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ハードボイルド

 失礼します、と低頭して、イエルクとラウラは再び廊下を歩き出した。それを何とも言えない思いで見送っていると、隣に音もなくルキアノスがやってきた。


「何を話したんだ?」


「わっ」


 突然話しかけられ、心臓がばくばく言っていた。心情的には青褪めているつもりだが、両手で挟んだ頬は熱かったから多分赤面しているのだろう。

 小夜は何度も呼吸を整えてから、簡潔に答えた。


「ちゃんと謝れなくてごめんなさいって」


「……それだけか?」


「? はい、それだけですが……」


 報告として正解だと思ったのだが、ルキアノスはどうにも不満そうであった。首を傾げていると、室内からイデオフィーアの声が上がった。


「はい、終わり」


「あー、死ぬかと思ったー」


「ありがとうございます」


 ツァニスが離れてから一分と経っていないのに、もう治療が終わったらしい。レヴァンのいつもの間延びした声に続き、ファニのお礼が聞こえる。


「それにしても、僕が怪我する前に出てきてくれても良かったのに」


「おれの仕事は子守りじゃない」


 つんとつれない口調で返すイデオフィーアは、既に帰ろうとしていた。そこに、セシリィが口を挟んだ。


「小夜も、怪我をしたのじゃなくて?」


「え? 怪我なんか」


「何だと!?」


「ぅぃったい!」


 血相を変えたルキアノスに両肩、腕、腰と触られて、小夜は飛び上がった。服に皮膚が擦れてびりびりと痛んだせいだが、理由は多分他にも大いにあった。痛い痛いと言いながらルキアノスからじりじりと逃げる。

 恐らく、エヴィエニスの火炎魔法を浴びる寸前のイエルクに飛び付いた時のだろうが、今はそんなことはどうでも良かった。ルキアノスの目が、何だか怖い。


「小夜、何故逃げる。早く見せてみろ」


「い、嫌ですよ!」


 逃げ腰で後退する。ルキアノスなら魔法ですぐ治せるのかもしれないが、肌を見せるのは絶対にお断りだ。


(十七歳に二十八歳の肌を見せるだなんてどんな拷問よ!)


 実に切実であった。しかしなおじりじりと迫るルキアノスに、小夜の思考力はどんどん低下する。

 と、ぽんと腰を叩かれた。


「え?」


「あ!」


 パッと振り向くと、小夜の脇をイデオフィーアが通り過ぎるところであった。何でもない顔をして外套の裾を揺らして去っていく。


(うそ、治してくれたの?)


 服の上からだったが、火傷したような痛みがあった箇所がすっと落ち着いている。まさに帰りがけの駄賃のように治してくれたらしい。あんなに面倒臭がっていたのに、信じられない。


「あ、ありがとうございます!」


 いつ光の魔法で消えてしまうか分からないイデオフィーアの背に、慌ててお礼を言う。だが小柄なその背は振り向くこともなく、左手を一度持ち上げただけだった。出入り口に転がるニコラウを軽く足で小突いて退かしたと思ったら、次には瞬きのように姿が掻き消える。


(あの背にハードボイルドを感じてしまうのは私だけだろうか……!)


 最後に一言、あの天から与えられたような麗しいお声を聞きたい気もしたが、イデオフィーアなのでこれでいいとも思う。口惜しいだなんて思ってないやい。


「ルキアノス」


 一人しょぼくれるのを我慢していると、エヴィエニスが窺うように弟に話しかけた。


「ここは任せてもいいか? 少し……休ませたい」


「! ああ、問題ない」


 主語はなかったが、ファニのことだとはルキアノスもすぐに気付いたようであった。頷くとすぐに、エヴィエニスはファニを横抱きにして立ち上がった。


「エ、エヴィ! 怪我はもう治してもらったから」


「それでも心身への負担は回復しない」


 ファニの抗議を、エヴィエニスは一言で黙らせる。それから、セシリィと小夜を順番に睨んでから部屋を後にした。ファニが肩越しに「ごめんなさいっ」と頭を下げていた。


「ニコラウ司祭はどうする?」


 二人の姿が完全に見えなくなってから、クレオンが聞いた。ルキアノスが肩を竦めて応じる。


「……そのうち、帰してやるさ。そもそもまだ容疑の段階で、しかも唆した方だ。ここまで強引に拘束し続けることなどできない」


「神殿は面倒臭いからなぁ。しかも中々に手強い」


「正当な手順が要る。面倒臭いがな」


 クレオンの足下でいまだいびきをかいて寝こけている男を見下ろして、二人が短く唸る。どうやら、小夜が想像するよりも王族は好き勝手出来ないし、神殿は程々に力を持っているらしい。欧州における宗教の波及力を思えば、この世界でも似たような権力構造があるのかもしれない。


「ではツァニス司祭に頼んで、ラコン司祭に渡りをつけてもらおう。そうすれば、逃すことはない」


「あぁ、それがいい」


 ラコン司祭とは、確かツァニスが養父と言っていた名だ。どんな人物かは小夜の中でまだ揺らめいているが、頼りになることは確からしい。

 そして小夜はやはり、他の者たちとは異なる点が気になるのであった。


「ねぇ、セシリィ。あのおじさん、まだ起きないの?」


 ツァニスによって眠らされたのであれば、ツァニスが消えた今いつ起きても不思議ではない。だがニコラウは気持ちよさそうに高いびきをかいている。


「帰りがけにイデオフィーアが魔法を重ねがけしたようね。もう丸一日は寝ているんじゃない?」


「え、さっきの足の? お行儀悪いと思ったら、さりげなくあくどかった……」


 神殿に帰せば妨害工策や逃亡も考えられるが、当の本人が寝続けているのであれば情報の共有も隠蔽もしようがない。遅くなっても、介抱していたという言い訳も立つ。中々効率的なやり方に思えた。

 などと考えている間に、ルキアノスがヨルゴスに頼んでそそくさとニコラウを縄で縛りあげ、改めて廊下の端に転がした。


「……さて」


 寝続けるニコラウを除けば、室内にはルキアノスとクレオン、セシリィと小夜、それからラリアーとヨルゴスだけになった。ルキアノスはやっと一段落着いたという顔で、次にはヨルゴスに向き直った。


「ヨルゴス。どうしてラリアー嬢をこちらに連れてきたんだ?」


「申し訳ありませんでした」


「あたしがお願いしたんです。分かったことがあるからなるべく早く相談したいって」


 弁明もなく謝罪するヨルゴスに、ラリアーが慌てて説明する。確かラリアーはヨルゴスを護衛に、寮生会に戻ったはずだ。そして出来るなら寮生会を調査することと、行方不明になった生徒の母親にだけ事情を聞いてみることで話が纏まっていた。

 分かったこととは、そのどちらかだろうか。


「クレオン様のご助言を元に、行方不明となった女生徒のお母様にだけこっそりお話を伺おうと思って、訪問の連絡はせずに突然伺ったんです。それで、『寮生会の者です』と伝えたら、すぐにお一人で出てこられて、『その後どうですか』と言われたんです」


 訪問したのは三人目の――一人目のフィオンに男装していたラウラを除けば二人目の――行方不明者の自宅で、失踪から二週間以上が経過していた。

 最初、ラリアーは捜査の進展のことを聞かれたのかと思ったのだ。そのため、ラリアーは途端に用件を切り出せなくなって、『それが……』とまごついたそうだ。するとその母親は泣きそうな顔でこう言ったという。


『娘は、まだ無事についていないのですか!?』


 と。


「おっと。こりゃ当たりかな?」


 クレオンが嬉しそうに顎をさする。ルキアノスもまた慎重ながらこれに同意してみせた。


「その可能性が高くなったな。お前の推理が当たったというのはどうにも癪だが」


「そんなに照れるなよ、殿下!」


「どこがだ!?」


 HAHAHA! と笑うクレオンに、ルキアノスが青筋を立てて反駁する。恐らくそこで無視しないところが要因だろうなとも思ったが、懸命にも口をつぐむ小夜である。


「その時は、近くに来たので挨拶に寄っただけだと言って帰ってきてしまったので、このあとをどうしたらいいかと思って」


「母親からしてみれば、不安要素を渡されたようなものだものね」


 狼狽するラリアーに、セシリィが成る程と頷く。そうとなれば、対応は早い方が良いだろう。


「どうするの?」


「簡単よ。早速行きましょう」


 小夜の問いかけに、セシリィが軽やかに片目を瞑ってみせる。ルキアノスたちからも異論はなく、一行は早速動き出した。


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