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ハーレム並みの価値

 寝続けるニコラウのことは丁重に寝室で休ませるようにと侍女に伝言して外に出ると、辺りはすっかり茜色に染まっていた。

 寮生会室のあるフラテル寮への道中、誰が話の主導を取るかで揉めたが、セシリィの方が顔馴染みだからという理由でルキアノスが引き下がった。

 そして。


「失礼するわ」


 セシリィは、寮生会室のアーチ型のドアをノックもなく押し開いた。

 それは普段と変わらない行動ではあったが、室内にいた全員の反応はそれぞれに驚いていた。


「セシリィ? 無事だったのか!」


 真っ先に立ち上がったのは、寮生会の会長であるアグノス・アンドレウである。妹のラリアーと同じ茜色の瞳をまん丸にしてセシリィを凝視する。

 セシリィが見付かったことはまだ報せていないとは、ラリアーから事前に聞いている。動揺を誘うのに今のセシリィほど打ってつけの者はない。


「心配をおかけしたわね、アグノス」


「心配だなんて! 君が無事で何よりだよ!」


 微笑むセシリィの前まで歩み寄り、その手をとって我が事のように喜ぶ。


「セシリィ……! あなた、体は大丈夫なの?」


 アグノスに続いたのは、女子寮の寮長であるクリスティネ・カラギアーニだ。均整の取れた美しい小麦色の頬に、喜びと不安を綯い交ぜにした色を滲ませている。


「えぇ、この通りよ。でも閉じ込められている間、何度も殴られて……あの時は本当に怖かったわ」


「まぁ、何てこと……! 女性に手を上げるなんて、最低の卑劣漢ね!」


「そうなの。他の女の子にも容赦なかったみたいで……ずっと悲鳴が聞こえていたわ」


 形の良い眉を吊り上げて熱心に共感してくれるクリスティネに、セシリィが辛い時間を思い出すような声で嘘を混ぜる。そこで、クリスティネの勢いが止まった。


「……え?」


 切れ長の碧眼を見開いて、一瞬だけ視線を泳がせる。その視線の先を、セシリィだけが捉えていた。席で静かに仕事を続けている会計のフラルギロス・ヴェニゼロスだ。

 だが武道も嗜むクリスティネはすぐに動揺を隠した。けれど続く言葉はすぐには出てこなかった。


「それって……」


「可哀想に。辛かったろうね。他の子達も無事かい?」


 親身になって頷いたのはアグノスだ。そのタイミングはクリスティネの不自然な間を埋めようとしたようにも見えるし、単純に痛ましい気持ちが声に出たようにも思える。

 ラリアー曰く、後者らしい。


「いいえ、それが……」


 と、セシリィは瞳を潤ませて首を横に振る。


「恥ずかしながら、わたくしだけ逃げ出してしまって……。きっと他の子達は今頃もっと酷い目に遭っているはずだわ」


「そんな!」


 と声を上げたのはアグノスで。


「そんなはずは!」


 と声を被せて悲鳴を上げたのはクリスティネであった。

 それには構わず、セシリィは立て続けに情報を与える。


「わたくしが助け出された場所に捜索隊が入っていると聞いたから、一刻も早く皆さんが救出されることを祈るばかりだわ」


「本当に、その通りだ……」


 アグノスが沈痛な面持ちで頷く。そこに、やっとフラルギロスが口を挟んだ。


「それ……うちの生徒なんでしょうか」


「え? そんなの……あ、もしかして学校以外でも被害があったのか!?」


 当然だろうと言いかけたアグノスが、声を上げて憶測を述べる。確かに、行方不明者について騒いでいるのは学校の中だけと思っていたが、校外でも同様の事件が発生していてもおかしくはない。専学校への進学は希望者だけで、全学校を卒業してのちは市井で働いている同年代の若者たちの方が多いくらいだ。

 それを承知の上で、セシリィは思わせぶりな間を空ける。


「さぁ、それは……でも、確か名前を……レナータ、と言ったかしら」


「違う!」


 間髪容れず声を上げたのは、ずっと席で寝たふりをしていたトゥレラ・コニアテスであった。


「彼女はちゃんと僕がピレアスに行く馬車に確かに乗せた!」


「トゥレラ!」


 フラルギロスが慌てて止める。だが遅かった。トゥレラの言葉は部屋の外にまで響いていた。

 三人目に行方不明となった女生徒レナータ・コンスタンの名前を出しておきながら、セシリィはわざとらしく思案げな顔を作ってクリスティネとフラルギロスを見る。


「ピレアスというと、西の交易都市ね。ここからは馬車で三日……お嬢様なら四日以上かかるかしら?」


「……お母上が心配性らしく、どんどん荷物を増やされてね。五日はかかったようだ」


 観念したように細い溜め息とともにそう答えたのは、フラルギロスであった。神経質そうに眼鏡を持ち上げ、書類をぱたんと閉じる。


「フラル……」


「どうやらほとんどお見通しのようだからね」


 心配げに目線を配るクリスティネを、フラルギロスは首を横に振って牽制する。その仕草にトゥレラもまた立ち上がった姿勢のまま固まり、アグノスだけが事情を呑め込めない顔で彼らを見渡した。


「ど、どういうことだい? ピレアスって、トゥレラが、なんだって……?」


「本当、お兄様って成績だけは良いのに、どこか抜けていらっしゃるのよね」


「え?」


 困惑するアグノスにそう声をかけたのは、ついに我慢できなくなって室内に入ってしまったラリアーであった。一緒に窓にへばりついて室内を観察していた小夜も、慌ててストッパーを噛ませてあった扉から中に続く。これにはさすがのフラルギロスも意表を突かれた顔をしていた。


(そりゃ驚くよね。ただでさえセシリィで驚いたのに、こんなにぞろぞろ現れちゃ)


 背後には険しい顔をしたルキアノスと、満足そうなクレオンもいる。それがラリアーと並んで窓から盗み見しているのが寮生会の面々という光景は、小夜に取ってはハーレム並みの価値があったが、残念なことにその時間ももう終わりである。


『そのうちボロが出るから、少しそこで待っていらして』


 寮生会室に入る前に軽やかにそう言い置いたセシリィの自信満々な顔を思い出す。


(セシリィは演技もできるのねぇ)


 勉強も魔法も出来て家柄もいいというのに、こんなことまで器用とはどうしたものか。

 などと考えていたら、怒られた。


「あなたたち、まだ合図はしていないわよ?」


「ごめんね、セシリィ。ラリアーがじれったいって言って」


 止めようとも思ったのだが、フラルギロスがこれ以上白を切る様子もなかったものだから、そのまま行かせてしまった。妹としては、兄が状況も分からず困惑している姿には同情を禁じ得なかったのではと推測した小夜である。


「ラリアー。これはどういうことだ? なぜ、第二王子殿下と一緒にいる?」


 戸惑う兄に、ラリアーはセシリィとルキアノスに目配せして了承を得ると、フラルギロスたちをちらちらと視界に入れながら説明した。


「それが……他の行方不明者について、寮生会の皆が事情を知っているのではないかという話になって」


 二人目と三人目の行方不明者は自発的に消えたのではないか、そのことに寮生会が関わっているのではないかという推測を立てたこと。その推測を元に三人目の生徒の母親に確認に行ったこと。そこで交わした会話のことなどを話した。

 その間、動揺した声を上げたのはやはりアグノスだけで、他の面々はそれぞれに顔色を悪くして沈黙していた。

 果たして。


「……僕のせいだ」


 かたん、と椅子に腰を落として、トゥレラがそう呟いた。



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