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私も謝ります

 イエルクは警備の人間に腕を捕まれたまま、今しがた扉の前ですれ違ったばかりのニコラウを振り返った。ラウラもまた遅れて何かに気付いたような表情を見せる。


「……まさか」


 と、栗色の瞳を大きくして声を震わせる。


「十九年前、和平の十周年を記念した祝典に、ハルパロス公爵と共にコヴェントーの森の城砦を訪れた、あのニコラウ司祭か?」


 その問いかけは、小夜には何のことかとんと思い当たらないが、ハルパロスという名前には覚えがあった。

 前国王の兄で、王位を巡って第二次聖泉奪還戦争の陰で謀反を起こし、現王に誅殺された人物。その男と共に隣国に赴いたという司教。


(あれ? でも、戦争が始まったのは隣国が国境を越えてきたからで……?)


 その後に祝典などするはずがないから前ということになるだろうが、そんな時に敵国と接触して無事に帰れるものだろうか。


(普通に考えると、人質か、その場で不意討ちしてそうだけど)


 どうにも考えが纏まらない。何故なら。


「………な、何のことだ? 私はそんな場所には行ってはおらん。それに私は司祭ではなく司教だ!」


 明らかに顔色が悪く、脂汗も増えたニコラウが、険しい顔で首を振る。


「そうですね。十八年前に司教に叙階されたんでしたっけ。だから十九年前は司祭でしたよね?」


「ん……!」


「それに、私も会談の資料と言っただけで、司教が行かれたとは言っておりませんよ」


 ルキアノスが、含みのありそうな顔のまま丁寧に相槌を打つ。


(その背筋が痺れるような艶のある悪役声よ! たたた堪らん!)


 そういうことである。自分に向けられていた時は泣きそうだったくせに、他人が追い詰められている時には興奮する小夜アホであった。


「そ! そうだろう、そうだろう」


 ルキアノスの後押しに勢いづくニコラウ。だがそこに、困ったような声で「ですが」と口を挟む者がいた。


「養父のラコン司祭が、迎えに行かされて大変迷惑を蒙ったと言っていたのを覚えています」


 おずおずとそう言ったのは、扉の前に立ち、イリニスティスたちとともに成り行きを見守っていたツァニスであった。

 ツァニスの穏やかな性格から養父という単語はどうも結び付かなかったが、司祭ということは子供を愛する優しい人物なのかもしれない。


「ラ、ラコンが!? あ、あんな奴の言葉など信用できるか!」


「確かに養父ちちは神殿の規約は大概守りませんが、人道にもとることはしませんし、恨みと迷惑も忘れません」


(そこは並列に語ることかな?)


 とりあえず、一瞬で築いたイメージは一瞬で崩れ去った。

 だがそんな茶番なやり取りも、二人には関係なかった。


「……間違いない」


「……イエルク兄様」


 低く掠れた声で呟くイエルクに、ラウラも固い表情で寄り添う。寄り添うことができる程度には、護衛たちは緩くその縄を持っていた。


「クラーラ様から、会食の時の襲撃時に動じなかった人物の名前と特徴は全て聞いていた。司祭のニコラウ……我が国の四技師が殺されていく中、優雅に口を拭いていた……」


「い、言いがかりだ! 大体、小娘の証言など、何の信憑性もない!」


「何だと……!」


「クラーラ様は、とても聡明な方だったと聞いている」


 激昂しかけたイエルクの言を遮ったのは、イリニスティスの悲しげな声であった。ニコラウを見つめ、それからそっと隣のイエルクを見上げる。


「……婚約者候補として、絵姿をもらったことがあるんだ」


「…………」


 どこか申し訳ないような悔いるような声音に、イエルクの尖っていた瞳に更に憎悪の炎が燃える。まるで、イリニスティスこそが全ての仇であるかのように。

 その無言の睨み合いを、ルキアノスの一段冷えた声が終わらせた。


「十九年前に亡くなられたヒュベル王女の名前を、よくご存知でしたね? 私は、クラーラと言われてもすぐに誰だかは分かりませんでした」


「っな!?」


 ニコラウが大口を開けて固まる。どうやら、語るに落ちたらしい。だがそれよりも、小夜が驚いたのは別のことであった。


(クラーラって、あの男の人が呼んでた……ラウラって人のお姉さん?)


 十九年前に死んだ王女の面影を、小夜に見ていたのか。だからこそ、あの瞬間に小夜に気付いて、ファニのように奇跡が起きたと思ったのか。

 その前からずっと、小夜は同じ空間にいたのに。


(目が血走ってたもんな……)


 きっと、気付く余裕などなかったのだろう。脳は自分の見たいものだけを見るとはよく言ったものだ。

 そこに、それまで静観していたセシリィも口を挟んだ。


「当時、聖職室の室長を務めていたあなたが、開戦前にはハルパロスと何度も接触していたことも、確認が取れているわ」


「「あっ」」


 その言葉に、小夜とファニが同時に声を上げた。思わず互いに目を合わせる。


「さっきファニに聞いたのって」


「そのためだったんですね?」


 ファニに会うための口実かと思っていた。本当に本来の目的であったらしい。


「そんなことを聞かれたのか?」


 ラウラを拘束する役目から解き放たれたエヴィエニスが、当然のごとくファニの隣にぴたりとくっついている。どうやらツァニスがいても構わず魔法を使って、ファニに暖を与えていたようだ。血色も僅かながら良くなっているように見える。


「えぇ、当時の屋敷での出入りを聞かれて……」


「嫌なことを思い出させられたんだな?」


「全然違うわ。セシリィ様は、やっぱりお優しいってことよ」


 最初の勘違いをいまだに引きずっているらしいエヴィエニスを、ファニが優しく笑い飛ばす。その睦まじい様子に、小夜は大丈夫かなとセシリィを盗み見る。


「エヴィエニス様って、案外頭が固くていらっしゃるのね」


 半眼で睨んでいた。そこに暗い嫉妬はない、気がする。それだけで、小夜は嬉しくなった。


(恋が冷めたって言ったのは、きっと勢いと怒りのせいだと思ったけど)


 この様子を見ると、あながちそうでもなさそうだ。こんな時にまで、セシリィに強がらせたわけではなくて安堵した。

 そしてそれを、同じく温かな眼差しで見ていた者がいた。イリニスティスである。


「やっと、証言者が現れたようだね。陛下もきっとお喜びになる」


 セシリィの尽力を愛おしむように賛辞し、再びイエルクを見る。陛下、と聞いた瞬間のイエルクの瞳はやはり憎悪に燃えていたが、イリニスティスはそれを真っ直ぐに受け止めた。己もまた、あの戦争の被害者であるというのに。

 だがそこに、異を唱える者がいた。


「まっ、お待ちください、殿下! これは事実とは違います! 私には何のことか全く分からない!」


「分からなくても結構です。陛下が強権を行使して調べれば、すぐに分かる」


 反論するニコラウに、イリニスティスが笑顔でちょっと怖いことを言った。顔も知らない王様がルキアノスよりも三倍は悪人面で高笑いする姿が脳裏を過る小夜である。


「わ、私はハギオン大神殿の副神殿長ですぞ! 国王と言えど、神殿に許可なく横暴な捜査ができるとは」


「ツァニス。眠らせてあげてくれないか?」


「な、なっ!」


「御意に」


 ツァニスが人の良さそうな笑みで頷く。と同時に、クレオンに拘束されていた御仁はぐらりと姿勢を崩した。


「お? 司教殿はお疲れだったようだな!」


 クレオンが何の他意もないという笑顔で横たえた。床に。

 それを見届けてから、イリニスティスは改めてイエルクに向き直った。


「陛下は……テレイオス義兄上は、ヒュベル王を自ら討ったことを、強く悔い、また同時に誇りに思っています。他の者に、彼の御方の最後の声を奪われずに済んで」


「……何を、赤い悪魔が……!」


「『我々が守りたいのは泉ではない。平和だ』。そう、彼の王はおっしゃったそうです。兄は謝ることしか出来なかったと」


 ヒュベル王国にとって聖泉は神域ではあるが、聖女の伝説があるからではない。帰らずの森とも呼ばれる神秘の森に守られた大きな泉、それは軍事的防衛拠点として重要というだけだった。シェフィリーダが攻め込まなければ、ヒュベルが戦う理由などなかったのだ。

 だがこの遺言とも取れる言葉に、ラウラは目を真っ赤に腫らして涙を堪え、イエルクは激昂した。


「どの口がそんなことをほざくのか! あの悪魔は『戦を始めたことを悔いろ』と言った! 戦を始めたのはお前たちなのに!」


 頭を下げるイリニスティスに、イエルクが目を剥いて飛びかかる。咄嗟にセルジオがイエルクを止めにかかるが、イリニスティスが手を上げて止めるのが先だった。


「本当に、申し訳なく思っています。僕の謝罪などで君が報われることがないのも分かっているけど……」


「だったら、死んでくれ……! 陛下のように、陛下に従った我が父のように……クラーラ様のように!」


「……すみません。そして、陛下に怒りをぶつけさせることも、ましてや謝罪もさせられはしない。僕で我慢してもらうしかない」


「そんなことで――!」


「私も謝ります!」


 今にもイリニスティスの首を締め上げそうな気焔を上げるイエルクに、悲鳴のような声が被さった。ファニだ。飛び出そうとして、エヴィエニスに引き留められている。それでもと、その場に膝と手をついて、深く頭を下げる。


「父が……ハルパロスが無謀な大望を抱いたばかりに、あの戦争は起きたと聞いています。ですから、私が」


「ファニ! お前には関係ない!」


 怒号して引き留めるエヴィエニスだったが、それに返るファニの気勢もまた怯むことはなかった。


「関係ないことあるわけないじゃない! 私の、父のせいで……!」


「じゃあ、私も謝ります」


 今にも泣き崩れそうだったファニの言葉尻を隠すように、そう言って挙手した者がいた。

 小夜である。


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