらない。
「お金があれば、ともかく医者を呼ぶことも出来るし、症状から薬だけでも買うことが出来る。病気を治すことが出来なくても、少しでも調子が良くなればと思って、色々と腐心していたのよ」
「そう、だったのか……」
クリスティネの言葉に、アグノスが大きく気落ちした声を絞り出す。どうやら、アグノスは母親の詳しい事情は知らなかったらしい。ラリアーも、ショックを受けたように眉根を下げている。
「だから、フラルは要領の悪い僕のために知恵を貸してくれただけだし、クリスは話を仲介したに過ぎない。二人の話は合ってない」
母親の話題が出たときには僅かに表情を動かしたトゥレラであったが、今は元の通りの眠たげな顔に戻っていた。もしかしたらその表情自体が、一種の自己防衛なのかもしれない。
それはさておくとして。
「そう。では、全ての責任はあなたにあるようね、トゥレラ」
セシリィは全ての話を恭しく受け止めると、しかつめらしくそう頷いた。




